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第二話 海老瀬花恋(えびせ・かれん)

 ドットで描画された夏のビーチ。煌めく波しぶき、揺らめくヤシの木、ちょこちょこ這い回る小さいカニ。そして、白い砂浜の上を右方向に向かって走るミニキャラ。


 オレンジ色の髪と水色の瞳。そのデフォルメキャラは、ポップで軽快なBGMのリズムに合わせてピコピコと走り続ける。青空には粗いドットの文字で「配信待機中!」の文字がカラフルにアニメーションして浮かんでいる。




 ビーチの画面右側には縦長のコメント欄が表示されており、背景は海や空を連想させる爽やかなデザイン。コメントは可愛らしいフォントで、吹き出しの縁は波の形になっている。視聴者の書き込みは盛んで、コメントに加えてスタンプや絵文字も飛び交う。


〔待機!〕〔楽しみ!〕〔まだかな〕〔こおりちゃーーーーーん!〕




 数分間の配信待機画面を経て、BGMが切り替わった。それに続いて画面がおもむろに泡でいっぱいになり、一気に弾けたかと思うと、別の画面に移動していた。


 現れたのはバストアップの3Dキャラクター。オレンジ色の長髪に煌めく水色の瞳。白を基調とした派手なドレス衣装に身を包んだそのキャラは、手を振りながら口を開いた。


『みんな~、こんつき~! 常夏の世界からやってきた氷姫、亜月こおりだよ~』




 亜月こおりと名乗ったアバターは、慣れた様子で音量確認や配信画面の調整を終えると、ニコニコと語り始めた。


『はーい、というわけで、今日はサムネにも書いた通り、重大告知配信だよ! 他にも話したいことたくさんあるから、最後までいてくれると嬉しいな!』


〔うおおおおおお〕〔なんだろ?〕〔ついにソロライブ!?〕〔新衣装かも!〕


『ふふん、どうかな~? まあそれはこのあとすぐ発表するね!』


〔いつもみたいに配信の最後じゃないんだ〕〔今日は発表早いね〕〔爆速告知助かる〕




『実は考えてることがあって、今日は最初に発表することにしたんだ~。もちろん嬉しいお知らせだから、安心して聞いてね!』


〔嬉しいお知らせで安心〕〔卒業しないで~〕〔新衣装! ついに水着!?〕


『いやいや、卒業しない卒業しない。私はまだまだやりたいことあるからね! 少なくとも今は辞めたりしないよ~』


 そう言いつつ、画面が切り替わる。こおりのアバターは画面右下に小さく映し出され、左上の大きなメイン画面にでかでかと重大告知と書かれている。


『みんな準備はいい~? 告知動画スタートするよ~』


〔いいよー!〕〔早く~〕〔楽しみすぎる〕〔10,000円 告知記念〕




 同時接続者数万人が見守る中、告知動画が始まる。疾走感のあるBGMに合わせて、黒の背景に流麗な白文字で文章がつづられていく。


「亜月こおり 1stライブ 開催決定」


〔うおおおおおおおおおお〕〔きたあああああああああああ〕〔50,000円 めでたい!〕




 ライブの日時や共演者の情報、チケット購入方法、そしてこおりのメッセージなどが続き、動画は一分ほどで終わった。


『はい、というわけで、ついに! ソロライブを開催します! わー! やったー!』


 こおりのアバターが左右に大きく揺れて喜びを表現する。


〔おめでとおおおおお〕〔絶対行きます!〕〔予想当たった!〕




『長かったけど、みんなのおかげで実現することができました! 大きい会場だから、チケット抽選もそれなりに当たる、と思う!』


〔本当におめでとう〕〔みなちゃんも喜んでるね!〕〔有給取らなきゃ!〕


『うん、みんなライブ当日はよろしくね! 新しいグッズもたくさん用意するつもりだから、こっちもぜひ確認してほしいかな!』


 画面にはグッズの詳細と、予約ページへのリンクが表示される。ライブTシャツやオリジナルペンライト、法被やタオル、ぬいぐるみなどがあるようだった。




『さてと、早速告知終わっちゃった。あとは雑談にするね~』


〔雑談助かる〕〔今日は何時くらいまで?〕〔そういえば考えてることがあるって言ってた〕〔最初に何か言ってたね〕〔そういえばそう〕


『うんうん、みんなよく覚えてるね。そうそう、そのこと。さっきコメントしてくれてる人もいたけど、今日はみなちゃんの話をしたくて』


 こおりがその名前を出した途端、コメント欄の雰囲気が変わる。


〔あっ……〕〔あっ……〕〔なんだろう〕〔誰?〕〔あっ……〕〔凪野みなもちゃんね〕




『最近私のことを知った人はたぶん知らないと思うから、説明するね。えっと』


 凪野みなも。バーチャル配信者。こおりの先輩。こおりたちが所属する会社でトップクラスの人気を誇り、多彩なスキルとトーク力でネットを日々盛り上げていた。


 そして昨年、急な持病の発作で死亡したことにより、会社から除籍されることがアナウンスされた。




 凪野みなもとこおりは会社所属のタレントの中でも特に仲が良く、プライベートでもよく遊びに出掛けたり、家族との面識もあるなど、非常に距離が近かった。


 そんな仲だったため、みなもの死からしばらくはこおりの配信が行われなくても不思議はなかった。他のメンバーも気を遣ってみなもの話題は口にせず、こおりを元気づけようとしてくれた。


 その甲斐もあってか、こおりは短期間で復帰を果たした。その後は休むこともなく配信活動を続けてきたが、凪野みなものことは決して口にしなかった。そして今日、みなもの死から初めて、こおりはみなもの名前を口にしたのだった。




『実は今日、みなちゃんのお墓参りに行ってきたの』


 そこで、初めてのソロライブが開催できること、登録者数が当時のみなもに追いついてしまったこと、次は世界に向けて活動を発信するために語学を学んでいること、頑張っていることを報告したのだという。コメント欄もしんみりとした雰囲気で、こおりの葛藤や決意に共感を示している。




『ごめんね、楽しいお知らせの日に。でも今日だけはみなちゃんの話をさせてほしい』


〔もちろんだよー〕〔命日なんだっけ?〕〔元ファンとしても嬉しい〕


『ありがとう。……じゃあ、今日このあとは凪野みなもの布教配信にするね!』




● ● ●




 海老瀬花恋はヘッドセットを外した。PCの画面には、亜月こおりチャンネル配信修了の文字。音声が切れているかどうかも一応しっかりとチェックし、花恋はゲーミングチェアの上でぐったりと体を伸ばした。




 亜月こおり、本名を海老瀬花恋という。寝癖がひどい黒髪。顔の半分には大きな裂傷の跡。痩せ気味な体に上下のよれよれスウェットを着ている。




 ぼんやりとした彼女の視界に入るのはデスクトップの周りの様子。亜月こおりと凪野みなものフィギュアやアクリルスタンドが所狭しと並べられている。


 花恋は重く感じる体を起こして立ち上がると、ベッドにダイブした。枕元には凪野みなものクッションや抱き枕が置かれている。みなもの抱き枕をきつく抱きしめ、顔をうずめる。それからすぐ、すすり泣く花恋の声が漏れ出した。




 本当に素敵な人だった。


 凪野みなもを知ったのは数年前。自宅で引きこもっていたときに見たみなもの配信。こんなにも面白くて元気づけられる人がいるのだということに感動したのだ。


 すごくキラキラしていた。歌もダンスもできて、絵も描ける。スーパーマンである。


 また、境遇が似ていることも親近感を持つきっかけとなった。みなもは高校にはほとんど行かなかったという。花恋も中学校卒業以降、引きこもっていたので、同じだと思った。


 いつしか憧れは目標に変わり、自分も配信者になりたいと思うようになった。だから、晴れて同じ事務所に入れることになったときには天にも昇る心地だった。




 初めて会ったときのこともはっきりと覚えている。花恋は事故による大きな傷が顔にあるが、初対面のみなもは少しだけメガネの奥の目を見開いたあと、シャツをまくって背中を見せてくれた。


 大きな傷があった。そして「お揃いだね」と言ったのである。昔いじめられたときの傷跡らしい。花恋は自分より小柄なみなもに抱き着いて、声を上げて泣いた。


 それからみなもと花恋は色々なことを語り合った。配信活動のこと。将来の夢のこと。これまでの人生のこと。一生の友達だと思った。ずっと一緒にいようと思った。


 それなのに、みなもは死んでしまった。病死ではない。表向きは持病の発作ということになっているが、実際は事故死である。




 事故当日、花恋はみなもとオフコラボの予定があった。しかも、みなもは一度うちに来ているのである。料理配信でタコスを作る予定で材料を買っていたのだが、花恋が買い忘れたものがあり、みなもが買いに行っていたのだ。


 そしてその帰りに事故に遭ったのである。このことは自分とみなもの家族、会社の上層部しか知らない。花恋に批判が行かないようにとの配慮だった。




 花恋も、自分が悪いわけではないのは頭では分かっている。だが、自分が買いに行っていればこんなことにならなかったのではないか。みなもを間接的に殺してしまったのは自分ではないか。そのような思考が溢れて止まらなかった。


 そしてそれは、復帰してからもずっと続いていた。葬式に参列したときにも、あなたは悪くないからね、よそ見して歩いてたこの子が悪いんだから、とみなもの母に言われていたが、それでも罪悪感はぬぐいきれなかった。




 だから、今回みなもの母が一緒に墓参りに行かないかと誘ってきたときは、呼吸ができなくなるほど怖かった。何を言われるのかと思ったのである。


 だが、それでも行って、思っていることを彼女にしっかりと伝えたいと思った。思っていることを相手にきちんと伝えること。生前のみなもから先輩として教えてもらった唯一つのことである。




● ● ●




 今日のお墓参りには、ガチガチのフォーマルな礼服を着て行った。待ち合わせ場所に現れたみなもの母に大笑いされた。肩をバシバシと叩かれ、「ありがとうね! 今日はお昼奢ってあげる!」と言われた。少しだけ体から緊張が抜けた。




 みなもの墓は隅の方にあった。もっと取り乱すかと思っていたが、夏の木漏れ日を受けて佇むみなもの墓の前に立つと、不思議と落ち着いた心地になった。


 みなもの母と一緒に墓の周りの掃除をし、シキミを供え、線香をあげた。そして、花恋は持参したお供えを墓前に置いた。


 花恋が描いたみなものイラストカードである。花恋は配信活動を始めてからイラストを描き始めた。もちろんみなもの影響である。彼女に教えてもらいながらよく練習したものである。




「私は別のお墓のお参りも行ってるから、もう少しいたかったらゆっくりしてて」


 そう言い残してみなもの母は別の墓の方へ去っていった。残された花恋はみなもの墓に手を合わせ、目を閉じた。そして、思っていることを一つ一つ伝えた。


 あの日からずっとずっと申し訳なく思っていること。教えてもらったイラストが上達してきたこと。自分を見て配信者を志した後輩がいること。ソロライブが決まったこと。ソロライブではみなもの特等席をすでに取ってあること。登録者数のこと。語学のこと。




 涙は出なかった。花恋自身も意外なほど、澄んだ気持ちで思いを伝えることができた。目を開け、時間を確認すると、みなもの母がこの場を離れてからすでに三十分程度が経過していた。


 ゆっくりしてて、と言われたものの、流石に待たせすぎである。慌てて片づけをしようとする花恋だが、墓前にあったイラストカードが見当たらない。辺りを見回すと、あった。


 数歩分の距離の先に、白く柔らかい毛並みの猫が、その口にくわえて去ろうとしているところだった。だが花恋が白猫の方に足を踏み出すと、白猫は風のような速さで走り去ってしまった。


 途方に暮れて立ち尽くす花恋だったが、データは手元にあることを思い出し、カードは猫にくれてやることにした。


 花恋は墓に向かって言った。


「また来るね、みなちゃん」


 周囲の木立が風でざわざわと揺れ、蝉がやかましく鳴き始めた。




● ● ●


 


『♪~』


 唐突にメッセージ着信の音が鳴った。凪野みなも作詞のオリジナル楽曲「水面の太陽」のサビである。神曲だ。




 花恋は、涙と鼻水でべちょべちょになった抱き枕から顔を上げた。問題ない。洗えばいいし、抱き枕はまだいくつか予備がある。隙は無い。


 花恋はティッシュで涙をぬぐって鼻をかんだ。決して悲しい涙ではない。だからこそ今日、配信でみなもとのコラボ配信やオリジナル楽曲をみんなと視聴したのである。墓参りに行ってきたことを話したのである。


 これは前に進むための涙。宝物を背負って再び歩き出すための涙である。


 受信したメッセージを確認すると、差出人はみなもの母からだった。内容は、今日のお礼と、さきほど受け取ったという封筒についてだった。みなもの中学の同級生が、タイムカプセルを届けてくれたらしい。それで、近いうちにお焚き上げをするが、もし何か娘に届けたいものがあれば、一緒にお焚き上げしようと思うがどうか、ということだった。




 さてどうしようと花恋は考えた。心の中にあった伝えたいことは今日墓前で伝えたつもりである。だからすぐに手紙で書くようなことはない。イラストもお供えしたので、見てくれているだろう。燃えやすくて、大きくないもの。




 亜月こおりのぬいぐるみなんてどうだろうか。小さくて可燃性。もし気が向いたら、天国で自分のぬいぐるみと一緒に旅行でもしてくれると嬉しいと思った。花恋はすぐさまみなもの母に返信を送った。


そして、続けて会社のタレント用グループチャットに全員宛てでメッセージを送った。


『誰か今度、私とオフコラボでタコスパーティーやりませんか?』

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