第8話 聖女の暴走と強制執行
王都のシステムダウンから数日が経過した。
私の屋敷は平和そのものだ。
ジークという最強の事務員(テレワーク皇帝)のおかげで、領地経営は盤石。
農耕一号のおかげで、食料事情も完璧。
おやつには、採れたてポテトのチップス(塩味)。
「……幸せね」
私はリビングで、ポテトをつまみながら寝返りを打った。
これが人生の到達点だ。
もう一歩も動きたくない。
しかし。
世界は私を放っておいてくれないらしい。
『警告。敷地境界線に多数の生体反応。武装しています』
『追記。対象集団より、有害物質レベルの悪臭を検知』
脳内のセキュリティシステムが、聞き慣れないアラートを鳴らした。
同時に、窓の外から拡声魔法のノイズ混じりの声が響いてきた。
『出てこい! 国賊リーゼ・フォン・アルメリア! 貴様の卑劣な罠は露見しているぞ!』
聞き覚えのある、そして二度と聞きたくなかった声だ。
「……はぁ」
私は深いため息をついた。
せっかくの午後のまどろみが台無しだ。
「……来たか、元婚約者殿が」
向かいのデスクで仕事をしていたジークが、顔をしかめて窓を見た。
「数百人規模の騎士団だ。……正気か? 王都の復旧を優先せず、兵力をこんな辺境に割くなど」
「彼に優先順位なんて概念はないわ。あるのは『自分のプライド』だけ」
私はのろのろと起き上がり、ジークが差し出してくれた手を借りて立ち上がった。
テラスへの窓を開ける。
瞬間。
プウン、と鼻が曲がりそうな異臭が漂ってきた。
「……うわ」
私は即座に、屋敷の空気清浄結界を最大出力(MAX)に上げた。
屋敷を取り囲むように、銀色の鎧を着た騎士たちが布陣していた。
その数、およそ三〇〇。
しかし、その鎧は泥と汚物で茶色く汚れ、顔色は土気色。
王都の下水爆発を浴びたまま、水不足で洗うこともできず、ここまで強行軍してきたのだろう。
そして中央には、やたらと装飾過多な馬に乗ったカイル王太子。
隣には、鼻をつまんで「くさいですぅ、帰りたいですぅ」と泣いているミナ様。
「汚い。不潔。衛生観念の欠如」
私はジークからハンカチを借りて、口元を押さえた。
あんなものを敷地内に入れたら、私の安眠空間が汚染される。
『リーゼ! 聞こえているだろう!』
カイルが魔法具の拡声器で叫ぶ。
『貴様は王都の管理システムに「管理者ロック」をかけ、国の財産を私物化した! これは明確な反逆罪だ! そのせいで聖女ミナの祈りが届かず、王都はパニックだ!』
すごい論理の飛躍だ。
私がメンテナンスしなかったから壊れたのに、私が壊したことに脳内変換されている。
しかも「ロックしたのが悪い」と来たか。素人が触れば暴走するからロックしたのに。
『だが、私は寛大だ! 今すぐ出てきてロックを解除し、王都を元に戻せば、死刑だけは免じてやる! 一生、地下牢でシステム管理をする名誉を与えよう!』
「……殺していいか?」
横で聞いていたジークが、底冷えする声で呟いた。
彼の手元で、万年筆がベキッと折れる音がした。
彼の背後には、揺らめくような漆黒の魔力が立ち昇っている。
「リーゼ。私が出る。あのような害虫は、帝国の軍靴で踏み潰すべきだ。……合図一つで、国境に待機させている精鋭部隊が介入する」
「いいえ、ジーク」
私は彼を制した。
気持ちは嬉しいけれど、これは私の「退職トラブル」だ。
それに、彼(皇帝)が出ていくと国際問題になる。
「私がやるわ。……お昼寝の邪魔をした罪は、重いのよ」
私はテラスの手すりに進み出た。
もちろん、強力な防臭・防御結界を張った上で。
私の姿が見えると、騎士たちがざわめいた。
泥だらけの彼らに対し、私は純白のドレスに身を包み、輝くような美貌(睡眠効果)を保っている。その格差に、彼らの士気が下がったのが見えた。
『やっと出てきたか、悪女め! さあ、大人しく捕縛されろ!』
「お断りします」
私は拡声魔法も使わず、しかし風魔法で声を運び、全員の耳元に直接届けた。
「カイル殿下。それは『罠』ではなく『仕様』です。そして『ロック』ではなく『安全装置』です。説明書も読めない方に、システムを触る資格はありません」
『うるさい! 口答えするな! 総員、突撃! その女を引きずり出せ!』
カイルが剣を振り下ろした。
騎士たちが、ヤケクソのような雄叫びを上げて殺到する。
三〇〇人の不潔な集団が、屋敷の玄関に向けて雪崩れ込む。
「侵入禁止」
私は指先を、指揮者のように優雅に振った。
屋敷の防衛システム。
モード切替。
『対軍隊・非殺傷制圧』。
「……『重力制御』」
ズンッ!!!!
世界が軋む音がした。
屋敷の周囲、半径五〇メートルの重力が、一瞬にして一〇倍に跳ね上がった。
「ぐあっ!?」
「な、んだ……体が……重……ッ!?」
突撃していた騎士たちが、見えない巨大な手に押し潰されたように、一斉に地面に伏した。
鎧の重さが仇になった。
誰一人として立ち上がれない。
芋虫のように地面を這いずり、泥水を啜っている。
『な、ななな、何をした!? 妖術か!?』
範囲外にいたカイルとミナ様が、腰を抜かして震えている。
「ただの物理法則よ」
私は冷ややかに見下ろした。
気分は悪の女王様だ。
いや、あちらが悪役なのだが。
「さて、殿下。業務連絡です」
私は事務的に告げた。
「王都のシステム復旧をご希望とのことですが、現在の私は民間人です。依頼されるなら、正規の『業務委託契約』を結んでいただきます」
『ぐ……な、なら契約してやる! 金か!? いくらだ!?』
「コンサルティング料込みで、着手金として国家予算の半分。加えて、ランニングコストとして毎月、王家資産の一割を頂きます」
『ふ、ふざけるなあああ! そんな金、払えるわけがないだろう! 国家予算の半分だと!?』
「払えない? では、契約不成立ですね」
私はにっこりと微笑んだ。
知っていた。今の傾いた王国にそんな支払い能力はない。
「交渉決裂です。お引き取りください。……ああ、その前に」
私は地面にへばりついている騎士たちを見た。
彼ら、本当に臭い。
このまま帰すと、道中の村々で疫病を広げてしまう。
元・管理者の情けとして、洗浄くらいはしてあげよう。
「『強制洗浄』」
ザパアアアアアアン!!
屋敷の屋根に設置された放水口から、高圧の水流が噴射された。
洗車機のような勢いだ。
騎士たちが水圧で転がり、鎧の隙間の汚れごと洗い流されていく。
「ぶべらっ!?」
「鼻に! 水が! ごぼぼ!」
「そして、返品よ」
私は仕上げの術式を起動した。
近くの街道にある「無人販売所」。
そこの物流ゲート(転送陣)の座標をハッキングし、ターゲットを「野菜」から「人間」に書き換える。
送り先は、王都の倉庫だ。
「さようなら。二度と来ないでね」
「『強制配送』」
ヒュン。
音が消えた。
一瞬にして、三〇〇人の騎士と、カイル、ミナ様の姿が消滅した。
後に残ったのは、水浸しになった庭と、静寂だけ。
彼らは今頃、王都の野菜倉庫に山積みになって転がっていることだろう。
着払いで。
「……ふぅ」
私は肩を回した。
たった数分の出来事だが、非常に疲れた。
労働だ。これは立派な労働だ。
「……見事だ」
背後から、感嘆の声。
ジークが目を丸くして立っていた。
「重力魔法に、大規模水魔法。そして既存の転移ゲートを逆流させるとは……。私の出番など、最初からなかったな」
「殺すと夢見が悪いもの。ゴミはゴミ箱へ、が鉄則よ」
「君は……本当に、私の予想を超えてくる」
ジークは呆れたように、しかしどこか誇らしげに笑った。
「だが、これで奴らも懲りただろう。……いや、逆か」
「ええ。次はもっとヒステリックになって戻ってくるわ」
カイルは諦めない。
自分の無能さを認めるくらいなら、国ごと心中するタイプだ。
次は、王家伝来の魔導兵器でも持ち出してくるかもしれない。
「面倒くさいわねぇ」
私は大きな欠伸をした。
「ま、その時はその時よ。……マリア、おやつのポテト、湿気てない?」
「揚げたてをご用意します、お嬢様」
「愛してる」
私はテラスから部屋に戻った。
窓を閉め、遮光カーテンを引く。
再び、完璧な安眠空間が戻ってくる。
外の世界がどうなろうと、私の平穏だけは、何人たりとも侵させない。
たとえ相手が、一国の王子だろうと。
……もっとも、次に私の前に現れるのは、王子よりも遥かに強大な「権力」――隣国皇帝としての、正式な「求婚」なのだが。




