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第五話 鮪浜香澄(しびはま・かすみ)

 鮪浜香澄は一見してどこにでもある住宅街を歩いていた。足元にはペットの白猫がぴったりとついてきている。


 空は明るいような暗いような、明け方なのか夕方なのか判断できない色に染まっている。


 車一台、人っ子一人、猫一匹すれ違わない。音もない。風もない。匂いもない。香澄たち以外の動きがない。時が止まったような、すべてが作り物めいた町。


 香澄はただ白猫と一緒に散歩を続ける。




 誰もいないのをいいことに、香澄は塀の上を跳び歩いたり、墓地を我が物顔で探検したり、細い路地を覗いたり、知らない人の家の庭に足を踏み入れたりした。白猫はその間もずっと香澄の足元に寄り添い、時には先導し、時には付き従った。




 信号のない、とある小さな交差点に差し掛かったとき、香澄は角から出てきた人影と不意にすれ違った。


 人影は顔のない男だった。骨張っていて顔の凹凸はあるが、目や鼻や口、眉毛などはなかった。


 香澄はギョッとしてその場を離れようとしたが、顔のない男は香澄の肩を掴んで顔を覗き込んできた。おかしなものでも見るがごとく、首をかしげる。と、首に骨や筋肉が無いかのように、直角に近い角度で男の首が横に折れ曲がった。


 今度こそ悲鳴を上げて逃げ出そうとする香澄だったが、男は香澄の腕を強く掴んで離さない。すると、危ない目に遭っている香澄に気が付いたのか、足元の白猫が高くジャンプして男の顔面に爪を鋭く立てて引き裂いた。


 血は出なかったが、男はひるんだようだった。その隙に香澄は腕を振り払って逃げ出した。




 夢中で走って気が付けば見知った病院に来ていた。香澄のかかりつけの医院である。ホッと一息つくと、それまで足元にいた白猫が、急に香澄の胸に飛び込んできた。慌てて抱き留めたが、足に力が入らず、尻もちをついてしまう。そしていつの間にか、抱き留めたはずの猫は消えてしまっていた。




● ● ●




 香澄は自宅のベッドで起床した。清々しい朝だ。セミも元気に鳴いている。


 何か変な夢を見ていた気がする。奇妙な街を散歩したり、謎の化け物に襲われたりする夢。昨夜テレビでやっていた都市伝説を検証するホラー番組を見たからかもしれない。


 しかし、よくよく考えればすぐに夢と気づけそうなものだ。昨年まで飼っていた白猫の大福はもう死んでしまったし、そもそも自分は病気の後遺症でもう歩くことができないのだから。




 以前まで香澄が患っていたのは拡張型心筋症という心疾患だった。心臓の筋肉が薄く大きくなり、収縮力が低下して全身に血液を送れなくなる病気である。


 香澄の場合、幸いにもというと不謹慎かもしれないが、昨年に心臓のドナーが見つかった。心臓を移植した後も順調に快復しているところである。


 ただ、移植までに容体が悪化し、一時は心臓が止まった。なんとか生きながらえたが、脊髄の虚血によって下半身に麻痺が残ってしまった。




 とはいえ、ドナーが見つからなければ余命数か月だった身としては、命があるだけで儲けものである。香澄はこないだお礼の手紙を書いたドナーの誰かとその遺族に今日も手を合わせ、身支度を整えることにした。今日はオープンキャンパスに行く日なのだ。




 香澄は長い闘病生活のせいで高校を卒業できていないが、高卒認定試験を受けるつもりだった。そしてその後、芸術系の大学に進学したいと考えていた。




 外で遊べない分、インターネットが遊び場だった香澄は、そこで色々なコンテンツに触れる機会を得た。音楽、イラスト、小説、アニメ、ゲーム、漫画、バーチャル配信者。


 それらは病院から動けない香澄を広い世界に連れ出してくれた。


 だから、迫っていた死が嘘のように遠ざかったとき、自分も誰かを楽しませる側になりたいと思った。ならなければならないと感じた。


 だから具体的にどのコースや学科に行きたいなどはまだ考えていないが、とりあえず美大か芸大にと思ったのだった。




 部屋の外から大きめの声が聞こえた。母だ。早く起きて支度をしろということらしい。すでに支度を始めていると返して、香澄は車椅子に座った。


 今日は母もついて来てくれるという。一人でも大丈夫だと思ったが、初めて行く場所だから困ることもあるかもしれないと言って譲らなかった。


 香澄は母が用意してくれた朝食もそこそこに家を出た。




● ● ●




 美大のオープンキャンパスは盛況だった。広い敷地の施設内外に学生たちの作品展示や物販スペースがずらりと並んでいる。


 お盆だというのに学生の数も多く、サークルの客引きや自作ゲームの実演などでやかましいくらいだった。車椅子の香澄は単純に目立つため、特に勧誘や声かけをされる機会が多かった。声をかけてくれる中にはコスプレをした人などもいて、そういうイベントに行ったことがない香澄には新鮮だった。




 学部やコースの説明会まで時間に余裕があったので、学生主催のイベントステージの方に行ってみたところ、ちょうどライブをやっているところだった。


 バーチャル配信者のコスプレをした学生たちが歌って踊っている。センターにいるのは凪野みなものコスプレをした人だった。興味を惹かれた香澄は、母に頼んでステージに寄ってもらうことにした。




 香澄も凪野みなものファンの一人だった。入院中もよく配信を見て楽しませてもらったものである。


 だから、心臓移植が終わってすぐ訃報を知ったときには大きなショックを受けた。


 彼女も自分と同じように致死性の持病を持っていたということらしい。彼女はこの世を去り、自分は助かった。


 香澄は『土砂降りラブリー❤エブリデイ』を披露するコスプレ学生を見ながら、運命の数奇さをしみじみと感じるばかりだった。




 説明会の時間になったので大講堂に移動した。上下二枚の黒板の前に教壇があり、部屋の後ろに行くにしたがって段々とデスクと席の位置が高くなっていく扇形のホールである。


 香澄は一番高い位置にある最後列のあたりから説明を聞くことにした。


 各学部の長たちが、学科やコースの説明をしていく。


 香澄が思っていたよりも色々なことができるようだった。ゲームクリエイターになるコースや、イラストレーターを目指すコース、建築、陶芸、織物、版画など様々である。


 しかし、どれも魅力的ではあったものの、香澄にとってはどれも決定打に欠けていた。




「……どうだった?」


 説明会が終わった後、車椅子の後ろで一緒に説明を聞いていた母が香澄に聞いた。


「うーん、どれも興味はあるけど、『これだ!』って感じのコースはないかなあ」


「そっか」


「うん。……ごめんね付いて来てもらったのに」


「何言ってるの。私が心配で勝手に付いてきただけなんだから気にしなくていいわよ」


「うん……」




 クリエイターになりたいという衝動のままオープンキャンパスに来てみたはいいものの、説明会での手ごたえは空振り。自分の考えの甘さに打ちのめされることとなった。意気消沈して帰り支度を始める。




 そんな帰り際、エントランスに差し掛かったあたりで、香澄に声をかけた人物がいた。振り返ってみると、見知らぬ女性が立っていた。


 香澄が母と共に不審げな視線を返すと、その女性は慌てて両手を左右に振り、弁解をしつつ声をかけた理由を語った。


 聞けば、説明会の前のイベントステージで凪野みなものコスプレをしていた人だった。車椅子の香澄が目立っていたのと、熱心に観覧してくれていたので気になっていたようだった。香澄も何度か目が合ったことは覚えていたので、その女性が語ったことは本当なのだろうと思った。




 そして、声をかけた理由としては、単純にサークルへの勧誘だった。バーチャル配信者のオタクの集まりで、コスプレをしたり、自分たちで配信活動をしたりしているという。


 たしかにこういう大学なら自分でキャラクターのイラストを描けたり、イラストをもとに動くモデルを作ったりする技術を持った人も珍しくないだろう。入学したらぜひうちのサークルへ! と言い残してその女性は去っていった。




「勧誘されたけど、そういうのは興味ある?」


「……なくはないし、車椅子でも配信なら活動できるから悪くはないと思うけど……」


 将来の進路も決めていないのに、サークル活動がしたいからこの大学に決める、というようなことはあまりしたくなかった。そんな香澄の考えを読んだのか、母が言った。


「難しく考えなくても、香澄がやりたいと思ったことができるならそれでいいんだからね」


 そしてこう続けた。


「香澄が生きてやりたいことをしていれば、それだけでいいんだから」


「……うん」


もしこの大学に入学することになったらさっきのサークルに顔を出してみようと思いつつ、今度こそ香澄たちは帰途に就いた。




● ● ●


 


 帰宅後、香澄は自分の部屋で虚空を見つめていた。進路のことだ。一年前まで進路のことなど考えもしなかった。どうせ自分は死ぬのだからと思っていた。


 だから、命が助かって嬉しかったとともに、戸惑いも大きかった。どうやって生きていくのか。同年代の子らはどのようにして意思決定しているのか。




「わかんね~~~~~」


 ほぼ学校に行っていないせいなのか、自分が考え無しすぎるのか、とにかくどうやって進路を決めたらいいのか分からなかった。


 少し調べてみると、学校には進路指導というものがあり、学校の先生が進路を一緒に考えてくれるのだそうだ。


 しかし香澄には高校に行っていない。病院の主治医の先生も進路指導の専門ではないだろう。両親は生きていれば何でもいいと言うが、いつどんなことが起こるとも限らない。自立できるようにしておくに越したことはない。




「……はあ」


 悩みすぎて頭が疲れてしまった。香澄は眉間を揉みながら、息抜きにSNSを開いた。するとすぐに、バーチャル配信者、亜月こおりの動画リンク付きの投稿が目に入った。




『みなちゃんが! 去年まで作ってたんだって!』


 亡くなった凪野みなもが生前に作っていた動画らしい。亡くなった後に調整や確認作業を経て、一年越しにようやく公開したということだそうである。新曲か何かだろうかと思ってリンクを開いてみた。




「まじか」


 リンク先の動画は数分間のアニメーションだった。学園ものアニメのプロモーションムービーのような雰囲気で、凪野みなもを含む、同会社の所属タレントたちが学生服姿で生き生きと動いている。


 バックで流れているポップで甘い曲も凪野みなもが歌っているようで、未公開の新曲である。


♪ ハートぎゅんぎゅん駆動中 もっと見せて君の宇宙


♪ なんでもない顔 氷の仮面 揺れる心は水面下


♪ 波間にのぞくこの気持ち いつか伝えるこの気持ち 




 そして何よりも香澄の目を引いたのが、登場するタレントのたちの作風が凪野みなものものだったことである。


「もしかしてこれ、全部……?」


 動画の最後のスタッフロールを確認すると、企画、構成、脚本、キャラクターデザイン、絵コンテ、音楽制作、演出などアニメーションの骨子に関わるほぼすべてを凪野みなもが担っていた。


 そしてスタッフロールの最後に、総合プロデューサー凪野みなもとしてクレジットされていた。




「すごすぎる……」


 生前からとんでもないクリエイターだと思っていたが、ここまでとは思っていなかった。凪野みなもの実年齢は知らなかったが(永遠の十代とか言っていた)、おそらく三十歳前後だろう。


 自分があと十年ほどでそこにたどり着けるかと聞かれるとかなり怪しい。




 だが香澄は、みなもの動画を見て何か掴めそうなものがあった。引っかかったのは、総合プロデューサーという単語。


 プロデュース。


 企画・制作・管理を総合的に行うこと。




「!」


 心臓が跳ねた。多少は自分で絵が描けることもあって、クリエイターになることばかり考えていた。


 だが、楽しいコンテンツを届けるためには、クリエイターだけでは成立しないことも多い。イベントなどでは予算や人材の管理、会場の設営などが必要だし、新規事業などでも企画やコンセプト設計が必要なはずである。


 こういったものを何と呼ぶのか香澄には分からなかった。香澄は今日行ったオープンキャンパスのパンフレットや説明会の資料を引っ張り出した。クリエイター養成学科ではないコース。これまで自分が見落としてしまっていた部分を注意深く読んだ。




 あった。アートプロデュース学科。


 イベント等の骨組みを作るスキルや、実施計画書の作成や各種申請業務のスキルを実践形式で具体的に学ぶことができるらしい。


 卒業生たちの活躍を見ると、大規模なフェスやライブの統括、ゲーム大会や展覧会の運営など、かなりの広範囲に及んでいる。




 これだと思った。多くの人に楽しいものを届ける。クリエイターの作品を世に広める。そのためのサポートをする。


 自分がクリエイターになるもの悪くないが、そういう道もあったのだ。


 香澄は自室から出てリビングに来た。広々としたリビング。車椅子の香澄が移動しやすいよう、障害となるようなものは排除されている。キッチンの方へ目をやると、母が夕飯の用意をしているところだった。香澄は前のめりになって声をかけた。


「お母さん! これ見て!」




● ● ●


 


 その夜、香澄は凪野みなもの経歴や実績を眺めていた。この世を去ってなお世界に大きな影響を与えるトップ配信者。そして、間違いなく世界最先端を走っていたクリエイター。


 尊敬するクリエイターを一人挙げろと言われれば、香澄も凪野みなもを推すだろう。




 香澄は自室を見回した。そういえば、彼女のグッズは買ったことがなかった。というか、どうせ死ぬと思っていたからグッズ系はそもそも集めていなかった。


 香澄はフリーマーケットアプリを開いた。お小遣いの範囲で彼女のグッズを何か買って飾っておきたいと思った。


 そうすると、ちょうど数分前に大量の凪野みなもグッズの出品があったようだった。




『新生活のため手放します。全品ほぼ未開封です(出品者:人畜無害)』


 香澄はもう一度自室内を確認し、一番上等なフィギュアを選んで購入した。

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