表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/71

偵察魂(1)

 

 考子は2週間に一度の妊婦健診を受けるために産婦人科を受診していた。

 いつものように、問診、内診、体重測定、血圧測定、尿検査、血液検査、経腟超音波検査を受けて、診察室で医師と向き合った。


「順調ですね。すくすくと育っていますよ」


 胎児にも母体にも問題がなさそうと聞いて、考子は胸を撫で下ろした。


「これから安定した時期に入っていきますから、体調も落ち着いてくると思いますよ。ですので、次は4週後に受診ください」


 これから妊娠7か月になるまでは月1回の妊婦健診でいいと告げられた。

 しかし、釘を刺すのを忘れなかった。


「安定な時期とはいっても流産や早産の危険性がないわけではないですから、体調には十分注意してください。そして、体に負担がかかることは避けるようにしてください。それに、新型コロナウイルスに感染しないようにマスク着用と手洗いとうがいを徹底してくださいね。それから、もし何かおかしいなと思うことがあったら遠慮せずにいつでも受診ください」


「はい、わかりました。ありがとうございます」


 考子は腰を浮かせかけたが、話はまだ終わっていなかった。

 ちらっと考子の体を見た医師は、「つわりが収まると今まで食べられなかった反動で食欲が増すことが多いので、食べ過ぎる妊婦さんも少なくありません。赤ちゃんの栄養のために適切な量を食べるのはいいのですが、急激な体重増加につながるような食べ方は赤ちゃんにも母体にも良い影響をもたらさないので、適切に食事量をコントロールしてください」と警鐘を鳴らしたのだ。


 考子はペロッと舌を出したあと、うつむき加減になった。

 体重増加の自覚があったからだ。

 医師が言うように、つわりが収まってからの食欲は半端なかった。

 ついつい食べ過ぎていた。

 なんとかしなくてはいけないと思っても、食べるのを止められなかった。

 でも、このままではマズイ、そろそろセーブしなければとも思っていた。


 そんな葛藤を見透かされたように感じた考子は、恥ずかしいやら不甲斐ないやらで気まずくなって、医師と目を合わせることができなくなった。

 うつむいたまま「ありがとうございました」と言って頭を下げてから立ち上がり、すごすごと診察室を出た。



 家に帰った考子はすぐさまネットで検索してDVDを発注した。

 そして、「やるっきゃない」と自らに気合を入れた。


        *


 2日後、メール便が届いた。

 2枚入っているDVDのうち、1枚を手に取った。

『妊婦のためのエクササイズ』


 動きやすい服に着替えてDVDプレーヤーにセットして再生ボタンを押すと、トレーナーとモデルの2名が映し出された。

 トレーナーはすらっとした長身の美人で、モデルは妊婦だった。

 妊娠中期だと紹介された。

 自分と一緒だと思った考子は、親近感を覚えて俄然やる気になった。


 股関節を柔らかくする運動が始まった。

(がっ)せきのポーズ〉というらしい。

 座った状態で足の裏を合わせて両膝の外側を床につけた状態から股間に引き寄せる動作を繰り返した。

 分娩に備えて股関節を柔らかくしておくことは大切だとトレーナーがコメントした。


 次は肩や背中の凝りほぐしだ。

 大きくなったバストやお腹を支えている肩や背中には負担がかかっているから、その凝りをほぐすための運動らしい。

 肩をぐるぐる回したあと、両手をギュッと上に伸ばしたり、後ろ手に組んだ両手を下にぐっと伸ばしたりした。


 その次は腰痛対策体操。

 考子は腰痛持ちではなかったが、妊娠してからだるく重い感じが続いていた。

 その症状に効きそうだ。

 椅子に腰かけて上半身を左右に捻じるだけでいいらしい。

 これなら簡単だ。

 お腹に負担をかけないようにゆっくりと時間をかけて捻じった。


 その次は手足のむくみ対策。

 妊娠中は血液と水分のバランスが崩れやすいのでむくみやすくなるとトレーナーが解説していた。

 確かに朝起きたとき手足がむくんでいることが時々ある。

 モデルが仰向けになって手足をバタバタさせていたので、考子も床に寝そべって同じ動作を真似した。

 すると良さそうな感じがした。

 手足の先から水が下りてきて効果がありそうに思えたので、寝る前に毎晩やってみることにした。


 その後、いくつかのエクササイズが紹介されたあと、最後はウォーキングについての指導が始まった。

 トレーナーとモデルが公園の中を歩く画面になり、「外の新鮮な空気を吸うとリラックスできますよ」とモデルが大きく深呼吸をした。

 考子も公園を思い浮かべて深呼吸をした。

 確かにリラックスできそうだ。


「30分くらいを目安にゆっくり歩きましょう」とトレーナーが見本の歩き方を示した。

 顎を引いて、背筋を伸ばして、視線を真っすぐにして、踵着地で歩いていた。


「肩の力を抜いて腕を大きく振ってください」と言ってまた見本を示した。


「うっすらと汗をかくくらいが丁度良い運動量です。汗がポタポタしたたり落ちるような運動はやり過ぎですので注意してください。それから、水分補給も忘れないようにしてくださいね」とペットボトルから水を口に含んだ。


 そこでDVDが終わったので、考子はふ~と息を吐いた。

 結構疲れたので「今日はおしまい」と独り言ちた。

 そして、もう1枚のDVDを手に取り、「これは今度ね」とまた独り言ちた。


        *


 いつもより早く帰宅した新が念入りに手洗いとうがいをしたあと、リビングのテーブルに置かれた2枚のDVDを見つけた。

 1枚は『妊婦のためのエクササイズ』。

 もう1枚は『安産のためのエクササイズ』だった。


「これどうしたの?」


 ただいまのキスのあと、2枚を考子にかざした。


「別に」


 体重増加抑制という説明をするわけにはいかなかった。


「スタイルを気にしているのかな?」


 新が悪戯っぽく迫ってきた。


「別に」


 そんなことには関心がないというような声で返した。


「本当かな?」


 意地悪そうな笑みを浮かべて彼女の顔を覗き込んだ。


「もう、忙しいんだから邪魔しないの!」


 考子は台所へ行って料理を始めた。


「ふ~ん」


 新はDVDを見つめてニヤニヤと笑った。



 夕食が終わって片付けを済ませた新が「見てもいい?」と許可を求めたので、「どうぞ」と考子はなんの感情も込めずに返答した。

 断る理由はなかった。


 新は〈どっちにしようかな〉というように2枚を見比べ、「これにしよう」と呟いたあと、そのDVDをプレーヤーにセットして再生ボタンを押した。

『安産のためのエクササイズ』が始まった。


「出産に備えて筋力をつけておきましょう」という男性の声が聞こえた。

 新と同年代のトレーナーだった。

 そして、モデルの紹介をした。

 彼の妻だという。


「妊娠中の妻と一緒に安産のためのエクササイズをしますから、皆さんもご一緒にどうぞ。できればご主人も一緒にやってみてください」


 そうだなと思った新が〈一緒にやろうよ〉という合図を送ると、〈いいわよ〉というふうに考子が頷いた。


「先ずは腹筋からです」


 いきむ時に必要な筋肉だから鍛えておいた方がいいという説明があった。


「なるほど」


 新が納得顔で頷くと同時にモデルの妊婦が足上げ体操を始めた。

 仰向けに寝て足を腰幅に開き、両膝を立てて掌を下にした状態で、片足ずつゆっくりと直角に上げた。

 そして10まで数えて反対の足を上げた。

 それを3回繰り返した。


 それが終わると立ち上がり、腰の前後運動を始めた。

 立った状態で膝を軽く曲げて、息を吸いながら骨盤を後ろに引き、息を吐きながら骨盤を前に突き出した。

 それを3回繰り返した。


 その次は骨盤を左右に揺らす運動だった。

「骨盤を左右に引き上げるようにするのがコツです」とトレーナーがやって見せた。

 それを5回繰り返したあと、「ちょっと休憩しましょう。大きく深呼吸してください」と言ってラジオ体操のような動きをした。

 そこで新は一時停止ボタンを押した。


「大丈夫? 息上がってない? しんどくない?」


「大丈夫。まだ汗もかいていないから続けてやりましょう」


 考子は余裕の表情を見せた。


「では、再開」


 新が再生ボタンを押した。


「次は骨盤底筋(こつばんていきん)を鍛える運動です」


 子宮や膀胱を下から支えているだけでなく、赤ちゃんが通る産道を取り巻いている筋肉だから鍛えておいた方がいいという説明がなされた。


「なるほど」


 新がまた納得顔で頷くと、すぐに腰上げ運動が始まった。

 仰向けに寝て、足の裏を床にピッタリと張り付けた姿勢で両膝を軽く立てた。


「はい、ここで息を吸いながら肛門を引き締めます。できましたか? では、息を吐きながら腰を上げてください。そこで止めて息を吸ってください。今度は息を吐きながら腰を下ろします。そうです、上手ですね。それでいいですよ。そこでリラックスしてひと呼吸置きましょう」


 乗せるのが上手なトレーナーだなと思いながらも、乗せられている自分がおかしくなって考子は思わず笑ってしまった。


「はい、次は膣の周りを柔らかくする運動ですよ。寝そべったままの状態でお尻の筋肉と肛門をギュッと締めましょう。そして緩めます。ギュッ、フ~、ギュッ、フ~、ギュッ、フ~と10回繰り返してください」


 くしゃオジサンのような顔をして肛門を締めている新を見て考子は笑いそうになったが、ぐっと堪えて次の運動に備えた。


「はい、今度はしゃがみ込み運動です。座って膝を立てた状態で足を開いてください。そうです、その姿勢です。顔の前で両手を合わせて、両肘を両膝に当てるようにして、両肘で膝を押し広げてください。そうです、いいですね。それを3回繰り返します」


 すべてやり終えると、考子の額と首にうっすらと汗が浮かんできた。


「はい、お疲れさまでした。皆さん上手ですね。初めてとは思えない動きでびっくりしちゃいました。これからも毎日続けてくださいね」


 本当に見られているような気がして、考子は思わず辺りを見回してしまった。そんなわけはないのだが。


「最後にリラックスのポーズをとりましょう。横向きに寝て足を軽く曲げて腕は自分が楽だと思う場所に置いてください。お腹の赤ちゃんを感じながらゆっくりとしたタイミングで息を吐いて~、吸って~、吐いて~、吸って~、吐いて~、吸って~、吐いて~、吸って~、フワ~~~」


 トレーナーのあくびに誘われるように考子も大きなあくびをした。


 新は?


 隣で同じポーズをしていた彼は、とろんとした表情で寝息を立てていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ