【第七話 ギルドマスターの男】
Aランク昇格の話が出てから三日後、遊はギルドマスターに呼ばれた。
エリスが「上に通して」と言われた、と少し緊張した顔で伝えてきた。遊は「わかりました」と答えて、指定された時刻にギルドの二階へ上がった。
扉を開けると、広い部屋があった。
窓から街が見える。壁には地図と討伐記録が貼り出されている。中央の机に、一人の男が座っていた。
年は四十代半ばといったところか。短く刈った黒髪に、首から顎にかけて古い傷跡がある。体格はいい。目が鋭い。しかし遊を見た瞬間の表情は、思ったより穏やかだった。
「座れ」
椅子を示された。遊は素直に座った。
「お前がユウか」
「はい」
「エリスから話は聞いている。ワイバーンの件も、鑑定の結果も」
男はしばらく遊を観察するように見た。遊は特に何もしなかった。見られることに抵抗がない。ゲームのキャラクター選択画面でステータスを確認される感覚に近かった。
「俺はグレン。このギルドのマスターだ」
「よろしくお願いします」
「よろしくって顔じゃないな」
「緊張しない性格なので」
グレンが低く笑った。不快そうではなく、面白がっているような笑い方だった。
「Aランクへの昇格を認める。ただし条件がある」
「聞きます」
「一つ、依頼は引き続き段階を踏んで受けること。いきなりSランク案件に手を出すな」
「なぜですか」
「お前の実力を疑っているわけじゃない。他の冒険者への影響の問題だ。規格外の存在が無秩序に動くと、ギルド全体のバランスが崩れる」
遊は少し考えた。ゲームで言えば、高レベルプレイヤーが初心者エリアを荒らしてはいけない、というルールに近い。理屈はわかった。
「わかりました」
「二つ目。困ったことがあればギルドを頼れ。一人で抱え込むな」
「困ることがあるかどうかわかりませんが」
「あったときの話だ」
「……わかりました」
グレンは机の上の書類を一枚取り出して、遊に渡した。Aランク昇格の証明書だった。
「最後に一つ聞いていいか」
「どうぞ」
「お前は何のためにここにいる。目的は何だ」
遊は少し間を置いた。
目的。転生してからそれを考えたことがなかった。神様に詫びを受けて、異世界に来て、とりあえずギルドに登録して依頼をこなしている。それだけだった。
「今のところ、ないです」
「ない?」
「世界を救うつもりもないし、最強になりたいわけでもない。今は感触を掴んでいる段階なので」
グレンは眉を上げた。
「感触?」
「新しいゲームを始めたときに、まずルールを覚えるじゃないですか。今はその段階です」
「……この世界がゲームか」
「悪い意味ではないです」
グレンはしばらく遊を見て、それから低く唸った。呆れているのか感心しているのか判断しかねる顔だった。
「変わった奴だな」
「よく言われます」
「どこで?」
「前の世界で」
グレンはそれ以上聞かなかった。遊も説明する気はなかった。
「わかった。好きにしろ。ただしギルドのルールだけは守れ」
「守ります」
「よし。下がっていい」
遊は立ち上がって、一礼して部屋を出た。
階段を下りると、エリスがカウンターから身を乗り出すようにして待っていた。
「どうだった?」
「昇格の承認をもらいました」
「それだけ? 何か言われた?」
「段階を踏んで依頼を受けること、困ったらギルドを頼ること、の二点です」
「グレンさんがそんなに素直に話してくれるの、珍しいな」
「怒られましたか?」
「むしろ逆。気に入られたんじゃないかな」
遊は少し意外に思った。グレンはぶっきらぼうだったが、確かに嫌な感じはしなかった。
「ついでに聞いていい?」
エリスが声を落として言った。
「グレンさんに、目的を聞かれたでしょ。何て答えたの」
「今はないって言いました」
エリスは少し黙った。
「怒られなかった?」
「好きにしろ、と言われました」
「……そっか」
エリスは何か考えるような顔をしてから、カウンターに肘をついた。
「グレンさんも昔、同じようなこと言ってたって聞いたことがある。目的なんてない、ただ強くなれる場所にいたい、って」
「今は違うんですか」
「今はここの全員を守るって決めてるみたい。いつの間にか、そうなったって」
遊は「そうですか」と言った。
自分がいつかそうなるかどうか、今はわからなかった。ただ、グレンという人間が少しだけわかった気がした。
「明日の依頼、どうする?」
「Aランクのを一つください」
「はい。用意しておく」
エリスが書類を棚から取り出しながら、小さく笑った。
「昇格おめでとう、ユウ」
「ありがとうございます」
遊は証明書を鞄にしまって、ギルドを出た。
夕暮れの石畳が橙色に染まっていた。
目的はまだない。でも今日も悪くなかった。
遊にとって、それで十分だった。




