第三話 街道の霧と、嫌な予感の正体
二日目の朝、霧が出た。
宿場町を出た時点では薄かったが、一時間も歩かないうちに視界が白く塞がれた。街道の石畳は見えているが、その先が溶けるように消えている。
「こんな霧、おかしくないか」
トバスが首をひねった。この時期にしては異常だという。季節は初夏。朝霧が出る気候ではない。
ユウは霧の中に意識を向けた。
気配遮断極が周囲の情報を拾う。生き物の気配、風の流れ、土の湿り気。それらは正常だった。ただ、ひとつだけ引っかかるものがあった。
魔力の滲み。
空気に溶けるように、薄く、広く、漂っている。霧そのものが魔力を帯びているわけではない。でも、どこか遠くから流れ込んでくるような感覚があった。
(グレンが言っていた魔力異常、か)
街周辺で調査中だと言っていた。その範囲が、街道まで広がっているのかもしれない。あるいは、もっと広域の現象か。
「少しゆっくり歩いた方がいいかもしれないです」
ユウがそう言うと、トバスは表情を引き締めてうなずいた。ミアはユウの袖をそっと掴んだ。レンは無言で剣の柄に手を置いた。護身用の短剣らしい。使えるかどうかはわからないが、構えだけは様になっていた。
霧の中を三十分ほど進んだとき、街道脇の草むらが揺れた。
ユウは即座に三人の前に出た。
草むらから現れたのは魔物だった。体長二メートルほどのトカゲに似た生き物で、鱗が黒く変色している。通常種ではない。魔力を過剰に吸収して変異した個体、いわゆる「魔力汚染種」だ。
ユウには見覚えがあった。廃村のマナイーターとは違うが、同じ系統の現象だ。
魔物がこちらを向いた。
次の瞬間、その目が濁った。戦意が消えている。神の加護のスキルが発動した結果だ。魔物はそのまま踵を返し、霧の中へ消えていった。
後ろでミアが小さく息を呑んだ。
「……今、何をしたんだ」とトバスが言った。
「何もしてないです」
「でも魔物が」
「たぶん、私のことが嫌いじゃないんだと思います」
トバスは何とも言えない顔をした。レンが小さく「意味がわからない」と呟いたが、ユウには反論する言葉がなかった。自分でも仕組みはよくわかっていない。
その後も霧は晴れなかった。
街道を外れた林の中で、もう一度気配を感じた。今度は生き物ではなく、構造物だ。石造りの何か。ユウは少し迷ってから、「少し待っていてください」とトバスに告げて林に踏み込んだ。
草をかき分けて進むと、古い井戸が現れた。
苔むした石積み。縄は朽ちて切れている。使われなくなって久しい。ただ、その井戸の縁から、薄い魔力が漏れ出していた。廃村の井戸と同じ感触だった。
(こっちにもある)
根は繋がっているのか、それとも別の発生源なのか。ユウには判断できなかった。グレンに伝えるべき情報ではある。手帳を取り出して、場所と状況を簡単にメモした。
井戸の底を覗いても、暗くて何も見えない。風属性の魔法で空気を送り込んでみると、かすかに反響が返ってきた。深い。そして、底の方に何か固い構造物がある感触があった。
自然の井戸ではないかもしれない。
それ以上は今は調べられない。ユウは井戸から離れ、街道に戻った。
「何かあったか」とトバスが聞いた。
「古い井戸がありました。魔力が漏れてました」
「それが霧の原因か?」
「たぶん、原因のひとつかもしれないです。全部かどうかはわからない」
トバスが眉をひそめた。「王都に着いたら、ギルドに報告した方がいいか」
「そのつもりです」
ミアが霧の方向を見ながら言った。「霧って、悪いもの?」
「霧自体は悪くないです。ただ、原因が良くないかもしれないというだけで」
「難しいね」
「そうですね」
レンがまた小さな声で言った。「お前、こういうこと慣れてるのか」
「慣れてるというか、ゲームで似たようなことをよくやってたので」
「ゲーム?」
「……なんでもないです」
レンは首を傾けたが、それ以上は追及しなかった。
霧はその日の昼過ぎに薄れ始め、夕方には完全に晴れた。
二つ目の宿場町に到着したとき、空はきれいな橙色に染まっていた。ミアが「きれい」と言って足を止めた。トバスが「ほら、早く行くぞ」と苦笑しながら促した。レンは立ち止まらなかったが、少しだけ空を見上げた。
ユウも空を見た。
橙色の空。前世で見たことのない色ではないはずなのに、なぜかここで見るそれは少し違う重さがある。
(また窓を閉めるのが遅くなりそうだ)
そう思いながら、宿に向かった。
手帳のメモには、井戸の場所と、霧の範囲と、魔力汚染種の目撃情報が書き込まれていた。王都で誰かに渡すべき情報が、また一つ増えた。




