第10話 エスティマを駆けて
「旅は道連れ世は情け」そんな格言じみた言葉を日本人、柳玲としての記憶を持つレイ・ミラージュは聞いたことがある。
荒野を西へと行く最中、レイがそこで偶然遭遇したトラブルの内容は、ミラーボードの故障。といっても自分の乗っているものではなく、荒野の中でひとり、試運転を繰り返していた男の所有するミラーボードの方であった。
男は乗ったミラーボードのハンドルを握り、自身の魔力を伝い流し、板をホバリングさせる。魔力を得て稼働したミラーボードは砂煙を撒き上げていく、だが、やがてその宙に浮かんでいた板は、足を置いていた男の身ごと地に落ちた。
「【魔力抜け】ですかーー?」
「痛っ──あぁ! ちょっと今日はご機嫌斜め、ボードの方も斜めに傾いたみたいでなぁ! 【魔力抜け】で、走るともなるときつそうだ。悪いけど今ラーミラさんがよこしてくれたソイツで牽引してくれると非常に助かる! って願ってもない話なんだが?」
男は地に仰向けに寝そべりながらも、そのまま首を倒し、声の聞こえた後ろを覗く。天地逆さに映る景色に、機嫌の良さそうなミラーボードで走り向かって来ている白黒髪の女に、そう男は大声で返した。
男の準備の良いしゃべり方に少しばかり不審に思いながらも、レイはその男の願いを快く聞き入れることにした。
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荒野をロープで牽引しながら飛ばしていく。ロープで繋がった二台のミラーボード、スピードを上げ走行するのは前の健在の板に乗るレイ。後ろの故障中の板は男が乗り、レイのミラーボードに勢いよく引っ張ってもらっているので、魔力抜けを起こしていてもボードの姿勢制御だけに集中すれば男が乗りこなせないことはなかった。
「おたくさん、ベストミラー社製のより良いのに乗ってんなぁー! こっちは勤め先に支給されたボードだが、そろそろ乗り換えを検討の時期か?」
「あはは、ありがたいですけどおやめくださいーーあははは!! ベストミラー社製の物も、ずいぶん優れていると父は良く褒めるように言っています。なのでっ、すごいとすればこのミラーボードがすごいだけなので、褒めるならそちらをお褒めに! あははは!!」
安定したスピードに乗り、ホバリングする後ろのボードの姿勢もレイのボードに引っ張られて安定する。
そんな風を切り荒野を共に進む道中、後ろの男はレイのミラーボードの品質を褒めるが、レイは笑いながらもベストミラー社製の商品を気遣い、無闇に扱き下ろすことはせず。ただ純粋に自分の乗るミラーボードを褒めて欲しいとかるく訂正を求めた。
しかし、上機嫌で、そんなあふれる笑みで風を切る。自分の乗るミラーボードを褒められてここまで上機嫌になる女はマジックミラー商会の子爵令嬢レイ・ミラージュぐらいだろう。
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「しかしこのジラルドとエスティマの国境一帯はずっと荒野だな。あやふやな未開地と言ったところか」
「そうですね?」
道中の他愛のない話は、今レイたちのいるジラルド公国とエスティマ国の国境付近、この今ミラーボードを走らせる地、広大な荒野の有様についてまで及んだ。
名乗った男の名は「ベオ」。レイよりも二、三歳年上の男性といったところか。灰色の制服らしき装いで、髪色は一般的な白の短髪。特徴があるとすれば話し相手としてはなかなか口が回り、性格が明朗なところだろうか。
だがそれよりもレイが目をつけたのは、彼がその背に携帯しているミラーウェポン、一振りの斧であった。といっても魔獣の出る荒野では武装していない方が、ガライヤの世ではおかしい者とも言える。
レイがそんなことを気にしながらも、偶然一緒だった目的地であるエスティマ国に着くまで、ベオとの雑談は続いた。
「それもこれも魔獣。いや破鏡の仕業か」
「たしかに破鏡は、除去しないと環境をこのように染めてしまうこともあると聞きます」
レイも知っている。このような殺風景な荒野の未開地が、この世界ガライヤで拝むことになるのは珍しくもないことを。
破鏡の種類によってはその滲み出る魔力で環境を一色に染め上げ、それまであった豊かな自然を破壊することもある。ゆえにこの世には落ちている厄介な破鏡を、その土地から取り除くような仕事もあるのだ。
「だな。──ところで、魔獣が好き勝手に跋扈する世と、人の戦争ばかりの世。いったいどっちがガライヤにとって良かったんだろうな。おたくさんはどっちだと思う?」
ベオは突然そんなことを聞いてきた。今ゆく荒野の有様から関連付けて、他愛のないとは決して言えない、二者択一の重めのテーマを突きつけてきた。
レイは突きつけられたテーマに、何故かこの数刻前の幌馬車でのことを連想して思い出す。
そして──
「それは……まずは、アレを片付けてから考えてみましょうか!」
ミラーボードのスピードを落とし、一旦停車する。レイの遠目に点在する岩陰から、潜んでいた飢えた息遣いとその獣の尻尾が、姿を見せる。
魔獣、ハイエナの魔獣の群れだ。岩陰で待ち伏せをしていたのだろう。
レイはそんな魔獣どもの気配を遠くから看破した。そして、既に手に取った白杖のミラーウェポンで待ち伏せる群れを指し示し、後ろのベオへと物騒な提案をする。
「ははっ。いいねぇ。エスティマに着く前に、ちょっくらディナー代、稼がせてもらいますかね!」
ベオはそう言い、浮かべていたミラーボードから降りた。首をぐるりと一周回し揉みほぐしながら、背負っていた斧を今、両手にしっかりと構える。
問答に対する気の利いた解答よりも、今は目先の魔獣を倒すことに集中する。
魔力の使い方には二種類ある。ミラーツール、ミラーボードなどを持続制御し起動するための生活に便利な魔力の使い方。
そして、もうひとつは──
子爵令嬢レイ・ミラージュとミラー協会職員ベオ・ギルトは、その肩を真横に並べて頷いた。やがて各々の武装するミラーウェポンに、いざ目に捉えた敵を討つべく、滾るその熱き魔力を練り上げた────。
「大した腕だな? 破鏡の状態も綺麗だ」
遭遇したハイエナ魔獣の群れを余さず倒したレイたち。ベオは魔獣を倒した証である破鏡を慣れたように手早く回収しながら、レイが倒した分のその破鏡の状態を自分の物と比べて見て、そうレイのことを褒めた。
「そちらこそ。ずいぶんと慣れているようで? お上手でした」
「はは、どうも。まぁ俺なんて凡才の内だけどな。魔獣にただで噛みつかれないよう日々精進はしているつもりだ」
確かにミラーウェポンの斧を魔獣相手に臆せず悠々と振り回したその男の姿は、頼もしくも見える。日々精進しているというベオの言葉は冗談めかして言ったわけではなく、多少の自負も含んでいたようだ。
「ええ、見て取れます! ミラーウェポンは武器でありながらその人の精進も怠惰も映す鏡だと、父にそのように習いました」
「はは、いいねぇ。そっちも見て取れるぜ。いい父をお持ちだ、きっと人も物も見る目がある」
レイは習ってきた父の言葉の一つを借りて言った。ベオは快活に笑い上げながら、両手を余裕げに広げ、レイもついでに彼女の父のことも含めて褒め返す。
レイとベオは互いの雰囲気が伝染したように笑い合い、破鏡の回収を手伝っていた青蛸のブルーパスも触腕を叩きよろこんでいた──。
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「エスティマには、なにか用で?」
「とりあえず【魔獣狩り】として、これからの旅の資金を稼ぎたくて」
「あぁー、【魔獣狩り】かー。そりゃ引く手数多だな。じゃ、エスティマの魔獣狩りとして登録するために【ミラー協会】の施設にまずは向かう感じか」
「ええ。そうなりますね」
【魔獣狩り】その名の通り魔獣を狩り破鏡を集めることを生業とする者。レイはジラルド公国ではミラー協会を通してはいない。集めた破鏡の取引は、マジックミラー商会のトップである父がどうにか融通してくれていたからだ。商会との直接過ぎるパイプを持っているがため、そのような間を隔てる許可や登録の必要もなかったのだ。
だがしかし、ジラルド公国領を飛び出し訪れる予定のエスティマ国ではそうはいかない。依頼などを斡旋してくれるミラー協会で、魔獣狩りとして正式に登録する必要があった。
父の力はなるべく今は借りずに、レイは自分の手で当面の旅の資金をかき集めるため、エスティマ国のミラー協会なる施設でのこの登録はマストなのだ。あふれる冒険の予定や中身はまだまだ空白だらけだが、そのことだけはレイは頭から決めていた。
「そいつは偉いことだ。じゃあ、助けてくれたよしみで、ミラーボードで停留所に着いたらそこまでスムーズに案内してやるよ」
「え、よろしいんですか?」
「未登録だとレートが違うだろ。それ、ついでに、いっしょのお使い扱いにしてやるよ。名案だろ? ははは」
「なるほど……! って、できるのですか?」
「バレなきゃいいのよ。おたくさんレイ・ミラージュと男ベオ・ギルトさんが、二人で魔獣を狩ったこの事実は変わらねぇ。それとだ、──あまり品行方正を求めすぎるとここエスティマじゃ、笑われて食われちまうぜ。ご忠告ってほどでもないが、ははは」
「なる……ほど、あはは」
とんとん拍子で話は進んだ。レイは魔獣狩りとしての登録を。そして収納用のミラーツール内に回収した破鏡を、既にミラー協会からの依頼を遂行中であったベオに適正価格で売りさばいてもらう。一石二鳥の名案で、レイが首を縦に頷きまとまった。
牽引し共に走る二台のミラーボードは、もう彼方にそろそろと見えてきたエスティマ国の遠く賑わう街並みを、目指した。
旅は道連れ世は情け。かけた情けはいずれ己に返ってくる。レイはそんな旅の醍醐味を今日はもう、あふれる程に感じている。受け取っている。
レイ・ミラージュは思わず、込める魔力とスピードをぐっと上げた。ぐらついたミラーボードを姿勢制御し乗りこなす後ろのベオ・ギルトは、「そんなもんか?」と不敵に笑い、誘った。
耳に入るのは風の音と、前と後ろに呼応し合う大声だけ、
二台のミラーボードは、そのスピードを緩めることなく、ドライブ感を全身に浴びながら、広大な荒野を一直線に突っ切っていった────。
ミラーボードの速度を少し緩める──レイの目に目的地の街並みが見えてきた。
「アレがエスティマ……! 随分と絢爛に光らせているんですね。ここからでも目に賑やかです!」
「あぁ、アレか? 外部取り付けのミラーバンたちの輝きだな。それに溜め込んだフォトンパワーで家の灯りや、家具を使うためのエネルギーの大半を賄っているからな。魔力の少ないものでも、あのミラーバンの一枚ほどで生活に必要なエネルギーを扱えるというわけだ」
後ろのベオはエスティマの街並みを見て驚いたレイにそう説明する。ミラーバンとは建造物の外部、屋根などに取りつけた大きな一枚のミラーツールのことだ。天の光を集め内部にフォトンパワーをチャージすることができる。その破鏡を寄せ集めてできた、一枚一枚の個性的な輝きたちがレイたちのことを歓迎しているようだ。
「ミラーはその性質上光を溜め込むことができますし、フォトンパワーと魔力はほぼほぼイコールの関係なのだと父に習いましたが……ここまで一貫性のあるミラーバンを家々に掲げた街並みは、ジラルドでもなかなか拝めません! こうして目に入れ眺めているだけでも、壮観なものですねー!」
「はっは、その通りだ良く勉強しているぞ。まぁ、しかしその分予算はかかるというものだ。だが、ここらを拠点に活動する【ベストミラー社】はそのことに関しては太っ腹でね、実験中であるので願えば格安で取り付けてくれるのだと」
「それはとても素晴らしいことですが、ひょっとしてそのぶん家具のミラーツールなどは?」
「……そういうことだ! ははは将来優秀だな? おたくさんは」
エスティマの街並みと、飾るミラーバンの明かりについての話はそれで程々に切り上げ。ベオは視界端に近付いてきた停留所のある方向を指差し、レイはベオの案内に従い牽引するミラーボードの速度を上げた。
たどり着いた停留所には、ベオの顔パスで円滑に係員にご挨拶しながら入り。二台のミラーボードを指定された区画に止めたレイたちは、さっそく、気になるエスティマの街並みの中へとその足で繰り出した。
エスティマの街中は、少しばかり暑い。外の荒野にいた時よりもレイは暑く感じた。すれ違う人たちの服装も、肌を露出した半袖のものなどを着用した者が多い。
「ここがエスティマ……。ジラルド公国を出て西にある銀の国エスティマ。噂には聞いていましたが、随分洗練されているのですね」
「まぁはげしくミラーツールの恩恵と言ったところか、昔はここまで見目派手ではなかったがな。それと噂ではガライヤの外の魔境の方には、既にこのギンギラの完成したモデルがあるのだとかないのだとか。聞くな」
「ガライヤの外の、魔境……」
「深く知りようのない噂レベルだがな。まぁそんな遠い妄想もほどほどに、しっかりついてこいよ。今度はベオ・ギルトさんがお返しに〝すばやく〟先導してやる」
ベオはそう言い振り返り、左手を上に敬礼をしつつ、被っていたグレーの制帽を外した。そして、まだ慣れぬ街の景色に気を取られていたレイをよそに、彼は駆けだした。
「はい、それはよろし──って!? 根に持っていたのですかー!!」
「ははは、ついでに体力テストだ魔獣狩りの候補生!! まぁちょっとばかしミラーボードで生意気にも酔わされたのは、──持ってるがな!!」
「しっかりついてこい」とは言葉通りの意味だったらしい。突然駆けだした白髪の男の後ろ背を、レイは慌てて追いかけた。
いらずらな笑みとその白い歯を見せ振り返ったベオ・ギルトは、帽を片手に手を振り彼女を誘導する。銀の国エスティマ、たどり着いた最初の冒険の国でまさかの駆けっこが始まる。しまいには「体力テスト」などと宣いだした彼のことを見失わないように、そのテストという名の挑戦を受けて立ったレイ・ミラージュは、街ゆく人の障害物を避けながら、駆ける己の足のスピードを上げた────。
その白髪の男はこの街のマップ詳細を全て把握しているとでも言うのか。迷いなくよく走るグレーの制服姿、「ついて来れるかと」煽るようなグレーの帽の手を振る方を、レイは必死に追う。
レイは街路の人を避け、噴水広場を無駄に一周させられて、急に入った狭い裏路地をも駆けてゆく。そしてまた見知らぬ街路へと飛び出して──
「ねぇねぇ、あなた、ベオ・ギルトのあたらしいこいびとさんなのぉ?」
「てか、姉ちゃん足速くね?」
「はぁ?? ってちょっといっぱい!?」
いつしか追いかけっこの途中で現れた子供たち。ませた少女たちの謎の問いかけに、一緒に駆けてゆく元気な少年たち。
レイは突如現れた賑やかな子供たちの集いに困惑し、それに対し振り向き「ごめん」と片手を垂直に立てジェスチャーするベオ・ギルト。しかし彼は止まらず、まだまだ体力テスト、それともそのままミラー協会までの道の案内をする気のようだ。
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子供たちと一緒に駆け抜けて──たどり着いたミラー協会、レイはついにその初めましての門戸を開ける。ミラー協会とは主に魔獣討伐の依頼仕事を斡旋してくれるそんな専門機関だ。
そして、ベオ・ギルトはなんとここの職員だった。レイの目にも入る他の職員と同じグレーの制服を着ている。
制帽をきちんと白髪の上に被り直した男、ベオ・ギルトは受付でレイと机ごしにご対面し、不敵に笑っている。
「どうだ、驚いたかな」
「いえ、うすうすそんな気がして」
「ま、そこも含めてテストだからな。戦うこと以外も優秀なようで何よりだ」
「そんなテストがあるのは初耳ですが……それよりあの子供たちは? ベオ・ギルトという人は人気があり慕われているのですね?」
「あぁ。ガキどもなぁ。慕われていて人気かどうかはおたくさんのご想像にお任せするが、暇なときにあんな風に遊び相手をしてやってるんだ、それで他よりポイントを稼げているんだろうよ。それでさっきのを街を一周するいつもの駆けっこか何かだと勘違いしたようだ、ははは、まぁ大目に見てくれ。──あ、それよりもだ。さっそく本題の登録の方に取り掛かりたいんだが、お名前は──?」
「レイ・ミラージュ」
「ほぉ。いい響きだ。以前のご職業は」
「んー。……一介の菓子売りです」
「考えたな。どんな菓子かは気になるが、まぁ一旦いいさ。じゃあこれが集めた破鏡の取り分の2万2000シモン、登録料を差し引いておいたから抜けてないか確認してくれ。そしてこれが、」
「認証のミラーツール?」
「よく勉強しているな。その通りこれが認証のミラーツールで、今日今を持ってエスティマの【魔獣狩り】としておたくさん、レイ・ミラージュが認められた証だ。これにて、正式にな」
「これが【魔獣狩り】としての、エスティマの……!」
「あぁそうだ。銀の国のエスティマだが、黄色なのはご愛嬌だ。銀色だと他のミラーツールと混同し分かりにくいからな」
受付の机上にて受け渡された、レイがおもむろに手に取った認証のミラーツール。手のひらに置き、眺める。淡い黄色の輝きを放つ特別な証は、ダイヤの形をしている。
レイ・ミラージュがエスティマ国の魔獣狩りとして正式に認められた証だと、彼女の登録を担当したベオ・ギルト職員は誇らしげに言う。
集めた破鏡を売り捌いた報酬この世界ガライヤの紙幣2万2000シモンと、認証のミラーツール。あらたな一歩を踏み出し手に入れた子爵令嬢レイ・ミラージュの冒険は、ここエスティマ国あらたな舞台で、淡くもちいさくも、確かにその輝きを放っている。
レイは手のひらに置き、やがて魔力に反応し浮かんだ、ライトイエローのダイヤの形と輝きを見て微笑う。
同じ目線まで浮かべて、その彼女のもつ黒とクリーム色の珍しい瞳で見つめ、珍しげにいつまでも眺めていた────。