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偵察魂(1)

 

 ウエストがきつくなってきたな~、


 独り言ちた考子は膨らみ始めたお腹に手を当てた。


 そろそろかな~、


 また独り言ちて、マタニティ用の服への切り替えを考え始めた。

 でも、いかにも妊婦さんという服は着たくなかった。

 どうせならお洒落なものにしたいと思った。

 だから、センスの良い妊婦服を探すために町に出かけた。

 本当は2人で行きたかったのだが、新は当直で病院に出勤していた。


 週末の繁華街は家族連れやカップルで賑わっていて、一人で歩いていることが場違いのように思えた。

 彼が普通のサラリーマンだったら土日は一緒に居られるのに、と自分勝手な考えが一瞬過ったが、そんなこと思っちゃダメと頬を抓って戒めた。

 彼は遊んでいるわけではない、仕事をしているのだ。

 それも自分のような妊婦のために働いているのだ。

 だから彼を誇りに思うべきなのだ。

 考子はもう一度頬を抓るようにして心の中で謝った。



 しばらく歩くと、妊娠出産関係の多様な製品を扱っている専門店の看板が目に入った。

 迷わず中に入って、店員を探した。

 同年代か少し年上で出産経験者なら尚いいんだけどな、と思っていたら若い店員が近寄ってきた。


 ちょっと若すぎる。

 それにマスクから鼻が出ていた。

 とっさにその店員をやり過ごして、店の中をぐるぐる回りながら目当ての人を探した。


 すると、ベビーコーナーで可愛い服を畳んでいるマスク姿の女性を見つけた。

 30代半ばくらいだろうか、

 この人なら的確なアドバイスを貰えそうだ。近づいて声をかけた。


「あの~、すみません。ちょっといいですか。お洒落なマタニティウェアを探しているんですけど」


 店員は手を止めて考子に笑いかけた。

 そして、「こちらへどうぞ」と売り場へ誘導してくれた。


 そこには色とりどりのマタニティウェアが並んでいた。

 ワンピースタイプ、パンツタイプ、そして、レギンスなど。


「お勧めのものってありますか?」


 すると店員は考子の服装をチェックするように見たあと、どう対応すべきか思案を巡らせるような表情をした。

 そして(おもむろ)に口を開いた。


「私の経験をお話させていただいてもよろしいですか」


 考子は待ってましたとばかりに顔を輝かせた。

 その話を聞きたかったのだ。


「私は3年前に出産したのですが、マタニティウェア選びで失敗したのです。デザイン重視で選んだことが失敗の原因でした。動きやすさとか心地やすさとかよりもカッコ良さにばかり目がいっていたのです。なので、通気性や肌触りといった妊婦服に必要な機能のことはまったく頭にありませんでした」


 そして、今言ったことが目の前の客の心にすとんと落ちるのを待つかのように時間を置いた。


「いかにも妊婦服というデザインを避けたい気持ちはわかりますが、そんな見た目のことよりも、これから出産までをいかに快適に過ごすかという観点から選んだ方が失敗が少ないと思います」


 そう思いませんか、というふうにニッコリ笑った。


「お腹や胸がどんどん大きくなっていくわけですから、伸縮性のあるものや締め付けないものを選んだ方が絶対楽なんです。それを踏まえた上で、デザインだとか色だとかを決めていったらいいと思います」


 出産を経験している上に多くの妊婦客と接している店員の言葉には説得力があった。

 だから、一も二もなくその意見を受け入れた。

 そしてデザインと色の好みを伝え、機能性重視でワンピースとパンツとレギンスを2着ずつ買った。



「下着はよろしいですか?」


 店員は後方にある下着コーナーに視線を向けた。


「伸縮性や通気性に優れた下着、肌触りの良い下着を揃えているんですよ」


 振り向いた店員に促されるように考子も従うと、下着コーナーにはゆったりとしたサイズのブラジャーやショーツやガードルなどが並んでいた。

 どれも胸やお腹をすっぽり包み込むデザインだった。


「最初はこのデザインや着心地に違和感があると思いますが、これから大きくなっていく体をゆったりと包んでくれるものがいいと思いますよ」


 近くにあったショーツを広げてみた。

 股上が長くてお腹やお尻がすっぽり入るくらい大きかった。

 いま自分が身に着けているものよりかなり大きかった。


 これを身に着けた自分を想像しようとして止めた。

 デザイン性を頭から追い出さなければならないと思ったからだ。

 なによりもお腹の赤ちゃん優先で決めなければならない。

 窮屈な思いをさせたり、負担をかけてはいけないのだ。


 ここでも店員の勧めに従って、機能性重視でそれぞれを買った。

 しかし、色だけは楽しみたいので、ピンクを中心にパステルカラーでまとめた。



「ありがとうございました。とてもいい買い物ができました」


 すると彼女はまたニッコリと笑って、

「お役に立ててなによりです。何かありましたらいつでもお声かけ下さいね。私の妊娠経験や接客経験がお役に立つのならこれ以上嬉しいことはありませんから」と今までで最高の笑顔を見せたあと、穏やかな顔に戻ってもう一つアドバイスをしてくれた。


「ところで、これから体がどんどん変化していきますから、それに伴って色々なことが気になってきます。私の場合は妊娠線が一番気になりました。お腹が大きくなるにつれて皮膚が引き延ばされるので、赤みのある細かな線ができてしまうのです。これは仕方のないことですし、出産して半年後には元の状態に戻ることも多いので心配し過ぎることはないのですが、私は妊娠線ができたところに保湿クリームを毎日塗っていました。そして、妊娠線予防マッサージを欠かさずしていました。人によりますのでお客様の場合はわかりませんが、もし妊娠線が気になったら今申し上げたことを思い出してください」


 そして、『妊娠線を予防しましょう』というタイトルのパンフレットを渡してくれた。

 しかし、棚に置いている高価な妊娠線予防クリームの購入を勧めることはなかった。

 妊婦客の財布にも気を配ってくれる彼女の態度に改めて好感を抱いた。

 だから、妊婦関連グッズはこの店員さんから買おうと心に決めた。


        *


 満足のいく妊婦服などを買い揃えることができた考子は、帰宅後、次にすることを考え始めた。

 そして、近々やらなくてはいけないと思うことについて新に相談した。


「ね~、そろそろ上司に報告しておいたほうがいいかな」


 新が頷いたので、「どんなことを話せばいいのかしら。妊娠しましただけでいいのかな」と続けると、ぷっと笑われてしまった。


「もうちょっとちゃんと報告したほうがいいと思うよ」


「例えば?」


「そうだな、出産予定日とか、産休に入る予定日とか、育休の期間とかかな」


「なるほど、それはそうね」


「それと、出張などの遠方へ行く業務を控えさせてもらったり、時間外勤務を極力なくしてもらったりというお願いをした方がいいかもしれないね」


「うん、そうね」


「あとは……、そうだ、妊婦健診で休む必要があることとか、体調によっては時差出勤をお願いすることになる場合があることも言っておいた方がいいね」


「うん、そうする。ありがとう」


 ちょこっと頭を下げた考子は、いま聞いたことを忘れないようにメモをして上司への報告に備えた。


       *


 次の日、考子はミーティングルームで緊張していた。

 手に持ったメモに何回も目を落としてブツブツ言ってはため息をついた。


 少ししてマスク姿の上司がドアを開けて入ってきた。

 研究部長だ。

 〈用件は何かな?〉というような表情で、机を挟んだ対面の椅子に座った。


「本日はお時間を頂戴して、ありがとうございます」


 そこまでは順調に言葉が出た。

 しかし、そこから先をうまく言えなかった。


「実は、あの~、え~っと、その~」


 いつもと違う考子の緊張具合に上司は首を傾げた。


「まさか、退職の申し出ではないだろうね」


「そんな」


 予想外の質問に飛び上がらんばかりに驚いた。

 しかし、そのお陰で緊張が解けた。


「実は、妊娠のご報告を」


 考子が最後まで言う前に上司が口を挟んだ。


「赤ちゃんができたの。そう。良かったね。おめでとう。初めてだったよね。いや~、本当におめでとう」


 考子がびっくりするくらい喜んでくれた。

 まるで我がことのように。


「それで出産予定日はいつ頃?」


「9月10日って言われました」


「ということは、産休に入るのが……」


「出産の6週間前になりますので、7月末には休ませていただくことになります」


「7月末ね。了解です。担当してもらっている研究を誰に引き継がせるか考えておくね。それと、出産後は育休を取るよね。そうなると、職場復帰はいつ頃になるかな?」


「それについては、また改めてご相談させて下さい。保育園の空きの問題もありますし、それに自宅勤務での復帰も選択肢として考えさせていただきたいので」


「了解。無理のない職場復帰を一緒に考えて行きましょう。とにかく、今は体のことを最優先にして、元気な赤ちゃんを産むことを第一に考えてください。なんといっても子供は日本の宝だからね。少子化が進む中で子供を産んでくれる妊婦さんは女神と言っても言い過ぎではないと思うよ」


 上司の温かい言葉に考子は涙が出そうになった。

 世の中ではマタハラが横行し、妊婦への冷たい仕打ちが数多く報道される中、自分はなんて恵まれているのだろうと、我が身の幸運に心から感謝した。



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