第一話 旅の始まり、あるいは何も考えていない男の朝
朝靄の中、ユウは街の南門をくぐった。
背負っているのは冒険者用の革鞄ひとつ。着替えが三日分と、干し肉と堅パンが少々。あとはポーチの中に金貨が数枚と、グレンからもらった封筒が一通。
荷物が少ないのは深く考えた結果ではなく、単純に「必要なものしか持たない」という前世からの習性だ。ゲームキャラクターのインベントリは容量有限。無駄なものを詰め込むのは下手なプレイヤーのやることだと、十年以上の経験が告げていた。
もっとも、今の自分に「容量」という概念はほぼ存在しないのだが。
「王都まで約五日、か」
ギルドでもらった地図を広げる。街道は整備されていて、途中に宿場町がふたつ。魔物の出没頻度は「中程度」と記されている。Aランク冒険者にとっては、ほぼ観光ルートに等しい。
ユウは地図を折りたたんで鞄に戻し、歩き出した。
特に感慨はなかった。
前の街での出来事を振り返ったり、これからのことを不安に思ったりという感情が、そもそも薄い。ゲームで言えば「次のフィールドへ移動する」程度の感覚だ。ただ、ひとつだけ頭の片隅に引っかかっているものがあった。
――また来る?
別れ際にエリスが言った言葉。あのとき自分は「たぶん」と答えた。嘘ではない。本当に「たぶん」だった。戻る理由があれば戻るし、なければ戻らない。それだけのことだ。
なのになぜか、その「たぶん」が少しだけ重かった。
(……バグか)
自己診断してみたが、原因不明。ユウは思考を打ち切って街道に視線を戻した。
朝の街道は人の往来が少なく、歩きやすかった。
三十分ほど進んだところで、ユウのスキル「気配遮断極」が周囲の情報を静かに拾い始めた。といっても、脅威らしい気配はない。鳥の羽ばたき、草むらを駆けるなにか小さな生き物、それから――
「……人が、三人」
街道から少し外れた林の中。隠れているつもりらしいが、気配遮断極の前では丸見えだ。殺意はない。ただ、じっとこちらを窺っている。
追いはぎにしては静かすぎる。
ユウは歩調を変えずに進みながら、軽く周囲を分析した。三人の体格は大人ひとりと子供ふたり。武器らしき金属の気配はあるが、構えていない。
(逃げてる側、か。たぶん)
立ち止まって、林の方向に声をかけた。
「隠れなくていいですよ。通り過ぎるだけなので」
しばらく沈黙。
それからがさりと葉が揺れて、男が出てきた。年齢は三十代後半。肩に擦り傷、服に泥。目が充血している。後ろに子供が二人、男の子と女の子。どちらも十歳前後で、怯えた目でユウを見ていた。
「……冒険者か」
男がユウの腰のベルトを見た。剣が下がっている。ギルドの認識票も見えていたはずだ。
「そうです」
「追われてる。馬車ごと荷物を奪われて、妻は……」
男の声が途切れた。
ユウは一秒待った。続きは来なかった。
「わかりました」とユウは言った。「追ってきた連中は今どこですか」
「街道の一本東、たぶんまだ野営してる。四人組で、剣を持ってた」
「そうですか」
ユウは地図を頭の中で展開した。一本東の道。距離にして三百メートルほど。
「少し待っててください。すぐ戻ります」
男が目を丸くする前に、ユウはすでに歩き出していた。
野営地はすぐ見つかった。
焚き火の跡と、散らばった荷物。馬車の残骸。四人の男たちが地面に座って酒を飲んでいた。略奪品を広げて笑い合っている。
ユウは気配遮断極を切った。
四人が一斉にこちらを向いた。
「あ? なんだてめえ」
「冒険者です」とユウは答えた。「その荷物、返してもらえますか」
男たちは顔を見合わせてから、笑い出した。
「一人で来たのか、ガキが」「度胸だけはあるな」「いい剣持ってるじゃねえか、それも置いてけ」
四人が立ち上がり、剣を抜いた。
ユウはため息をついた。ため息、というより、単純に息を吐いただけだったが。
「理由がないと動けないタイプなので、一応聞きますけど」
一歩踏み出す。
「返す気はないですか」
「あるわけねえだろ」
「そうですか」
次の瞬間、四人は全員地面に倒れていた。
ユウは剣を抜いていない。ただ、それぞれの首の後ろを正確に打っただけだ。死んではいない。しばらく起きないだけ。
散らばった荷物をひとまとめにして、ユウは野営地を後にした。
男は荷物を受け取って、しばらく黙っていた。
子供たちは荷物の中から毛布を引っ張り出して、ぎゅっと抱きしめていた。
「……礼を言う」男がようやく口を開いた。「名前を聞いていいか」
「ユウです」
「どこへ向かってる」
「王都」
男はまた黙った。それから、少し迷うような顔をして言った。
「俺たちも王都へ行く予定だった。妻の実家がある。……よければ、一緒に歩いてもらえないか。子供たちが怖がっていて」
ユウは子供たちを見た。女の子の方が、おずおずとこちらを見上げていた。泣いた跡が残っている。
「わかりました」
理由はある。それで十分だった。
四人は街道に戻り、王都へ向けて歩き始めた。
子供たちの足音が、朝の街道に小さく響いた。




