第7話 王都の行政崩壊
平和だ。
世界はこんなにも静かで、理路整然とした場所だったのか。
私はリビングの特等席で、優雅に最高級茶葉の香りを堪能していた。
「……リーゼ。帝国西方エリアの物流コスト、計算が合わないぞ」
「んー? ああ、そこは山岳地帯だから『飛竜便』の特別チャージが含まれてるの。係数1・2を掛けておいて」
「なるほど、了解した。……よし、修正完了。これで今期の予算案は完璧だ」
私の隣――ローテーブルに向かい、鬼神のような集中力でペンを走らせているのは、ジークだ。
彼はこの数週間ですっかり、私の「同居人」兼「超・有能事務員」として定着していた。
帝国の皇帝としての公務をこなしつつ、私の領地経営まで完璧にサポートしてくれている。
まさに、一家に一台欲しいスーパー公務員だ。
「ありがとうジーク。貴方がいてくれて、私の睡眠時間が二時間増えたわ」
「礼には及ばん。……この『完全安眠環境』で仕事ができるなら、三日徹夜してもパフォーマンスが落ちない。むしろ感謝しているのは私だ」
彼はクマの一切ない、輝くような美貌で笑った。
どうやら私の結界は、社畜を「スーパー社畜」に進化させる効果もあるらしい。
まあ、Win-Winだから良しとしよう。
その時だった。
ビーッ! ビーッ! ビーッ!
私の手元にあった水晶板(タブレット型魔導具)が、耳をつんざくような警報音を鳴らした。
画面が真っ赤に点滅し、不吉な文字列を吐き出す。
【WARNING:王都メインサーバー、応答なし】
【ERROR:魔力供給ライン、断絶】
【CRITICAL:都市機能維持プロセス、強制終了】
「……おや」
私はカップを置いた。
ついに来たか。
私の退職から、ちょうど三十日目。
私が組んだプログラムの「有効期限切れ(Xデー)」だ。
「なんだ、その騒がしい音は」
ジークが手を止めて覗き込んでくる。
「王都からのラブコールよ。……いえ、断末魔の悲鳴かしら」
私は水晶板を操作し、『遠隔監視』モードを起動した。
王城の廊下に設置されている「警備用ゴーレム」の視覚共有回路に、バックドアから侵入。
空中に鮮明なホログラム映像が浮かび上がる。
◇
映像の中の王都は、控えめに言って地獄絵図だった。
まず、信号機代わりの『交通整理結界』が消滅している。
大通りでは馬車同士が衝突し、荷馬車が横転して道を塞ぎ、怒号が飛び交っている。
物流、完全ストップ。
次に、『自動清掃システム』の停止。
路地裏からゴミが溢れ出し、風に乗って生ゴミの悪臭が漂っているのが、映像越しでも伝わってくるようだ。
そして極めつけは、王城だ。
「……なんだあれは。城の周りに、暴徒が押し寄せているぞ」
ジークが眉をひそめた。
映像には、王城の正門に詰めかける市民たちの姿。
彼らは口々に叫んでいる。
「水が出ないぞ!」「トイレが流れない!」「結界が消えてスライムが入ってきたぞ!」
そう。
私が組んでいたのは、単なる事務処理システムではない。
上下水道のポンプ制御、害獣除けの都市結界、物流管理……。
王都という巨大都市の生命維持装置そのものだったのだ。
それを理解せず、メンテナンス担当者(私)を追放した結果がこれだ。
映像が切り替わる。
王城の地下、魔導管制室。
そこには、高価な衣装を汗でぐしょ濡れにした、カイル王太子がいた。
『ど、どうなっているんだ! なぜ動かない! 早く直せ! 余はトイレに行きたいんだぞ!』
彼は制御盤をバンバンと叩いている。
昭和のテレビじゃないんだから、叩いても直らないわよ。
『で、ですが殿下! この術式は複雑すぎて……解読不能です!』
『「エラーコード404:管理者が見つかりません」と出ていますが、意味がわかりません!』
宮廷魔導師たちが悲鳴を上げている。
当たり前だ。
そのコードは私が独自に最適化したオリジナル言語。
マニュアルなしで触れば、システムは自衛のためにロックされる。
『ええい、役立たずどもめ! ミナ! 君の「聖女の力」でなんとかならないか!?』
カイルが縋るように振り返る。
そこには、場違いにヒラヒラしたピンクのドレスを着た、ミナ様が立っていた。
『は、はい! 私にお任せくださいカイル様!』
ミナ様は自信満々に胸を張った。
『機械さんだって、きっとお腹が空いているんです! 私の「愛(魔力)」をお腹いっぱい注いであげれば、きっと元気になります!』
『おお、さすがミナだ! 頼む!』
彼女はそう叫ぶと、両手を広げ、制御盤のコアに向けて特大の聖属性魔力をぶっ放した。
あ。
私とジークの声が重なった。
「「馬鹿だ」」
精密機械の回路に、規格外の高電圧を流し込むようなものだ。
結果は火を見るよりも明らか。
ドガアアアアアアン!!
映像の中で、制御盤が火花を散らして爆発した。
魔導師たちが吹き飛ばされ、カイルのアフロのような金髪が黒焦げになる。
さらに、連鎖反応。
制御を失った下水処理システムのポンプが、あろうことか「逆回転」を始めた。
ゴボッ……ゴボボボボ……!!
王城の中庭にある優美な噴水から、清らかな水ではなく、茶色く濁った汚水が間欠泉のように噴き上がった。
美しい白亜の城壁が、一瞬にして茶色く染まっていく。
『きゃあああああ!? くさいいいいい! 私のドレスがぁぁ!』
『ぶべっ!? わ、王城が! 糞まみれだああっ!』
ミナ様とカイルの絶叫が、ノイズ混じりの音声で届く。
あまりに悲惨で、あまりに滑稽な光景。
プツン。
そこで、映像は途切れた。
現地のゴーレムが、爆発の余波に耐えきれず機能を停止したらしい。
「……」
「……」
リビングに、重苦しい沈黙が降りた。
私は静かに水晶板を置き、『ログ保存』ボタンを押した。
ついでに、『周辺諸国への証拠映像転送』も完了させておく。
『システム全損を確認。原因:外部からの不正な魔力注入(聖女)』。
よし、これで賠償責任は私にはない。完全な免責だ。
「……リーゼ」
ジークが、こめかみを押さえながら口を開いた。
その表情は、ドン引き半分、同情半分といったところだ。
「かつて……あれが君の婚約者だったのか?」
「黒歴史よ。記憶から削除済みです」
「……賢明だ。あれは、国を治める器ではない。ただの道化だ」
ジークは深い、深いため息をついた。
「終わったな、アルメリア王国は。インフラが死んだ都市は、三日でスラム化し、一週間で暴動により転覆する」
「そうね。まあ、自業自得よ」
私は冷めた紅茶を一口飲んだ。
本来なら「ざまぁみろ」と笑う場面かもしれない。
けれど、敵があまりに自滅的すぎて、乾いた笑いしか出ない。
「さて、ジーク」
私は彼に向き直った。
「そろそろ、来るわよ」
「何がだ?」
「『助けてくれ』という名の、強制連行(命令)がね」
あれだけの惨状だ。
プライドの高いカイルでも、なりふり構わず私を呼び戻そうとするだろう。
自分の排泄物にまみれた城で暮らしたくなければ、私の技術に縋るしかない。
「……ふん」
ジークは不敵に笑い、ペンを置いた。
その瞳に、皇帝としての冷徹な光が宿る。
「行かせるものか。君は今、私の専属契約者だ。あの泥船に戻る義務はない」
「あら、頼もしい。じゃあ、追い払ってくれる?」
「任せろ。……それに」
彼は窓の外、王都の方角を冷ややかに見やった。
「あのような無能に、君という才能を消費させるのは資源の冒涜だ。君はここで、私のために惰眠を貪っている方が、よほど世界平和のためになる」
「最高の褒め言葉ね」
私はクッションに深く身を沈めた。
彼なら、カイルごとき指先一つで追い返してくれるだろう。
王都がどうなろうと知ったことではない。
けれど、私の安眠を妨害しに来るなら話は別だ。
「マリア! 防衛システムのレベルを最大に上げておいて! 害虫駆除の準備よ!」
「承知いたしました、お嬢様! 既に『対・王立騎士団用弾薬』を装填済みです!」
廊下から、マリアの弾んだ声が聞こえた。
彼女もウズウズしているらしい。
さあ、来るなら来なさい。
汚物にまみれた王太子殿下。
この「引きこもり要塞」の鉄壁さを、その身で味わわせてあげるわ。




