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ジュニア冒険者 ユイと包丁術

作者: 優湊


挿絵(By みてみん)



 わたしはユイ。

 ジュニア冒険者をしている。


 今日は、ちょっと変な日だ。

 “学習クエスト”の会場が家で、先生がママなのだから。


「ユイ、包丁、出してくれる?」


 台所からママの声がした。


「いつもの?」


「うん。全部」


 引き出しを開ける。

 三徳、出刃、刺身、パン切り、ペティ。


 一本ずつ、布の上に並べていく。

 使い慣れた包丁たち。どれも、家の道具だ。


 そのとき、インターホンが鳴った。


 玄関に立っていたのは、女性と、わたしと同じくらいの女の子。

 肩までの髪。少し緊張した表情。


「おはようございます」


 女の子は、ぺこっと頭を下げた。


「……チカです。ジュニア冒険者です」


 隣の女性も、軽く会釈をする。

 お母さんだと思った。


「おはようございます。今日はよろしくお願いします」


 そのあともインターホンが二度鳴り、受講者がひとりずつ増えていった。


 台所には、大人が四人、子どもが二人。

 いつもの家なのに、少しだけ空気が違う。


「揃いましたね。では、始めましょう」


 ママはそう言って、全員を見渡した。


「今日は、包丁術レベル4の講義です」


 その言葉に、少し背筋が伸びる。

 その受講者のひとりが、わたしだ。


 冒険者のスキルは、レベル4までは自分で決められる。

 学校で学んだこと。

 家で覚えたこと。

 趣味や習い事で身につけたこと。


 ――できると判断するなら、スキルにしていい。


 だから、ママから日々教わっているわたしは、

 〈包丁術〉をレベル3に設定している。


 ママと目が合う。

 わたしが小さくうなずくと、ママも微笑んだ。


 ……次の言葉を聞くまでは。


「切り方は、教えません」


 え?


「今日は、包丁を使いません」


 ええ?


 台所が、ざわっとした。

 たぶん、みんな同じ顔をしている。


「今日は、包丁を持たない包丁術です」


 そう言って、ママは冷蔵庫を開けた。


 出てきたのは――

 にんじん。だいこん。玉ねぎ。

 鶏むね肉。魚。


「これを、切りません」


 調理台に食材を並べながら、ママは言う。


「代わりに、見て、触れます」


 受講者のひとりが、恐る恐る聞いた。


「……何を、ですか?」


「繊維。水分。形」


 ママは、にんじんを手に取った。


「これは、縦に繊維が走っている」


 指で、すっとなぞる。


「横に切ると、甘みが出る。

 縦に切ると、歯ごたえが残る」


 切っていないのに、

 切ったあとのことが、はっきり浮かぶ。


「切る前に、切った後を想像してください」


 それは、ママがわたしによく言う言葉だった。


 次は、魚。


 ママは、魚の目を見る。

 身に触れ、腹とえらを確かめる。


「この魚は、刺身にしない方がいい」


「え? 新鮮そうですけど」


「新鮮でも、向き不向きはある」


 ママは、静かに続けた。


「身が、少しゆるい。

 焼くか、煮たほうがいい」


 包丁は、まだ手に取られない。


「包丁術は、切る技術だけじゃない」


 ママは、全員を見渡して言った。


「刃の技でもあります。

 でもそれ以上に――

 食材をどう使うかを判断する技術です」


 誰も、口を挟まなかった。

 ただ、うなずくだけ。


 ひとりが、ようやく聞いた。


「……じゃあ、包丁は、いつ使うんですか?」


「最後です」


 ママは、きっぱり言った。


「もう、迷いがなくなってから」


 その言葉は、強かった。


 講義の終わり。

 ママは、包丁を一度だけ持った。


 にんじんを、一本。


 とん。

 とん。

 とん。


 音が、ぶれない。


 速くない。

 でも、迷いがない。


「実際に切るのは、次からです。

 今日は、これで終わります」


「ありがとうございました」


 受講者たちは、順に帰っていった。


 キッチンに残ったのは、わたしとママだけ。


「どうだった?」


「……いつも言ってることだった」


「うん」


「でも、大事だなって、改めて思った」


 ママは、少しだけ笑った。


「ユイは、もうすぐレベル4だね」


「ほんと?」


「うん。わかってるから」


 胸が、あったかくなる。

 同時に、背筋も少し伸びた。


 包丁術は、切る技術だけじゃない。

 刃の技であり、

 生きものと、食べものを、ちゃんと見る技術。


 夜。

 にんじんは、今日の食材。


「いただきます」


 切り方が、いつもと違う。

 でも、味が、よくわかる。


 わたしはユイ。

 ジュニア冒険者。

 包丁術レベル3。


 でも、もう知っている。


 切る前に、見て、触れて、確かめること。

 それが、いちばんむずかしい。


 だから――冒険なんだ。





 二回目の集合場所も、家だった。


「今日は、包丁を使います」


 ママが、静かに言った。


「では、始めましょう。

 包丁と、食材を出してください」


 今日は、それぞれが持参した包丁で、

 それぞれが選んだ食材を切る日だ。


 ユイがまな板の上に置いたのは、一匹のスルメイカ。

 触ると、指に吸い付くような感触がある。


 チカは、真鯵だった。

 一尾まるごと。

 銀色の体が、台所の灯りを受けて鈍く光っている。


「まずは、ユイから」


 ママが言う。


「普段切るときと、同じように包丁を握ってください」


 ユイは、いつもの三徳包丁を持った。

 その音に合わせるように、みんなが一歩、後ろに下がる。


 台所は広くない。

 一人ずつ、順番だ。


「その前に」


 ママが続けた。


「何をするか。

 動く前に、言葉にしてください」


 ユイは、包丁を持ったまま、スルメイカを見る。


「……えっと」


 少し考えてから、正直に言った。


「イカって、どう捌くの?」


「そうよね。ユイ、初めてよね」


 ママは、すぐにうなずいた。


「手順は教えるわ。

 でも――」


 一拍、置いてから。


「最初は、包丁は使いません」


 ユイは、思わず目を瞬かせた。


「まずは、胴からワタを抜き取るの」


 ママは、イカの胴に指を入れる。


「刃はいらない。指で、ゆっくり」


 ユイも、同じように触れた。

 ぬるりとした感触。


 少し怖い。

 でも、思ったより、壊れない。


「急がなくていい」


 ママの声は、すぐそばにある。


「引きはがすんじゃなくて、

 離す、って考えて」


 ユイは、胴の中をなぞるように、指を動かした。


 ずるり。


「……取れた」


 ワタとゲソが、つながったまま出てくる。


「うん。上出来」


 ママは、少しだけ笑った。


「次は――」


 イカを見てから、ユイを見る。


「焼くんだよね?」


「うん」


「だったら、皮は取らなくていいね」


 ユイは、小さくうなずいた。


「じゃあ、次」


 ママは、ワタとゲソの付け根を指さす。


「ここで切り離す。

 ここから、包丁を使います」


 ユイは、包丁を持ち直した。


「刃は立てない。

 目の上に、そっと当てて」


 イカの目のすぐ上。

 硬いくちばしの、少し手前。


「押し切らない。

 刃先を、滑らせるだけ」


 力を抜く。


 こり。


 小さく、確かな感触。


「あ……」


 ゲソとワタが、きれいに分かれた。


 ユイは包丁を置き、ママを見る。


「よくできたね。

 一旦、ここまでにしよう」


 そして。


「次は、チカ」


 チカは、一歩前に出た。


「どうして、鯵を選んだの?」


 ママが聞く。


 チカは、少し考えてから答えた。


「……家で、魚は切り身しか使わなくて」


「うん」


「だから、丸の魚をやってみたくて」


 一拍、置いて。


「野菜しか、切ったことないから」


 その場に、静かな納得が落ちた。


「いい選び方ね」


 ママは、すぐに言った。


「じゃあ、包丁を持って」


 チカは、柄を握る。


「その持ち方は、いつもと同じ?」


「……はい」


「魚はね」


 ママは、チカの手元を見る。


「もう少し、軽く」


 柄を強く握らせない。

 指の付け根で、包丁を支える。


「人差し指、少し立てて。

 刃の向きを感じるため」


 包丁の背に、人差し指が添えられる。


「猫の手は、いらない」


 ママは言った。


「魚は逃げない。

 押さえるんじゃなくて、支える」


 反対の手は、腹側に添えるだけ。

 力は、入れない。


「まず、何をする?」


 チカは、鯵を見る。


「……うろこ、ですか」


「そうだね」


 ママは、すぐにうなずいた。


「魚は、まず鱗」


 鯵の尾を、軽く持ち上げる。


「刃じゃなくて、背を使うよ」


 チカの包丁は、家庭用の三徳包丁。

 野菜には十分でも、魚には少し大きい。


「刃は寝かせて。

 逆向きに、尾から頭へ」


 ママは、空中で角度を示した。


「力はいらない。

 こする、って感じ」


 チカは、言われた通りに包丁を当てる。


 しゃり。


「……取れてますか?」


「取れてる」


 ママは即答した。


「飛ばさないように、布を近づけて。

 家でやるときのコツね」


 もう一度。


 しゃり、しゃり。


 銀色の鱗が、布の上に落ちていく。


「こんな使い方、初めてでしょう」


「……初めてです」


 チカは、正直にうなずいた。


「野菜は、押して切ることが多いけど」


 ママは続ける。


「魚は、骨に沿って切ったり、

 引いて切ったりする」


 チカの手が、少しだけ緩む。


「次」


 ママは、鯵の側面を指した。


「ここ。硬い線。

 ぜいごっていうの」


「聞いたこと、あります」


「取らないと、ここで手を切るからね」


 今度は、刃を使う。


「深く入れない。

 表面を、滑らせるだけ」


 人差し指は、背に添えられたまま。


 すっ。


 短い一線。


「……取れた」


「できたね。反対側も」


 チカは鯵を返し、同じように刃を入れる。


「次は、内臓」


 ママが言った。


「腹を切る。

 刺さない。

 刃元を使って、開く」


 チカは、息を整えた。


 野菜を切るときより、ずっとゆっくり。


 する。


 腹が、自然に開く。


「……あ」


「怖い?」


「……はい」


「そうだよね」


 ママは、静かに言った。


「ちゃんと、いただこうね。

 命を」


 内臓を外し、血合いを洗う。


「一旦、ここまで」


「次。リュウジ」


 それからも順番に、持ち寄った食材に包丁を入れ、

 下処理だけを、丁寧に進めていった。


―――


 全員が下処理を終える頃には、予定時間を過ぎていた。


「おつかれさま。

 次回も同じように持ち寄りましょう。

 コツを学びながら慣れていくの。

 各自、自分の時間で練習するのも大事ね。

 講義はあと2回。

 その後は試験を行います」


 ママの言葉に、ユイは深く頷いた。

 隣に立つチカも同じく頷いている。


「では、解散としましょう。

 ありがとうございました」




 その後、講義は予定どおり二回行われた。

 わたしは一回目に真鯵を、2回目にスルメイカを選んで包丁術を磨いた。

 

 出刃、刺身、三徳。各種包丁を。

 持ち方、立てない切り方、引く感覚を。

 魚とイカ、それぞれで「どこで包丁を使い、どこで使わないか」を学んだ。


 さらに、日頃のお手伝い。

 ネギを切るときは人差し指を伸ばしてみよう。

 キャベツを切るときは刃先を立て方がいいかな。


 ――切る前に、考える。


 そんな意識が、自然に芽生えていた。


 そして、今日。


「では、試験を始めます。

 最初はユイ。他の人は、後ろで見ていてください。

 危ないときだけ、止めます」


 それだけ告げて、ママは一歩下がった。

 場所は、いつもの家の調理場。

 まな板に置かれたのは、スルメイカ。

 ユイが自分で選んだ食材だ。


 ユイは、包丁を置いたまま、深く息を吸った。


「……胴から、ワタを抜く」


 小さく言葉にしてから、指を入れる。


 ぬるり。


 引っかからない。

 慌てない。


 ずるり。


 ワタとゲソが、つながったまま外れた。


 ユイは一度だけイカを置き、

 次の工程を、頭の中でなぞる。


 包丁を取る。


 刃は、立てない。

 目の上。

 滑らせる。


 こり。


 その感触は、もう知っている。


 切り離されたゲソを脇に置き、

 胴を輪切りに、ゲソを三つに分ける。


「できました」


 包丁を置いたユイは、ママを見る。

 ママの表情は、笑っても、怒ってもいない。

 ただ真剣だった。


「いいね」


 ママは短くそう言って、スルメイカの身を冷蔵庫へ

 続けて真鯵を手に持ち、チカを見る。


「次は、チカ」


「はい」

 

 チカは、包丁を持つ前に、少しだけ鯵を見た。


 逃げない魚。

 でも、油断すると怪我をする魚。


 包丁を取る。

 尾を持ち上げ、包丁の背を当てる。


 しゃり。


 一度で、鱗が落ちる。


 しゃり、しゃり。


 布に寄せ、飛ばさない。

 音が、前より小さい。


 次は、ぜいご。

 刃を立てず、表面をなぞる。


 すっ。


 一線で、取れた。


 チカは、そこで一瞬、手を止めて腹を見る。


 怖さは、ある。

 でも、前に進めないほどじゃない。


 刃元を当て、押さずに、開く。


 する。


 腹が、静かに割れた。

 

 内臓を外し、血合いを洗う。

 水音だけが、台所に残る。


「……終わりました」


 チカの声は、少し低かった。

 ママが前に出て、鯵を確認する。


 切り口。刃の入り。余計な力の跡。


「いいね。次はリュウジ」


 ママは、表情を崩さず言った。

 

 チカはユイを見る。

 ユイはふっと笑った。

 

 チカも、つられて頬を緩める。


「おつかれ。

 いい感じだったね、チカちゃん」


「うん。 ユイちゃんも」


―――


 全員の試験が終わると、ママは静かに言った。


「みなさん、おつかれさま。

 全員合格です」


 一泊置いてから、


「包丁術レベル4。

 おめでとう」


「「やった!」」


 ユイの声に、チカの声が重なる。

 大人の冒険者たちも、それぞれ笑みを浮かべていた。


「レベル5までは、幅を広げる段階です」


 ママは続ける。


「もっといろんな食材に、

 いろんな包丁に、処理に、切り方に。

 触れてみてください」


「「はい!」」


 返事が、重なった。

 

 包丁は、怪我をするかもしれない、怖い道具だ。

 ユイは、今日もその刃を何度も意識した。


 でも同時に思う。

 知らなかった感触に触れ、

 できなかったことが、できるようになる。


 これは――

 未知へ踏み出すための、冒険の道具だ。


 次は、どんな食材に挑もうかな。

 


最初の物語へ

ジュニア冒険者ユイと魚の養殖

https://ncode.syosetu.com/n1969lr/

次の物語へ

ジュニア冒険者 ユイとママの仕事クエスト

https://ncode.syosetu.com/n2037lr/

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― 新着の感想 ―
包丁術という日常的な技能を冒険のスキルとして丁寧に描く視点が新鮮で驚きました。特に最初は包丁を持たず食材に触れて理解を深めるという教え方は理にかなっていて納得感がありますし、ユイがイカのワタを抜く時の…
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