第3章:夏の約束と“その日”
夕暮れの空は、まるで燃えるようだった。
茜色が雲を染め、遠くの山々を静かに包んでいく。
その下で、陽向はひとり、向日葵畑のあぜ道に立っていた。
風に揺れる向日葵たちが、同じ方向を向いて咲いている。
その中に、ぽつんと立つ一人の少女の後ろ姿があった。
黒く長い髪が、風にふわりと舞う。
白いワンピースの裾が、まるで光の中で浮かんでいるように見えた。
「……あれは」
声にはならなかった。
足も動かない。ただ、胸の奥がざわつく。
(見たことがある…ような気がする)
(でも、誰だったっけ…)
記憶の奥底で、何かが引っかかっている。
あの夏の、あの病院で――
⸻
あのとき、倒れていた少女を見つけて、慌てて看護師を呼んだ。
数日後、病院の中庭で偶然出会って、短い会話を交わした。
名前は聞けなかった。でも、笑ってくれた。
何度か会って、言葉を交わして、
ある日、陽向はポケットに入っていた“ひまわりのピン”を、彼女に手渡した。
「17日後、またここで会おう」
それが最後の言葉だった。
⸻
今、向日葵の中で立つあの背中が、あの時の“彼女”と重なって見えた。
けれど――確かめる勇気はなかった。
声をかけようとした瞬間、少女の姿は、風にかき消されるように向日葵の中へと沈んでいった。
陽向は、ただ立ち尽くしていた。
⸻
その帰り道。
日が落ち、風が涼しくなった坂道を歩いて、家の玄関を開けた。
「おかえり、陽向」
母の声が沈んでいた。
振り返ったその目には、言葉にできない何かが宿っていた。
「この間の、あの女の子……亡くなったんだって」
時が止まった。
頭の中で風景が反転する。
耳鳴り。鼓動。どこか遠くで雨が降っているような音。
「名前も……聞けなかったけど」
声が震える。
喉の奥で、何かが詰まったようだった。
――間に合わなかった。
――もう、会えない。
それだけが、胸に突き刺さった。
⸻
翌日、向日葵の花が、満開になった。
まるで、約束の日に咲くように。
けれどそこに、彼女の姿はなかった。
⸻
雨。
静かな雨音が、鼓動と重なる。
少年は空を見上げる。
何も言わず、ただ静かに佇んでいる。
「“あの日の花”が咲いたとき、君はもう――」
「この胸に残ったのは、名前も知らない君との、最後の約束だけだった」