第五話 白刃と封筒
扉の向こうは、思ったより静かだった。
広い執務室。窓から王都の街並みが見える。棚には分厚い書類の束が並んでいて、机の上にも書類が積まれていた。整理されているが、量が多い。よく使われている部屋だとわかる。
机の前に人が立っていた。
二十代後半、といったところか。長身で、白に近い銀髪を後ろで束ねている。服装は質素だが、姿勢が良い。目が鋭い。値踏みでも警戒でもなく、ただ純粋に観察している目だ。
ユウはその人物を見て、直感的に思った。
(強い)
スキルの感知ではない。もっと単純な、動物的な察知。この世界に来てから感じたことのない種類の圧力が、部屋の中に薄く漂っていた。
「グレンの紹介か」
声は低く、淡々としていた。
「はい」とユウは答えた。「ユウといいます。Aランク冒険者です」
「リオンだ」
それだけ言って、男は手を出した。封筒を求めているらしい。ユウは鞄から取り出して渡した。リオンは封を切り、中の手紙を広げた。
読む速度が速い。視線が文面を滑るように動いて、十秒もしないうちに手紙を置いた。
「グレンが直筆で紹介状を書くのは珍しい」
「そうなんですか」
「滅多にない。あの男が筆を取るときは、よほどのことだ」リオンがユウを見た。「北の街でSランクの魔物を単独で討伐したと書いてある。深淵鬼だ」
「はい」
「本当か」
「嘘をつく理由がないので」
リオンが少しだけ目を細めた。怒ったわけではないらしい。何かを測っているような間だった。
「魔力異常の報告もあると聞いた」
「街道沿いで二箇所、古い井戸から魔力が漏れているのを確認しました。一箇所は北の廃村の近く、もう一箇所は王都から三日ほどの距離の林の中です。魔力汚染種の目撃もあります」
ユウは手帳を取り出して、メモしていた場所と状況を読み上げた。リオンは黙って聞いていた。途中で手元の紙にいくつか書き留めている。
「井戸の底に構造物の感触があった」とユウは付け加えた。「自然の井戸ではないかもしれません」
リオンの手が止まった。
「構造物? どう確認した」
「風魔法で空気を送り込んで、反響を見ました。確証はないですが、石か金属の何かがある感触でした」
「……深さは」
「かなり深いです。反響が戻るまでに時間がかかりました。十メートル以上はあると思います」
リオンは少しの間、窓の外を見た。何かを考えているらしかった。ユウは黙って待った。
「魔力汚染種の変異具合はどの程度だった」
「鱗の黒変と目の充血。動きは鈍かったです。初期段階だと思います」
「初期、か」リオンが小さく息を吐いた。「それが救いだな」
「広がっているということですか」
「可能性がある。王都周辺でも似たような報告が出始めている。規模はまだ小さいが、出所がわからない」
ユウは少し考えた。
「根が繋がっているかもしれないです。廃村の井戸と、街道の井戸と、王都周辺の異常。点ではなく、線か面で考えた方がいいかもしれない」
リオンがユウを見た。今度は少し違う目だった。
「冒険者にしては、分析が早いな」
「ゲーム……習性です」
「ゲーム?」
「なんでもないです」
リオンは一瞬間を置いてから、それ以上追及しなかった。
転入登録の手続きは、リオンが直接担当者に指示を出して、その場で進めた。
ランクの引き継ぎ確認、戦績の照合、新しい認識票の発行。通常なら数日かかる手続きが、一時間ほどで終わった。
新しい認識票を受け取りながら、ユウは思った。権限を持っている人間が動くと早い。ゲームで言えば、運営が直接バグ修正をするようなものだ。
「しばらく王都に滞在するか」とリオンが聞いた。
「しばらくは、はい」
「なら、魔力異常の調査に協力してもらえるか。報酬は出す。Aランク依頼扱いにする」
ユウは少し考えた。
断る理由がない。むしろ、根本原因が気になっていた。廃村の井戸の件は解決していない。繋がっているなら、調べる価値がある。
「わかりました」
「決断が早いな」
「考えることがなかったので」
リオンがまた少し目を細めた。今度は、かすかに表情が動いた気がした。笑ったわけではないが、笑いに近い何かだったかもしれない。
「宿はどこだ」
「まだ決めてないです」
「ギルドの提携宿がある。紹介しよう。長期滞在なら割が良い」
「ありがとうございます」
リオンが書類に何か書いて、受付に向けて封をした小さな封筒を用意した。ユウは二度目の封筒を受け取った。今日だけで二本目だ。
「明日の朝、もう一度ここへ来てくれ。調査の詳細を話す」
「わかりました」
「あと」とリオンが付け加えた。「グレンによろしく伝えておいてくれ。手紙を書くのが億劫な男だから、口頭で構わない」
「次に会ったときに、たぶん」
リオンは何も言わなかった。ただ、小さくうなずいた。
ギルドを出ると、王都の午後の日差しが強かった。
大通りに人が溢れている。どこかで鐘が鳴った。宿を探して、飯を食って、明日に備える。やることは単純だ。
ユウは歩き出しながら、リオンのことを考えた。
強い。それは間違いない。ただ、それ以上に、頭が動く人間だという印象があった。情報の整理が速く、判断が早い。感情で動かない。
(似てるかもしれない)
そう思ってから、少し違和感を覚えた。
自分と似ている人間を見て、何かを感じるということ自体が、以前はなかったことだ。
(……またバグか)
四度目の自己診断。原因不明のまま、ユウは宿に向けて歩き続けた。王都の石畳は、前の街より少し硬い音がした。




