第九話 噂が広まる
深淵鬼の討伐報告が提出されてから、三日後。
ギルドの雰囲気が変わった。
遊が入口を通るたびに、視線が集まった。これまでも目立つ外見のせいで見られることはあったが、今回は違う。好奇心と、それより少し重い何かが混じった目だった。
エリスに聞くと、あっさり教えてくれた。
「噂になってる。Sランク魔物を単独で倒したBランクがいるって」
「もうAランクですが」
「昇格したのが昨日だから、情報が追いついてない」
遊は「そうですか」と言って、依頼掲示板に向かった。
掲示板の前に立つと、後ろから声がかかった。
「おい、お前が例の新人か」
振り返ると、大柄な男が立っていた。
年は三十前後。体格は遊の倍近い。短い金髪に、顎に無精髭。鎧の傷が多く、使い込まれた両手剣を背負っている。目が鋭いが、敵意というより値踏みに近い光だった。
「例の、とは」
「Sランクを一人で仕留めた新人だろ。俺はガリス。一ヶ月前に灰の牙から撤退した、そのパーティのリーダーだ」
遊は少し考えた。
「あの壁の爪痕は、あなたたちですか」
ガリスが眉を上げた。
「見たのか」
「中層の壁に深い引っかき傷がありました。高さからして、人間が吹き飛ばされた跡かと」
「……正確には、俺が叩きつけられた跡だ」
ガリスは苦い顔で言った。隠す気はないらしい。
「物理攻撃が一切通らなくて、魔法使いが魔法を撃っても大したダメージにならなかった。俺が突っ込んで吹き飛ばされて、撤退を決めた」
「妥当な判断だと思います」
「お前はどうやって倒した」
「魔法の出力を最大にして、一発で撃ち抜きました」
ガリスはしばらく遊を見た。
「魔法使いか?」
「一応、剣も使えます」
「どっちが得意だ」
「まだあまり剣を使ってないので、わかりません」
ガリスは腕を組んだ。
「強さを試させてくれ」
「今ですか」
「訓練場を使っていい。本気でやる気はない。ただ実際に動くところを見たい」
遊は少し考えた。断る理由もないが、積極的な理由もない。ただ、ガリスの目が純粋な興味を持っていることはわかった。馬鹿にしているわけでも、害意があるわけでもない。
「わかりました」
エリスがカウンターから「気をつけて」と声をかけてきた。どちらに向けた言葉かは不明だった。
ギルドの裏に訓練場があった。
砂を敷いた広場に、的と木製の柵がある。昼間は使っている冒険者も多いが、今は二人しかいなかった。
ガリスが両手剣を抜いた。木製の練習用ではなく、本物だ。
「俺が攻撃する。お前は捌いてみろ。武器は何を使う」
「腰のナイフで」
遊は宿屋で買った安物のナイフを取り出した。ガリスが少し表情を変えたが、何も言わなかった。
ガリスが踏み込んだ。速い。Aランク上位の実力は本物だと、動きだけでわかった。
横薙ぎの一撃が来た。遊は半歩引いて、刃の軌道から外れた。
ガリスが続けて縦に振り下ろす。遊は横に体をずらして、ナイフの柄でガリスの手首を軽く叩いた。
ガリスが剣を取り落としそうになって、足を止めた。
沈黙が落ちた。
「……剣術のスキルは何だ」
「神域、だそうです」
「だそうです、って」
「自分では実感がなくて。ゲームで言えばキャラクターの性能みたいなものなので」
ガリスは剣を鞘に収めて、遊をまじまじと見た。
「強いのに、欲がない顔をしてるな」
「欲、ですか」
「強くなりたいとか、認められたいとか。そういう顔をしてない」
遊は少し考えた。
「今のところ、ないです。ただこの世界のことが少しずつわかってきて、それが面白いとは思っています」
「面白い、か」
ガリスは低く笑った。からかっている感じではなかった。
「俺が冒険者を始めたのも、似たような理由だったな。世界を見たかっただけだ。いつの間にかここまで来てた」
「グレンさんも似たようなことを言っていました」
「あの人は別格だ。比べるな」
ガリスは砂の上に腰を下ろして、空を見上げた。
「一つ聞いていいか」
「どうぞ」
「これから先、どうするつもりだ」
「依頼をこなしながら、この世界を知っていくつもりです」
「仲間を作る気は?」
遊は少し間を置いた。
「今は考えていません。一人の方が気楽なので」
「そうか」
ガリスは立ち上がって、砂を払った。
「俺のパーティに誘おうと思ったが、やめておく」
「すみません」
「謝るな。気持ちはわかる。ただ──」
ガリスは遊を見た。
「いつか、一人じゃどうにもならないことが出てくる。そのときは声をかけろ。助けに行く」
遊は少し驚いた。出会って一時間もたっていない相手に、そんなことを言われると思っていなかった。
「なぜですか」
「灰の牙を片付けてくれた礼だ。俺が引けなかったものを、お前が解決してくれた」
遊はしばらくガリスを見て、頷いた。
「わかりました。そのときはお願いします」
「ああ」
ガリスは訓練場を出た。遊はその背中を見送って、空を見上げた。
曇りかけた空に、薄い雲が流れていた。
仲間。その言葉を頭の中で転がした。
ゲームでもソロプレイが好きだった。パーティを組むのが苦手だったわけではないが、一人の方がペースを乱されない。
ただ、ガリスのことは嫌いではなかった。
(まあ、いつかそういうこともあるかもしれない)
遊は立ち上がって、掲示板に戻った。今日の依頼をまだ決めていなかった。




