残照の照らす夜道を行く2
レトリックばかりで全く進まない話……
「私はエイネスラウレフィテンスールクリアフォルストロシアナペールといいます」
断固たる膺懲の一撃によってようやく目を覚ました彼女に誰何すると、返ってきた答えがこれである。
朝は頭を抱えてしまった。はたして自分の日本語は通じていたのかいないのか。先だっての容赦ない起床的措置は彼女の脳に深刻な損傷を与えてしまったのだろうか。コミュニケーションとはかくも難しいものという実感が朝を襲う。就活のときには絶対この能力を自分のウリにはするまいと決心した。
かろうじて聞き取れたエイなんとかかんとかどうのこうの。最大限好意的かつ都合よく解釈すると、これが彼女の名前ということなのだろう。どこぞの寿限無さんよりは短くて結構である。これなら川で溺れても土左衛門になる前には助けが間に合うかもしれない。
しかし文字数で劣ってはいても、全て聞きなれない言葉の並びだとむしろ聞き取れないものである。これはやはり外国人だろうなと朝は思った。今日日はやりのキラキラネーム、なんてオチもないとは言えないけれど。ニュースで見ただけでもあんまりにあんまりな名前があったものであるし。
しかし、彼女の場合は、まずもってその外見からして日本人とは思えない容姿だった。いや、どこの国の出身としても大概ハッタリが効きすぎている。
体格は小柄で華奢で、ここだけ見ると年の頃10ばかりと見える。しかし顔の造作はすっきりと整った目鼻立ちで、左の瞳の堂々と朝を見る様もあいまって、13、4にも見えるのだ。白い肌はきめも細かく、彼女の纏う白絹にも劣らぬ儚げな雰囲気である。
銀糸のような髪は彼女の腰まで伸びており、ラグに横座りしている今は彼女の太ももの上にしなだれかかっている。無造作に垂らしただけの髪型は、極上の素材で構成されている彼女の特権だろう。手をかけている風でもないのに計算されつくしたかのような美しさを湛えているのだ。
意図的に言及を遅らせたが、とびきりの特徴は目だ。左目はグリーンの瞳だが、右は深紅。いわゆるオッドアイとかヘテロクロミアというものだろう。いよいよフィクション作品のキャラクターじみている。よくよく観察してみると、はっきりと朝を見据える左目に比べて右の赤目はだいぶ濁っており、片目だけ焦点が合っていないようにゆらゆら動いて実に落ち着かない。しかしそれがかえって妖しい魅力を彼女に付け加えている。
一言で表現するなら、妖精というのがぴったりだと朝は思った。
……あるいは。昔友人からもらった北欧系の無修正ロリもの。その中であえいでいた少女を150%ほど美化すると目の前の彼女になるかもしれない。なんて。
ちなみに。言及、というか追求したいポイントはまだまだあるのだが。
あえて朝はそれらに触れず、彼女に質問を重ねた。
「えーと、その、あー、」
朝が言い淀んでいると。
「エイネスラウレフィテンスールクリアフォルストロシアナペール」
即答である。譲る気はないらしい。
一方朝は諦めた。
「……その、貴女はここで何を?」
その問いに対し、ペルでいいですと前置きして彼女が言うことには。
「睡眠です」
「……」
バッサリである。それは、確かにそうなんだろうけれど。
小学生かよ、と思いながら朝はジト目でペルを見る。と、小学校高学年程度に見える少女がそこには座っていた。それじゃあ仕方ないかと思うと、朝はため息をついた。
朝の疲れた様子をみて、ペルは笑い。冗談ですよと告げた。
朝が苦笑いを返すとさらに一言。
「異世界からやって来て疲れてまして」
朝はもう言葉もない。沈黙につけこむようにペルは言葉を続けた。
「気づいたらこの部屋にいたんですけどね。少し休もうと思ったらそのまま寝てしまったと、そういう次第です」
ペルはそこで言葉を切り、頭を下げて、朝に上目遣いと。
「ごめんなさい。悪いことだとわかってはいます。人の家に勝手に上がり込んで」
謝罪の言葉を聞くと、朝の中で凝っていたものがすっと解けたような気がした。ペルのわけのわからない言動も、とりあえずはいいかと流せるぐらいには頭が働いた。
「ああ、それはもういいよ、」
一晩くらいさ、と続けようとしたところでペルが割り込んだ。
「失礼ついでに、これからも泊めていただけませんか?」
「は?」
いくらなんでも厚かましすぎるペルの言葉に、思わず朝は素で返してしまった。初めて明晰下で朝の低い声を聞いたペルが全身をびくっとすくませる。
しまった、と思って朝は取り繕う手段を考える。
ペルが他人のテリトリー内で委縮しているのは当然としても。自分だってペルから与えられた情報を整理しきれていないのだ。お互いに一息入れる必要があるだろう。
だから。
「このまま話すのもなんだろ。飲み物でも取ってくるから」
冷たいお茶でいいよなと伝えると、ペルは小さくうなずいてはいと答えた。