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怠惰を愛する令嬢の誤算〜冷徹な皇帝が私の寝室で目を覚まさない〜  作者: 九葉(くずは)


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第6話 皇帝の不眠治療と業務委託契約

「……ん」


男が身じろぎした。

窓の外は、すでに茜色に染まっている。

彼が倒れてから三時間が経過していた。


私は読みかけの本を閉じ、ラグの上で丸くなっている「彼」を見下ろした。

規則正しい寝息。

死人のようだった顔色には赤みが差し、肌艶がよくなっている。

イケメン度が三割増しだ。

やはり睡眠は最高の美容液ね。


「……ここは」


男がゆっくりと目を開けた。

アイスブルーの瞳が、天井のシャンデリアを映し、次に私を捉える。


彼はガバッと跳ね起きた。

反射的に腰に手を伸ばすが、そこにあるはずの剣はない。


「剣ならあそこよ」


私は部屋の隅を指差した。

剣と、彼が隠し持っていたナイフ六本、毒消し薬、発煙筒などが綺麗に並べてある。


「……武装解除されたか。私が寝ている間に」


男は自分の手を見た。

悔しがるでも、怒るでもない。

ただ、呆然としていた。


「信じられん」


彼が呟く。

その声は震えていた。


「頭が……痛くない。体が、羽のように軽い。思考のノイズが完全に消えている」


彼は立ち上がり、軽く肩を回した。

その動きには、先ほどまでの「錆びついた機械」のような重苦しさがない。

流れるような動作だ。

全身に活力が満ち溢れているのが、魔力のオーラとして可視化されている。


「貴様、私に何をした?」


「寝かせただけよ。私の『完全安眠結界』の中でね」


私は紅茶(二杯目)を注ぎながら答えた。


「三時間……たったそれだけで、一週間分の疲労が消し飛んだ感覚だ。……最高級のエリクサー(霊薬)でも、精神の摩耗までは回復しないぞ」


男は私を凝視した。

警戒心は薄れている。

代わりに、砂漠でオアシスを見つけた遭難者のような、渇望と執着の混じった視線を感じる。


「名を、聞こうか」


「リーゼよ。この屋敷の主で、無職ニート


「……私はジークだ。ただの旅人だ」


嘘つけ。

ただの旅人が、そんな「決裁印を押すのが速そうなタコ」をしているものか。

まあいい。名前なんて記号だ。


「で? 元気になったなら帰ってくださる? そこ、私の夕寝のスペースなんだけど」


私はシッシッと手を振った。

だが、ジークは動かない。

むしろ、食い入るように私(正確には部屋の結界)を見つめている。


「リーゼ。商談だ」


彼は真剣な顔で言った。

瞳の奥で、青い炎が燃えている。


「この結界技術、私に提供しろ。金ならいくらでも出す。国庫……いや、私の全財産を積んでもいい」


「お断りよ」


私は即答した。


「なぜだ? 望む金額を言え」


「お金はいらないわ。それに、貴方に提供するということは、私が貴方の家(国)まで行って、結界を構築・メンテナンスしなきゃいけないってことでしょ?」


私は深いため息をつく。


「出張なんて死んでも嫌。移動時間が無駄だし、私の枕が変わると寝つきが悪くなるもの」


「……ぐ」


ジークが言葉に詰まった。

彼は部屋の中をうろうろと歩き回り、ブツブツと独り言を言い始めた。


「この環境を手放すのは惜しい……だが、連れ出すのは不可能か……ならば……」


彼は立ち止まり、何かを閃いた顔で私に向き直った。


「ならば、私がここに通う」


「はい?」


「あるいは住む。部屋の一角を貸してくれればいい」


「却下よ。邪魔だわ」


「邪魔にはならん! 私は……空間転移テレポートが使える。通勤時間はゼロだ」


転移魔法?

あれは王族級の魔力がないと使えない高等魔法のはずだが。

こいつ、何者だ?


「それでも嫌よ。男の人と同居なんて、マリアがうるさいし」


「メリットを提示しよう」


ジークは懐から一枚の羊皮紙を取り出した。

いや、それは羊皮紙ではない。

私がサイドテーブルに放置していた、領地の帳簿と税金計算書だ。

あまりに面倒で、見なかったことにしていた「パンドラの箱」。


「勝手に見ないでくれる?」


「これを見ろ。計算式が非効率だ。野菜の売上管理と税率の適用区分が雑すぎる。……ここだ。この計上漏れで、君は金貨五〇枚分の損をしているぞ」


「えっ」


金貨五〇枚。

高級羽毛布団が五枚買える額だ。


彼は懐からマイ万年筆を取り出し、猛烈な勢いで書き込みを始めた。


シュパパパパパパパ……ッ!


ペンの動きが見えない。

残像だ。

ページをめくる指の動き、インクを走らせる速度、すべてが神域。

まるで高速印刷機だ。


「終わった」


四五秒後。

彼は修正済みの帳簿を私に突きつけた。


「……嘘でしょう?」


私は目を疑った。

数日分の売上計算、経費精算、そして未来の税収予測までが、完璧な精度で埋められている。

しかも、私が「面倒だから」と適当に処理していた部分まで、法的に問題ない範囲で節税対策が施されている。


「な、何者……? 貴方、どこのブラック商会の経理部長?」


「事務処理なら任せろ。私は……昔、非常に大きな組織(帝国)で、膨大な決裁を処理していた」


ジークはふんと鼻を鳴らした。


「リーゼ。君はこの屋敷の管理や、増えすぎた野菜の商売に頭を悩ませているはずだ。君は『仕組み』を作るのは天才的だが、それを運用する『実務』をゴミのように嫌っている」


図星だ。

刺さりすぎて痛いくらいだ。


「私がそれを代行しよう。君が寝ている間に、面倒な書類仕事、外部との交渉、金銭管理……すべて私が片付ける。私の仕事(本業)もここに持ち込むが、君の邪魔はしない」


彼は私の目の前で、悪魔的な契約を持ちかけた。


「その代わり、私がこの部屋で眠ることを許可しろ。それが条件だ」


私はゴクリと喉を鳴らした。


書類仕事からの解放。

面倒な計算からの解放。

それは、私が求めてやまない「真のニート生活」へのラストピースではないか?


それに、この男の事務処理能力スペックは異常だ。

私と同等……いや、実務経験においては私を凌駕している。

こんな逸材(社畜)、ハローワークを探しても絶対に見つからない。

逃せば、私は一生、帳簿の山に埋もれて暮らすことになる。


私はマリアを見た。

部屋の隅に控えていたマリアは、蒼白な顔で首を横に振っている。

『お嬢様、その男の指……ペンダコが王族級です……危険です……』

何か言っているが、都合よく無視した。


「……ジークさん」


私はガシッと彼の手を掴んだ。

逃がさない。絶対に。


「採用よ」


「交渉成立だな」


ジークがニヤリと笑った。

大きくて、少し冷たい手。

だが、その握手は力強く、頼もしさに満ちていた。


「ただし、私の睡眠を妨害したら即解雇クビですからね」


「善処しよう。……ふ、久しぶりに頭が冴えている。これなら、溜まっていた法案の決裁も……いや、まずは君の領地の収支改善か」


ジークは嬉々として、虚空から自分の仕事道具(山のような書類)を取り出した。

空間収納まで持っているのか。

その背中からは、「働ける喜び」と「眠れる安心感」が同時に溢れ出ている。


変な男。

まあいいわ。

優秀な執事(兼・同居人)が増えたと思えば。


「マリア、夕食は二人分お願い。あと、彼用の枕も用意してあげて」


「……は、はい。承知いたしました(胃薬も用意しておこう……)」


こうして。

最強の怠け者(私)と、最強の働き者(皇帝)による、奇妙な同居生活が幕を開けた。

これが、この世界で初めて「テレワーク(遠隔執務)」という概念が誕生した瞬間だった。

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