第1話 管理者の追放
王立学園の卒業パーティー会場は、甘ったるい香水と悪意の熱気で満ちていた。
「リーゼ・フォン・アルメリア! 貴様との婚約を破棄する!」
カイル・フレデリック・アルメリア王太子殿下。
この国の次期国王であり、私の元・婚約者が、真っ赤な顔で怒鳴り声を上げていた。
その隣には、小動物のように震える(ふりをしている)男爵令嬢、ミナ様の姿。
音楽が止まる。
数百人の貴族生徒たちの視線が、一斉に私へと突き刺さる。
「……ふあ」
扇子で口元を隠し、私は誰にも見えないようにあくびを噛み殺した。
眠い。
昨夜、王都地下の下水処理システムの術式修正で徹夜したからだ。
早く帰って、最高級羽毛布団にダイブしたい。
「聞いているのか、この『怠惰な悪役令嬢』が!」
殿下が演劇がかった仕草で私を指差す。
「いつも眠たげで、公務を手伝おうともしない!」
「私が夜遅くまで執務室で書類と格闘している時も、貴様は早々に帰宅し、高いびきをかいて寝ているそうではないか!」
周囲から、「なんて不敬な」「やはり無能だ」と囁き声が漏れる。
なるほど。
彼にはそう見えていたのか。
殿下が「格闘している書類」は、私が早朝四時に起きて魔法で自動処理し、
『ここにはんこをおしてください』
と付箋をつけておいたものだ。
彼はただ、私の指示通りに腕を上下させていただけである。
私が定時に帰宅するのは、始業前に全タスクを最適化して終わらせているからだ。
これを「怠惰」と呼ぶのなら、この国の労働基準法はバグっている。
「貴様のような穀潰しは、未来の国母にふさわしくない! よって!」
殿下は、懐から羊皮紙の束を取り出し、私の足元に放り投げた。
バサリ、と書類が散らばる。
「辺境のヴェステリア領への追放を命じる! これは決定事項だ。さあ、泣いて詫びるなら、今だけは温情で……」
辺境。
ヴェステリア領。
その単語を聞いた瞬間、私の脳内回路が高速回転を始めた。
検索結果、表示。
『ヴェステリア領:王都から馬車で十日。
人里離れた魔境。
住民極少。
王都からの通信……圏外』
通信が、圏外。
つまり、王都からの「追加業務」も「緊急呼出」も届かない。
住民がいない。
つまり、煩わしい夜会も、派閥争いも存在しない。
……最高条件ではないか。
私は優雅に屈み込み、足元の書類を拾い上げた。
『辺境追放および領地蟄居命令書』。
署名欄が空白になっている。
「……殿下。確認させていただきますが」
私は懐から、愛用の万年筆(インク補充不要の魔導具)を取り出した。
「この命令は、摂政であらせられる殿下の、最終決定と捉えてよろしいのですね?」
「はっ、今さら震えても遅い! そうだ、私が法だ! 不服があるとは言わせな……」
サラサラサラ。
殿下の言葉が終わるより早く、私は署名欄にサインを書き殴った。
躊躇いゼロ。
所要時間、〇・八秒。
「謹んで、お受けいたします」
私は署名済みの書類を丁寧に整え、殿下……いえ、カイル様の胸に押し付けた。
会場が、しんと静まり返る。
カイル様が目を白黒させている。
「は……? う、受け入れた? 中身も読まずにか?」
「殿下の決定ですので。辺境での生活、身の引き締まる思いです」
嘘ではない。
いかにして快適な睡眠環境をゼロから構築するか。
そのプロジェクト立案に、今からワクワクしている。
クスクス、と周囲から失笑が漏れた。
「中身も読まないなんて」「自分の立場がわかっていないのよ」「やっぱり馬鹿な女」
嘲笑の嵐。
心地いい。彼らが私を馬鹿だと思っている限り、引き止められることはない。
すると、カイル様の腕の中にいたミナ様が、潤んだ瞳でこちらを見てきた。
「リーゼ様……強がらなくていいんですぅ。今すぐカイル様に土下座して謝れば、追放まではしなくていいって……ね? カイル様?」
「ああ、ミナは優しいな! そうだぞリーゼ、地べたに頭を擦り付ければ……」
謝る?
なぜ?
この「終身雇用・無給残業地獄」から、退職金(実家の手切れ金)付きで解雇してもらえるのだ。
感謝こそすれ、謝罪する論理的理由が見当たらない。
「お気遣い感謝いたします、ミナ様。ですが、決定は決定。覆すのは王家の威信に関わります」
私は完璧な角度でカーテシー(淑女の礼)をした。
「では、私は荷造りがありますので。これにて失礼いたします」
「お、おい待て! まだ話は……!」
制止を聞き流し、私は踵を返した。
ドレスの裾を翻し、出口へと向かう。
背後でカイル様が何か叫んでいる。
「後悔するぞ!」とか「野垂れ死んでも知らんぞ!」とか。
ふふ。
後悔?
私が歩くたびに、コツ、コツ、とヒールの音が響く。
そのリズムに合わせて、脳内でカウントダウンを開始する。
王都全域結界維持システム。
最終メンテナンス日時、昨日の午前五時。
次回の要魔力充填警告まで、あと28日と6時間。
私の魔力波長(ID)がないと、管理画面には接続できない。
パスワード?
もちろん設定してある。超難解な独自術式で。
誰にも教えていないし、引継書も作っていない。
だって、「怠惰な私」は仕事なんてしていないことになっている。
存在しない業務の引継ぎなんて、論理的に不可能なはずでしょう?
「さようなら、皆様。どうぞ、お健やかに(せいぜい頑張って)」
私は会場の扉を開けた。
夜風が吹き抜ける。
そこには、私の専属侍女であるマリアが、既に馬車の扉を開けて待機していた。
さすが元・暗殺者ギルドの事務方。仕事が早い。
「お嬢様。出発準備は完了しております」
「愛してるわ、マリア」
私たちは馬車に乗り込む。
扉が閉まり、遮音結界が展開された瞬間。
私はふかふかの座席に倒れ込み、天井に向けて拳を突き上げた。
「よっしゃああああああああああああ!」
「お嬢様、音が漏れます」
マリアが冷静に指摘するが、知ったことか。
「見た!? あのカイルの顔! これでやっと解放されるわ! 書類も! 夜会も! 予算折衝も! 全部終わり!」
「……おめでとうございます。長年の悲願(ニート生活)達成ですね」
「ええ! さあ、これからは辺境開発よ。目標は『世界一の引きこもり要塞』の建設!」
私はマリアの手を握りしめる。
「まずは寝るわ! 着くまで絶対に起こさないでね! あとおやつ!」
「承知いたしました。……よい夢を、リーゼ様」
私は座席のクッションに沈み込む。
意識が急速に泥の中へと落ちていく。
明日の朝は、目覚まし時計をかけなくていい。
その事実だけで、私はかつてない幸福感と共に、深い眠りへと落ちていった。
王都がこれからどうなるか。
システム崩壊まで、あと一ヶ月。
それはもう、退職した私の知ったことではない。




