Bランクの魔物
翌朝、遊はギルドに向かった。
エリスが「昨日より難しい依頼にしてみる」と言っていた。Bランク相当。普通の冒険者なら三人パーティで挑む案件、とも言っていた。
遊にとってはどうでもよかったが、世界の感触を掴む意味ではちょうどいいと思っていた。ゲームで言えば、二つ目のダンジョンに踏み込む段階だ。
受付カウンターにエリスがいた。遊の顔を見るなり、カウンターの下から依頼書を取り出した。準備していたらしい。
「おはよう。早いね」
「寝すぎると調子が狂うので」
エリスは「そういう人間なんだ」という顔をして、依頼書を差し出した。
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【討伐依頼】
対象 :アイアンボア×1
報酬 :金貨3枚
推奨 :Bランク
場所 :東の岩場
備考 :甲殻が硬く、通常の剣では傷をつけにくい
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「アイアンボア」
「鉄の皮膚を持つイノシシだよ。体長三メートルくらい。剣が通らないから大抵は魔法で倒すんだけど、火力が足りないと長期戦になる。去年は三人パーティが一人重傷を負った案件」
「へえ」
「……その反応で行く気があるの?」
「あります」
エリスは遊を見た。遊は依頼書を眺めながら、備考欄をもう一度読んでいた。真剣なのか無頓着なのか判断しづらい顔だった。
「一応聞くけど、魔法は実際に使ったことある?」
「この世界では昨日が初めてです。練習もしてないです」
「……行かせていいのか不安になってきた」
「大丈夫です。たぶん」
「たぶん、って」
「練習しなくても使えるスキルだったので」
エリスはため息をついたが、依頼書に受付スタンプを押した。止める理由を見つけられなかったのだろう。鑑定結果を見た後では、確かに止める根拠がない。
「戻ってきたら報告。怪我したら即座に教えること。いい?」
「わかりました」
遊は依頼書を受け取って、ギルドを出た。
東の岩場は街から歩いて三十分ほどの場所にあった。
草原が途切れて、ごつごつした岩が積み重なった地帯に変わる。足元が不安定で、道らしい道もない。魔物が潜むには確かに向いていそうな地形だった。
遊は岩の合間を歩きながら、ステータスウィンドウを開いた。
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MP :999,999 / 999,999
魔力 :99,999
全魔法適性(全8属性)
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(火でいいか)
ゲームで最も基本的な攻撃魔法といえば火だ。応用も利くし、威力の調整もしやすい。
遊は右手を軽く前に出して、意識を集中させた。
炎が、出た。
掌の上に、小さなオレンジ色の火が灯った。熱さは感じるが、痛みはない。制御できている、と直感的にわかった。
(なるほど。感覚としては、ゲームのスキルを発動させるのに近い)
ゲームで何万回も繰り返した操作の感覚が、そのまま魔法に転用できる気がした。
遊は火を消して、岩場の奥へ進んだ。
アイアンボアはすぐ見つかった。
岩と岩の隙間で横になって休んでいた。体長はエリスの言った通り、三メートルほど。全身が鈍色の甲殻で覆われていて、陽光を反射してぎらぎらと光っている。牙が長い。蹄が太い。見るからに頑丈そうだった。
近づくと、ボアが顔を上げた。
黄色い目が遊を捉える。立ち上がって、低く唸る。
遊が視線を向けた。
ボアの動きが、一瞬止まった。
しかし止まったのは一瞬だけだった。地面を蹴って、突進してくる。体重をそのままぶつけてくる、シンプルで重い攻撃だった。
(神の加護が効かなかった)
遊は横に一歩ずれた。ボアが遊のいた場所を通り過ぎ、岩に激突する。岩が砕けた。
(知性が低い魔物は本能より突進反射が優先されるのかもしれない)
後で調べよう、と思いながら、遊は右手を上げた。
「火」
呟いた瞬間、掌から炎の塊が飛んだ。
ボアの側面に直撃した。
どん、という音と共に、爆発した。
遊は無言で煙が晴れるのを待った。
岩場が静かになった。
ボアは岩に倒れかかって、動かなくなっていた。甲殻の一部が熱で溶けている。
(一発か)
倒したことより、威力の加減が難しそうだという感想が先に来た。あの出力の半分でも十分だっただろう。フルパワーで撃つ必要は、たぶん当面ない。
証拠として甲殻の欠片を拾って、遊は岩場を後にした。
ギルドに戻ると、エリスが受付から立ち上がった。
「早い。また三十分かい?」
「それより少し長いです」
「戦闘は?」
「一発で終わりました」
エリスは甲殻の欠片を受け取って、確認した。熱で溶けた断面を見て、眉を上げた。
「……魔法で」
「はい」
「どんな魔法?」
「火を出しました」
「それだけ?」
「それだけです」
エリスはしばらく黙っていた。カウンターの上に欠片を置いて、遊を見た。
「昨日、魔法を練習したことがないって言ってたよね」
「言いました」
「それで初見のBランク魔物を一撃で」
「はい」
「……報酬は金貨三枚ね」
遊が「ありがとうございます」と受け取ると、エリスは何とも言えない顔でカウンターに肘をついた。
「聞いていいか」
「どうぞ」
「楽しかった?」
遊は少し考えた。
「楽しいというより……感触が掴めてよかったです。魔法の出力調整が課題だと思いました」
「課題……ね」
「強すぎると周りを巻き込みそうで」
エリスは頭に手を当てた。呆れているようだが、怒っている感じではなかった。
「あんたさ、もしかして強くなりたいとかじゃなくて、単純にこの世界を楽しんでる感じ?」
遊はまた少し考えた。
「ゲームを始めたばかりの感覚に近いです。まだルールを覚えている段階なので」
「この世界がゲームか」
「悪い意味じゃないです。好きなゲームを始めたときの、あの感じ」
エリスは遊の顔をしばらく眺めて、それから小さく笑った。
「……まあ、いいか。次の依頼、また用意しとく」
「助かります」
遊は軽く頭を下げて、ギルドを出た。
空は昼過ぎの明るさで、石畳が陽光に照らされていた。
宿に戻ってから、遊は魔法の出力調整について頭の中で整理した。ゲームで言えば、スキルの使い方を覚える段階。まだ序盤も序盤だった。
(悪くない)
遊の中では、それが最大の評価だった。




