第九話 地下の地図、あるいは百年前の設計者
翌朝、リオンがギルドの応接室に古い書物を積み上げていた。
羊皮紙の束、分厚い冊子、細長い巻物。どれも年季が入っていて、端が茶色く変色している。ユウが部屋に入ると、リオンは書物のひとつを広げたまま顔を上げた。
「王都の地下図だ」
「地下図?」
「王都は建設当初から地下構造を持っている。水路、貯蔵庫、避難通路。表の地図には載っていないが、ギルドには古い記録が残っている」
リオンが広げていた書物をユウの方に向けた。
精密な線で描かれた地図だった。王都の地上部分と、その下に広がる通路の網目。複雑に入り組んでいて、ひと目では把握しきれない。ただ、ユウはすぐにあるものに気づいた。
「井戸の位置が、ここに記されています」
赤い小さな印が、地下図の各所についていた。十以上ある。
「そうだ。建設当初から存在する古い井戸だ。多くは百年以上前に使用が停止されている」
「その井戸が、地下通路で繋がっている」
「繋がっているものもある。水路として使われていた時期があったようだ」リオンが別の書物を開いた。「そしてこれが問題だ」
新しく開かれた書物には、幾何学的な紋様が描かれていた。ユウが井戸の底で見た光、あの魔法陣と同じ様式だ。
「王都建設当初の記録に、この紋様の記述がある。名称は『地脈封印陣』。王都の地下に流れる魔力の流れ、地脈を安定させるために設置されたものだという」
「封印陣、ということは」
「もともとは抑える目的で作られた。地脈の魔力が溢れないように、井戸を通じて地下に分散させる仕組みだ」リオンが指で紋様をなぞった。「それが今、逆向きに動いている」
ユウは少し考えた。
「抑えるために作られたものが、逆に魔力を漏らし始めた。設計が変わったのか、それとも外部から干渉されたのか」
「外部からの干渉だと俺は見ている。自然に逆転することはあり得ない。この設計の精度から考えて、百年以上安定して機能していたはずだ」
「誰かが意図的に、封印陣を逆起動させた」
「可能性が高い」
部屋に静けさが落ちた。
窓の外で鳥が鳴いた。王都の朝の音が、遠くから薄く届いてくる。
ユウは地下図に視線を戻した。王都を囲む井戸の配置。地下で繋がった通路。逆起動した封印陣。それらを繋ぐと、ひとつの像が浮かんでくる。
「王都全体が、魔力を漏らす装置になっている」
「……そうだ」リオンが低く言った。「王都の地脈から魔力を引き出して、どこかへ流している。あるいは、特定の場所に溜めている」
「目的は」
「わからない。ただ、規模から考えて、個人の利益のためではない」
ユウは魔王という単語を頭の中で転がした。
昨夜の酒場の噂。魔王が動いているという話。百年前の設計。地脈の魔力を集める仕掛け。
「リオンさん」
「なんだ」
「魔王はどのくらい前から存在が確認されているんですか」
リオンが少し間を置いた。
「記録に残っている最古の目撃情報は、二百年ほど前だ。ただし、確証のある情報は少ない。長期間姿を消すことがあるから、死亡説が出ては否定されるを繰り返している」
「百年前にも活動していた可能性がある」
「ある」
「封印陣が作られた時期と重なる」
リオンが書物から目を離して、ユウを見た。
「重なる。俺も気づいていた。ただし、封印陣を作ったのが魔王に対抗するためだったのか、それとも別の理由があったのか、記録には残っていない」
「設計者は誰ですか」
「名前だけ残っている。『地脈師ジオルド』。それ以上の記録はない」
地脈師。魔法の一分野に特化した専門家だろう。ユウには馴染みのない肩書きだったが、これだけの規模の設計をした人物なら、相当な実力者だったはずだ。
「ジオルドについての記録を調べることはできますか」
「神殿に古い記録が残っているかもしれない。今日の午後、神殿の司書に当たってみるつもりだ」
「一緒に行っていいですか」
リオンが少し意外そうな顔をした。ユウが自分から申し出るのが予想外だったのかもしれない。
「構わない。ただ、神殿は少し面倒な場所だ」
「面倒というのは」
「格式を重んじる。冒険者が来る場所だと思われていない」リオンが立ち上がった。「服装を整えてから来い。今の格好では門前払いになる」
ユウは自分の服を見た。冒険者の旅装。汚れはないが、確かに神殿向きではない。
「着替えを持っていないです」
「そうだろうと思った」リオンが小さくため息をついた。「ギルドの備品に貸し出し用の上着がある。サイズを確認してこい」
午後の神殿は荘厳だった。
白い石造りの大きな建物で、正面に柱が並んでいる。扉が高い。中に入ると天井も高く、光が差し込んで空気が澄んでいた。
貸し出しの上着は少し肩が余ったが、着ないよりはましだった。
司書は七十代とおぼしき老人で、リオンの顔を見るなり「また来たか」と言った。顔見知りらしい。
「地脈師ジオルドについての記録を探したい」とリオンが言った。
老人がユウを見た。「連れは」
「調査の協力者だ」
「冒険者か。珍しい」老人が奥に向かって歩き出した。「ついてきなさい」
案内されたのは奥の小部屋だった。棚に巻物と書物がぎっしり並んでいる。老人が棚をしばらく眺めてから、迷いなく一本の巻物を引き抜いた。
「ジオルドについての記録はこれだけだ。量は少ない。意図的に記録が削られた形跡がある」
「削られた?」
「残っているものも、固有名詞が消されている箇所がある。誰かが読まれたくなかったのだろう」老人が巻物を机の上に広げた。「ただし、消し損ないがある。そこだけ読める」
巻物を覗き込んだ。
古い文字で書かれていて、確かに各所が塗り潰されている。読める部分を拾うと、断片的な情報が浮かんでくる。
地脈師ジオルド。王都設立より前から存在した人物。封印陣の設計者。そして、消し損ないのひとつに、こんな記述があった。
『ジオルドはその後、【 】の命を受け、封印陣の鍵を――』
鍵、という言葉の後が塗り潰されていた。
ユウはその一文をしばらく見つめた。
封印陣には鍵がある。そして誰かの命を受けて、ジオルドはその鍵について何かをした。作ったのか、隠したのか、壊したのか。
「リオンさん、封印陣を逆起動させるには何が必要だと思いますか」
リオンが顎に手を当てた。
「設計を知っている者か、あるいは……鍵だな」
「鍵を持っている者が、封印陣を逆起動させた可能性がある」
「そしてその鍵が何かを、記録は教えてくれない」
老人が静かに言った。「消された記録を追うなら、王都の外に目を向けた方がいいかもしれない。記録を消した者は王都の人間だ。外に残したものがある可能性がある」
「外、というのは」
「ジオルドが最後に向かったとされる場所が、かろうじて読める。北の地だ。それ以上は記録にない」
北。
ユウは魔王が動いているという噂を思い出した。北の方だという話があった。
点と点が、少しずつ線に近づいていた。




