第八話 最初の壁
Aランクの最初の依頼は、ダンジョンの調査だった。
────────────────
【調査依頼】
対象 :廃坑ダンジョン「灰の牙」踏破
報酬 :金貨15枚
推奨 :Aランク以上、二名以上推奨
備考 :最深部に高位魔物の気配あり。一ヶ月前にAランクパーティが
撤退。詳細不明。
────────────────
依頼書を読んで、遊は少し眉を上げた。
「Aランクパーティが撤退、か」
「そう。リーダーのガリスって人はかなり腕が立つんだけど、最深部に行く前に引き返してきた。理由は言わなかった」
エリスが補足した。声が、いつもより少し慎重だった。
「やめとく?」
「いいえ」
「即答だね」
「撤退した理由が気になるので」
エリスはため息をついたが、止めなかった。Aランク昇格を認めた以上、口を出す立場ではないと思っているのかもしれない。
「一応、二名以上推奨になってる。パーティを組む気は?」
「今回は一人で行きます。状況を見てから判断したいので」
「……わかった。でも何かあったら必ず戻ること」
「はい」
廃坑ダンジョン「灰の牙」は、街から東に二時間ほど歩いた先にあった。
かつては鉱山として使われていたらしく、入口は整備された石組みの坑道になっていた。しかし奥に進むにつれて天井が低くなり、足元が荒れて、魔物の気配が濃くなっていく。
遊は松明を持たずに入った。暗視のスキルが勝手に発動して、薄暗い坑道が問題なく見えた。
(便利だな)
中層に差し掛かるまでは、特に苦労しなかった。
出てくる魔物はゴブリン、コボルト、石甲虫の類だ。全員が遊を見た瞬間に動きを止め、そのまま伏せた。神の加護の効果だ。素通りして進んだ。
中層の終わりあたりで、遊は足を止めた。
坑道の壁に、引っかき傷があった。
大量の、深い爪痕だ。岩がえぐれるほどの力でついた跡で、高さは二メートルほどの位置から床まで続いている。
(これは魔物の爪跡じゃない)
遊はしゃがんで近くで確認した。傷の方向が、奥から手前に向かっている。つまり何かが、奥から脱出しようとしたか、あるいは壁に叩きつけられたかだ。
(Aランクパーティが撤退した理由、これか)
遊は立ち上がって、さらに奥へ進んだ。
最深部は広い空洞になっていた。
天井が高い。直径は三十メートルほどか。中央に、魔法陣のような模様が床に刻まれている。淡く光っていた。
そしてその中央に、それがいた。
大きさは四メートルほど。人型に近いが、腕が四本ある。体表が黒い鱗で覆われていて、目が四つ。うち二つは赤く、残り二つは黄色く光っている。
遊はステータスウィンドウを開いて、相手を鑑定した。
────────────────
【魔物情報】
名称 :深淵鬼
ランク:S
状態 :封印中(不安定)
特性 :物理無効、魔法半減、再生能力あり
備考 :封印が弱まると周囲に混沌の瘴気を放出する
────────────────
(Sランク、か)
遊は無表情のまま情報を読んだ。
物理無効。魔法半減。再生能力。
Aランクパーティが撤退した理由がわかった。正面から剣で戦おうとして、物理無効に阻まれたのだろう。それで奥の壁に吹き飛ばされた。
(魔法半減でも、こっちの火力なら通るか?)
遊は右手を上げた。
炎を、これまでで最も絞った出力で生成する。拳大の火の玉を作って、投げた。
深淵鬼に当たった。半減されて、ダメージは小さい。しかし確かに通った。
深淵鬼が顔をこちらに向けた。四つの目が遊を捉えた。
その瞬間、空洞全体に瘴気が広がった。
黒い靄だ。肺に入れば良くないだろうと直感でわかった。遊は息を止めた。ステータスを確認すると「状態異常無効」のスキルが常時発動していた。神の加護の付随効果らしい。
(なるほど、これが混沌の瘴気か)
深淵鬼が動いた。四本腕を広げて、こちらに向かってくる。
遊は動かなかった。
深淵鬼の拳が直撃した。
遊は吹き飛ばなかった。
防御力99,999。そして無限再生。物理攻撃がどれだけ重くても、遊には傷一つつかない。
深淵鬼が困惑するように動きを止めた。
(よし、戦い方がわかった)
物理は通らない。魔法は半減。ならば、半減されても倒せる出力で撃てばいい。
単純な計算だった。
遊は両手を前に出した。これまでで最大の出力で、炎を収束させた。細く、深く、貫くように。
「火──」
次の瞬間、光が坑道を満たした。
深淵鬼は消えていた。
床の魔法陣だけが残って、淡く光り続けていた。封印の核だろう。遊はそれを踏まないように避けて、空洞を出た。
坑道を戻りながら、頭の中で整理した。
今回初めて、相手を「分析して戦う」必要があった。これまでは見ただけで終わるか、出力調整だけで済んだ。
(これが本来のゲームの楽しさに近い)
強いだけでは面白くない。考えて、試して、突破する。それが好きだった。
出口の光が見えてきたとき、遊は自分が少し楽しんでいることに気づいた。
初めてだった。この世界に来てから、腹の底が少し動いた感覚は。
ギルドに戻ると、エリスが立ち上がった。
「無事だった。よかった」
「心配してましたか」
「してた。Sランクがいるって、戻ってから調べてわかったから」
遊は「すみません」と言った。
「倒した?」
「倒しました」
エリスは頭を抱えた。それから顔を上げて、遊をまっすぐ見た。
「……報告書、詳しく書いてくれる? グレンさんに見せないといけない」
「わかりました」
遊は机に座って、羊皮紙を受け取った。
ペンを持って、少し考えてから書き始めた。
今日初めて、この世界が少し面白くなった。そのことは報告書には書かなかったが、遊の中には静かに残った。




