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第9話 冒険のはじまりは、別れから

 一本のタバコを口に咥えながら、御者の男はおもむろに後ろを覗く。


 幌馬車の荷台で繰り広げられている口論の模様は、ますますヒートアップし、口々に己の言いたいことを言い合っていた。


 御者の男はひとりため息を吐き、汗に蒸れたカウボーイハットを脱いだ。



「ラーミラ教の教えは、そのような過剰な威力をもつ武器を持たないことです」


「俺とレイのミラーウェポンがあるから救われたってのに何言ってんだよ!」


「ですからその今のあなたの姿が、嘆かわしいと言うのです」


 トムとシスターの意見は真っ向から対立する。過剰な武装を嫌うシスターと、ミラーウェポンで先ほどの魔獣をレイと自分で倒したことを誇る少年トム。そんなトムの見せる今の姿でさえシスターの口外に吐いては止まらない嘆きの対象であった。


「嘆かわしいついでに、西の自由諸国連合も一部の帝国打倒を掲げるタカ派が多い国では、戦争の気運が高まってきていると言うな」


 行商人ナッシュは、そんな口論中で睨み合う二人に口を挟んだ。己の知り得る西の諸国を情勢を唐突に語った。


「なりませんよ、戦争なんて。自由連合にもそのような強硬派より穏健派の方が多いのですから」


 シスターは荷台に置かれていた鳥籠から出した鳩を膝元で撫でながら、そうナッシュの語った西の情報を否定した。自由諸国連合ももう一度東の帝国と戦争をしようと言うような、一枚岩ではないからだ。


「だが現実はどの国も、魔獣からの自衛と称してミラーウェポンを集めているって聞くが」


「そうだそうだ。東の帝国だってそうしてんだよ。だいたいラーミラ教の私兵たちも武装しているじゃないか。この前やっていた式典で俺は見たぞ、たしかミラー……なんだっけ? アレを過剰と言わないのかよ。自分たちのことは棚に上げて、俺たちにまともな武器を持つなって言うのか」


 ナッシュがいま付け加えた言葉に、トム少年も乗っかった。ラーミラ教の持つ私兵たちも武装しているのは事実である。その教えと矛盾する事実をここぞとばかりに突いた。


「私兵などと! 言葉を慎みなさい!」


 シスターは声を張り上げる。「私兵」というトムの言い方が気に食わなかった。


 ベレー帽の少年と、ラーミラ教徒の女の言い争いはまだまだ収拾がつかず────。







 依然、時を巻き戻しデジャヴするように、トムとシスターはお互いの対立する譲れぬ主張を繰り返す。


「やはり怖いのはそのような武器です。過剰な武装をラーミラ神はいつも嘆いています」


「いいや一番怖いのはラーミラ教だね。さっきナッシュから聞いたけど、なんでもそいつらってここより遠い魔境にいるって言うじゃないか。そんなの得体が知れないぜ?」


 トムは口論に途中参加した行商人ナッシュの仕入れた実しやかな情報を取り入れ、自分の意見に組み込んだ。


「ええ、天に住まわれるのですよラーミラ神は、我々地のガライヤの民のことをいつも正しく見守ってくれているのです」


 シスターはそう肯定する。天を見上げながら、祈りの両手を硬く捧げて。


「おかしいんだよそれ。大昔にはラーミラなんていなかったって言うじゃないか。なんでそいつらが急に俺たちに口出しすんだよ」


 しかし、そんなシスターの様を見たトムは「おかしい」ときっぱり言い放つ。ラーミラに対する露骨な不信感をその表情に出した。


「この不安定な時代だからこそ、地におもむき人々に教えを説いているのですよ。それにラーミラはガライヤの世よりもずっと古い存在なのです。ミラーの扱い方に関しても深い知見があり、この先に何が起こるのかもすべて分かっておられます。ゆえに絶対なのです」


 それでもシスターは目の前の少年に教え説く。相手をすることをやめやしなかった。ラーミラの素晴らしさを主張し少年の耳に吹き込み、浴びせていく。


「まぁ商売をする上で、ラーミラ教の存在は絶対とは言わないが大きいと言わざるをえないな。できればwin-winで仲良くなりたいものだが」


 行商人ナッシュにもラーミラ教の影響は少なからず及んでいる。どこかで商いをするにも、その地域によってラーミラ教の教えを鑑みる必要性があるのだ。


「ふんっ、そんなの誰も守っちゃいないけどな。命をみすみす投げ捨てたくないから。俺は祈って待ってるような馬鹿とは違う。こっちを信じるぜ」


 トムは自分の腰元のミラーウェポンのナイフを、その鞘ごと掲げながら、そう言った。


「またなにを! 分からず屋はびんたさせなさい! 子供とて、きつくお説教です!」


「うあっ、武器はダメでびんたはいいのかよ!? させるかっ! って子供じゃねぇ、こっちも!」


 シスターの右のビンタがトムの鼻先前に鋭く空を切る。トムはそれがありならばと、自分も左のビンタを返そうとした。


 そのとき──


「まぁまぁ、平和を願うからこそラーミラ教も熱心に教えを説いている。そう認識しています。実際に争いとはこの程度です、止めることもこうして──ふふ、できました」


 トムの左手首を掴み抑えながら、ビンタ合戦をしていた二人の間に割り込んだレイはそう言い、シスターとトム両者の争いをなだめた。


「まぁそりゃそうだが……その小競り合いのレベルとは別の〝実際〟には、戦争の気運は徐々に高まってきてるぞ、レイさん。俺は行商人をして世を少し見て回っているから分かるが、今、その手に止めてみせたのはほんのちいさな見かけ上の平和だ。こんな言い方は変に聞こえるかもしれないが、西も東もさっきみたいな魔獣がそこらでいることで休戦条約が成り立っているんだ。争い合っていた人と人が和解した訳じゃない。そして、その魔獣たちですら新たなミラーウェポンを作るための素材ときた。このまま日進月歩の勢いでミラーウェポンを抱え突き進めば、もうまるでこの先の起こり得ることが、俺には見えているようで仕方がないといったところだ?」


 行商人ナッシュは、自分の見てきた知見をさらけだしレイに説いた。レイの言うことを理解しつつも、今目の前で起こった少年とシスターの小競り合いと西と東の情勢はイコールではないと、はっきりと言った。


「ええ、おそらくそれがシスターにとっても嘆かわしいものなのだと聞きます。人の心がいつしか強力な武器に囚われ踊らされて、取り返しのつかない深い沼に沈まないために、だからガライヤにはラーミラ教がこうしてあるのだと私は存じています」


「そうです。そのように幾度も──」


 シスターもレイの言葉に同調しようとしたが、レイの話す言葉にはまだそのつづきがあった。


「ですが、今はまだ必要なのです。ミラーウェポンがただの戦争を始めるための道具ではないと私マジックミラー商会の娘、レイ・ミラージュがいつか証明してみせます。ラーミラ神もきっとそのように望んでいるはずです、そうです、言うならば誰もが分かち合える〝太平の世〟を! そのために私にはこのミラーウェポンがいるんです! 剣でも、ナイフでも、杖でも、鳩でも、祈りでも、ビンタでも、スパイスでも、形は違えどみんな同じ! 手にして、振るい、味つけてっ! 自由に扱い、己が真に望みゆく向かうべきところに向かっていく、私はそんな、誰もが憧れるあふれる冒険をしたいのです! この父のミラーウェポンとともに!!」


 レイはそう大見得をきるように言い切った。


 レイ・ミラージュが白杖を勇ましく木床に突き、立ち上がると、シスターの膝元に大人しく憩っていたはずの鳩が、その翼を慌ただしくはためかせる。荷台の外の光の彼方へと向かい、鳩は飛んでいった。


 立ち上がり威風堂々と語った彼女の様に、居合わせた誰もがその彼女の見せた激しい流れと羅列した言葉の勢いにのまれ、唖然と息を呑む中、一人の幼女がレイの元へと歩み寄った。


「よくできまちたっ」


 気付いたレイは頭を下げながら、褒め言葉を言った幼女がしきりに伸ばしていた手に、自分から撫でられにいった。白黒の長髪を褒め撫でるちいさな手のくすぐったさに、レイ・ミラージュは微笑まずにはいられない。



 やがて、まばらにわき起こったとりあえずの拍手の音に、後ろ目に荷台の様子を覗いていた御者の男は、視線を外し正面に直った。


 あそばせていたカウボーイハットを今おもむろに被り直し、口に咥えていたままでいた苦いタバコを捨て去った。


 幌馬車はスピードを上げ、ただただ風を切るよう、荒野を西へと進みゆく────。










「ってお前、言ってること途中から微妙にわかんねぇんだけど……たいへい? ぼ、冒険? あとビンタや鳩にどうやって味付けんだよ?? 同じじゃなくね?」


 トム少年は誰かがした拍手につられて自分も拍手をしながらも、やがて、彼は怪訝な目に変わり、堂々と立っているレイのことを見上げた。


 そして、トムも自分の頭でよくよく考えたものの、勢い任せなだけにも聞こえたレイの感情あふれる語りを、最終的に「微妙にわかんねぇ」と評した。青いベレー帽を被るその首を傾げて、両手をパーの形に広げてそうアピールする。


「なに、あのマジックミラー商会の娘……!? まるで、情報がケチャップのようだな……待ってくれ、ドバっと来たのを今なるたけ整理してみるぞぉ?」


 行商人ナッシュはその中立気味の立場から、また話をまとめようとする。急に明確に明かされたレイの予想外の素性に、大変驚いたようだ。


「あふれる……冒険」


 シスターは幌馬車の荷台から外の陽光へと飛び立った鳩へと、伸ばしていたその手をおもむろに戻す。そして白杖を地に突き、白と黒の髪をしたレイの立ち姿へと目を向けた。胸元にあった銀のペンダントをなぜか握りしめながら──。


「あふりぇりゅぼけぇーーん!!! あははは」


 幼女はその言葉がお気に召したようだ。荷台の上を走り飛び跳ねはしゃぎ回り、やがて保護者役であった眼鏡の女に危ないからと捕まえられた。


「あははは……は。ということで!」


 勢い任せに言葉にしてみせたものの、ジラルドを旅立ったばかりのレイ自身にもまだまだミラーウェポンやラーミラ教、ガライヤの世についての答えは当然見つからず。


 結局これまでの皆の口論の内容を真剣に参考し熟慮するも、彼女の信条であり口癖でもある「あふれる冒険」という着地点へと辿り着いた。

 大見得を切って全てを出し切り。語る熱のすっかり引いてしまったレイは、皆の反応や突き刺さる注目の視線に、苦笑いを浮かべながら。最後に左の親指をあやふやにサムズアップし、照れくさそうに誤魔化した。





「まさか乗り合わせていたのが、最近躍進中のマジックミラー商会のご令嬢さんとは、ははは。──改めて、行商人をやっているナッシュだ。あのマジックミラー商会さんのものなら、ここにあるミラーボードの品質にも納得だ」


「ええ、それはお褒めに預かりどうも。改めて、マジックミラー商会のレイ・ミラージュです。──あ、ところで、行商人というのは何をお売りに? やはりここにあるようなスパイスの数々を?」


 レイとナッシュは、改まってのご挨拶をした。つい先ほどレイの出自が明かされたが、ナッシュも彼女の属するマジックミラー商会のことを噂によく知っていたようだ。


 軽いご挨拶を済ませてさっそく、レイは、ナッシュの行商とはどういった物を取り扱っているのか気になった。やはりレイも父ベル・ミラージュに習う商人の端くれでもあるので、そういうところは一度気になってしまうと見逃せないのだ。


 まだ独特の香りがただよい残るこの荷馬車で、レイはナッシュがスパイスの数々をメインに取り扱っていると予想した。


「あぁ、主に売れているのはそうだな。世界各国からかき集めてきたスパイスや、ついでにこういった奇妙なお面だったり、焼き物の皿だったりな。といってもミラーツールや、ボード、ウェポンに興味がないわけじゃないさ。だが、いつの世も新規参入するのは大変だ。自分一人の力では今はこれが限度だと思い知ってね。そうそう今日はちょっと思わぬ大損の目にあったが! この変わった一串をいただけて、だいぶ救われたといったところかな」


 ナッシュは積んでいた荷から日除けの布をどかす。そして自慢の商品を続々取り出し、レイへと見せた。


 ハイエナの魔獣に襲われて本来積んでいた商品を何点か失ってしまったが、先ほどレイからいただいた一串、〝だだんごのみたらしがけ〟なる食べ物で元は取れたと彼は言う。


「救われるほどお気に召してくれて何よりです。それで……世界各国のスパイスやこのような面白い品を集める? あなたは、そんな旅を?」


「あぁ、だからそういう意味では活発なご令嬢のレイさんの先輩にもなるか? ははは、聞きたいことがありゃなんでも遠慮せず聞いてくれ。この行商人ナッシュ様の〝あらゆる冒険活劇〟を、望むならばありったけ話してやる。──まあ、少々味つけするがな?」


「ふふっ。それは、一番美味しいものをお願いしても?」


 商人は皆話したがりなのかもしれない。レイはナッシュの〝あらゆる冒険活劇〟なるものを、是非とも話して欲しいとせがんだ。何故かそうして商人仲間と話をしていると、父ベル・ミラージュの顔を思い出してしまい、レイはひとり微笑んだ──。








 トムは荷台に積まれていた反物の上に寝転びながら、突然、レイへと気になっていたことを問うた。


「なぁレイ。さっき言ってたそのあふれる冒険ってのは、結局なんなんだよ?」


「たとえば……魔獣を倒す! とか」


「へぇー。って単純だな! 魔獣は確かにあふれてるけどよ? アレだけ勢いよく語っていたのに、そんなことでいいのかよ」


「ふふっ。でも、それぐらい今は何も決まってないことだし」


「ふぅーん。ま、そりゃそうだよな」


「でもまずは、一つ。このミラーウェポンを使いこなせるようになることかな」


「あっ、アレでつかいこなせてなかったのかよ??」


 あふれる冒険には相棒の武器が要る。レイは自分がプロトロッドを使いこなせるようになるために、ジラルド公国を西へと飛び出したと言っても過言ではないことを思い出した。


 今その白杖を手に取ってみせ、トム少年へと見せつける。


 トムはレイがあの腕前で、まだその白いミラーウェポンを使いこなせていないとは思わず、また驚かされてしまった。


「ええ、もっともっと。この白鏡の杖の性能を引き出せるようになれば、いずれ自由自在、それも目指してます!」


「……はぁーあ。────俺もアレぐらい使いこなせたら、自由自在、いずれそんな〝風〟みたいになれるかな」


 レイに会った今日という日は驚かされてばかり、トムはまた反物の上に寝転がりながら、溜息を吐いた。そして溜息まじりに、「風」そんなことを珍しくも、神妙な顔つきで彼はつぶやいた。


 ミラーウェポンのナイフをおもむろに掲げる。何を切るでもなく、真っ直ぐに──。


 そんな様子で、幌馬車の天をぼーっと見上げるトムの表情を覗いたレイは、──微笑んだ。


「風……? ふふっ。──なれますともっ!」


 幌馬車の天を覆うカバーから透ける陽光、そこに現れた微笑む白黒髪の女性は、まるで後光でもかかったかのように、トム少年にはとても眩しく見えた。


 やがて、その寝そべっていた上体をゆっくりと起こし、トムは「フッ」と笑う。


 互いに近づけたミラーウェポン同士を合わせあう。柳の葉の咲く金色の紋様同士が、鮮やかに繋がり、そよ風にさわぐように揺れ動いた────。










 ミラーツールの手鏡から出てきてレイを手伝った青蛸のブルーパスは、壺に入れていた〝だだんごのみたらしがけ〟をその触腕で皆に一串ずつ配り終えた。そして持て余した暇に、活発にはしゃぐ幼女の遊び相手をしているようだ。


 馬車が西の目的地に着くまでの間、レイは荷台に乗り合わせた皆と言葉を交わした。


 行商人のナッシュは西にある色んな街の名産や特色に気候、さらにレイのよくする親指を立てるジェスチャーがとある地域ではいい意味を持たないことも教えてくれた。まさに旅の先輩のようであった。


 あふれる冒険のことを教えてくれたお礼か、トムは語らずにいた自分の故郷のことを一つ語ってくれた。


 トムが言うには、彼の出身地であるラカーゼの高地は、今は違うが昔は「裏風」と言われた名のある傭兵集団が居つき暮らしていたらしく。そんな御伽噺なるものを族長の爺に聞かされたという。あふれる冒険ほど壮大なものではないが、トムの原動力の一つなのだという。



 やがてレイたちを乗せた幌馬車は西の町【ウル】へと辿り着いた。道中でそれ以上の魔獣に襲われることはなく、馬車の揺れの方もサスペンションが効いていたのか、気にならなく快適な旅そのものであった。


 人や馬の行き来が激しく、活気のあるまだ昼の停留所で、レイたちは詰められていた幌馬車の荷台から降りた。


 といってもすぐにさよならと一言だけでは別れず、レイはすっかり打ち解けた乗客の内の一部の者たちから、餞別の品をいただけることになった。


「矢の雨や魔獣の鋭い攻撃だって避けれるようになるお守りだぜ。ん、──やるよ」


 トム少年からは【風のミサンガ】。両の二の腕に着けていた片方のミサンガをレイは譲ってもらえることになった。


「こっちは商人らしくさっきのヤツと物々交換だな。荷馬車で話したように国によって出てくる料理もちがうからな、行く先々で苦労するだろうよ。しかし、どんな不味いものもそれをかけりゃマシになる。じゃ、お互い商人なら遠からずまたどこかの町で会えるかもな」


 ナッシュからは【オリジナル万能スパイス】。商人同士ということで、先ほどレイから貰った【だだんごのみたらしがけのレシピ】と交換という形にしてくれた。


「ありがとう、トム、ナッシュ!!」


 思いもよらぬサプライズの品を受け取ったレイは、その嬉しそうな表情を隠せず、素直にトムとナッシュ男たち二人に礼を言った。


 そして、おもむろにレイの元へと歩み寄る影が一人。白い修道服姿のシスターからは──


「レイ・ミラージュ────。私が天のラーミラ神に祈りおぼろげに見た、あなたの道は途方もなく、とこしえの枝葉のように分かれ、きっとそのどちらを歩もうと幾多の波や風にさらされ、困難を極めます。旅の途中……ときに辛い思いもするでしょう、ときに正しさを見失い、迷い、あなた自身の心にも受け入れきれない混沌と葛藤を生むこともあるでしょう。……ですが、あなたの進むその道に、最後には、多大なる幸と栄える華があらんことを願っています。ラーミラのご加護を──」


「シスター……」


 レイが今シスターから受け取ったその特別な餞別は、知らぬ胸の内の深くを打たれるような、レイにとって価値など付けることのできない、とても良いものであった。


 荷台ではあの口論以来あまり話せずにいたが、最後の別れ際には、まさかのお言葉をいただけた。シスターは荒野を走る馬車内で、これから進むべきレイの道なるものをずっと真剣に、天のラーミラ神に祈りを捧げ、うかがっていたようだ。


 さらに、餞別は言葉だけではなく。トムとナッシュから貰った物と、幼女のルミから貰ったいっしょに折った鶴の折り紙で、両手が塞がっていたレイは今──。


「そのあふれる冒険にそれも連れて行ってあげてください。きっとあなたのことを導いてくれるはずです」


「これは……? いいの……ですか?」


 目と鼻の先の至近まで歩み寄ったシスターから、祝いの花の輪を首元にかけるように今レイがいただいたのは──銀のペンダント。シスターがずっと自分の首元にかけていたものだった。


 そんな肌身離さずに大切そうにしていた物を自分が受け取っていいのか、レイは驚き戸惑ったような様子で、シスターにうかがった。


「私はただのシスター。ラーミラ教のシスター。信心深く天に祈ることしかできません。しかしあなたならば、もっと広い世を見て回れるそのように思いました」


「なるほど……? ──うん、ありがとう。シスター」


 シスターはその大切なペンダントを自分よりも、冒険心にあふれるレイに持って行ってほしいみたいだ。


 そんなどこかさっぱりとした表情、印象に変わったシスターの青い目を見つめながら。レイは手のひらの上においていたその銀色の輝きを、しっかりと包み握り、目の前にシスターに礼を言い微笑んだ。


 レイは他にも「ビギナーズラック」だと言い手渡された護衛の報酬を、幌馬車の御者の男からサプライズで貰った。桶の冷たい水を飲んでいたお疲れの二頭の馬にも別れを告げて──。



 レイ・ミラージュは西の町で幌馬車で乗り合わせた彼らと、名残惜しくも別れた。小さな荷台の中であったが、そこでもレイの知らない色んなことを学び、色んな話をした。


 冒険はまだ始まったばかりだ。遠くなってもまだ手を振りつづけレイのことを送別する停留所に並び立つ彼らに、レイもミラーボードに乗りながら元気に大きく、その手を振り返した。


 やがて、正面に向き直る。自分の目指すべき場所を、さらなる先を目指して。ミラーボードを飛ばしていく。


 白と黒の髪がどこまでも果てへと靡いていく。そんな彼女の姿が、もう停留所の彼らからは見えない、遠く、遠くなっていく。


 子爵令嬢レイ・ミラージュは西の町ウルの停留所から、さらに西の国エスティマへと向かった────いつまでもそのあふれる笑みを、心地よい風と広大な荒野の道に浮かべながら────。

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