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偵察魂

 

「何処も売り切れなの」


 新が帰宅するなり、考子が悲痛な声で訴えた。


「売り切れって何が?」


「マスク」


「えっ、マスク?」


 考子は仕事帰りにドラッグストアを3軒ハシゴしたが、棚はすべて空っぽだった。

 ウイルス感染を恐れた人たちが一斉に買いに走ったため、一気に在庫がなくなったらしい。

 その上、ショックなことを店員に言われたと嘆いた。


「何を言われたの?」


「次の入荷はいつになるかわからないって言われたの」


「入荷未定か~」


 新は腕を組んで天井を見上げた。


「どうしよう……」


 考子は床に視線を落として不安な声を出した。


「60枚入りが1箱あるだけだから、2人で使ったら1か月でなくなってしまうわ」


「そうか~」


 新はまだ天井を見上げたままだったが、何かを思い出したように小さく頷いて、考子に視線を戻した。


「明日の朝一番で病院の薬局に在庫があるかどうか聞いてみるよ。それと、友人が調剤薬局をやっているから彼にも聞いてみるよ。君も仕事帰りに別のドラッグストアに行ってみてくれないかな」


「そうね、そうする。どこかには残っているかもしれないから探してみるわ」


        *


 翌日の仕事帰り、考子は昨日とは別のドラッグストアを3軒回った。

 しかし、マスクは何処にもなかった。

 そして3軒共に次の入荷は未定だと告げられた。

 その上、更にショックなことを知った。

 消毒液とハンドソープも売り切れていたのだ。


「これじゃあ三重苦じゃない」


 空っぽの棚を見ながら思わず愚痴が出た。


 でも諦めるわけにはいかないので、少し遠回りをしてもう一軒ドラッグストアに寄った。

 しかし、そこも同じだった。

 マスクも消毒液もハンドソープも売り切れていた。


 考子はガッカリして店を出ようとしたが、思い直して店員を探した。

 この店では次の入荷予定を聞いていなかったからだ。

 未定と言われるのはわかっていたが、確認しないまま勝手に判断するわけにはいかない。


 男性化粧品売り場で品出しをしている若い男性店員を見つけたので、マスクの次の入荷予定を聞いた。

 すると、思いがけない返事が返ってきた。


「明日の朝入荷予定です。先着順になりますが、お一人様1箱限定で販売するようになると思います」


 考子は飛び上がって喜びそうになった。

 しかし、店員は釘を刺すのを忘れなかった。


「皆様かなり早い時間帯から並ばれると思いますので、開店時間に来られても売り切れているかもしれません。その時はご容赦ください」


「かなり早い時間帯って何時くらいですか?」


「そうですね~、開店の1時間前にはかなり並ばれていると思います」


 このドラッグストアの開店時間は10時だった。

 ということは9時前に並ばないと買えないことになる。

 考子は8時から並ぶことにその場で決めた。


 そのためには午前中半年休を取らなければならない。

 こんなことで貴重な年休を消化したくはなかったが、背に腹は代えられないので半年休取得もその場で決めた。

 そして、貴重な情報を教えてくれた店員にお礼を言ってその店をあとにした。


        *


 家に帰ると新が出迎えてくれた。


「早かったのね」


 新はニコニコしていた。


 考子が手洗いとうがいを済ませてリビングに行くと、テーブルの上にマスクが並んでいた。


「えっ、買えたの?」


 考子が目を丸くした。


「うん。病院では無理だったんだけど、友人の調剤薬局で分けてもらえたよ。7枚だけだけどね」


 箱売りのものは売り切れていたが、高額な1枚入りが残っていたのだという。


「でも結構深刻なことがわかったよ。医療関係者向けのサージカルマスクも品薄らしいんだ。それに防護服も入手が難しくなっているらしい」


 友人の薬剤師によると、原因は生産体制にあるということだった。

 マスクの8割が輸入品で、その9割近くが中国産なので品薄が起こったというのだ。


「中国で感染が広がって一気にマスクの国内需要が高まったから輸出量が半減したらしい。つまり、日本にとっては半減とまではいかないけど輸入が大きく減ったことになる。需要と供給のバランスが崩れたのが今回の品薄の原因らしいんだ」


「それは医療用も同じなの?」


「そうなんだ。医療用もほとんどは輸入品らしい」


「そうなの。知らなかった。マスクはほとんどが国産だと思っていたからびっくりだわ」


「そうだろ。僕もびっくりしたよ。でもこれって大変なことなんだよね。供給を中国に頼っているということは、生殺与奪(せいさつよだつ)を中国に握られているということだからね」


「生殺与奪……」


 聞き慣れない言葉に考子は息をのんだが、話はまだ続いていた。


「安全保障という観点からは大きな問題だと思うよ。国民の健康が中国に握られているということだからね」


「でも、どうしてそんなことが」


「それは自由貿易のせいだよ。生産の最適化という言葉があるけど、日本で作ると割高になるものは外国で作ることになるよね。実際に工場を中国や東南アジアに移した企業は多いんだよ。それに工場は移さなくても技術指導だけして外国の現地企業に作らせて輸入する企業も多いから、日本産のマスクはどんどん減っていったんだよ」


 訳知り顔ですらすら話す新を驚いたような表情で考子が見つめると、彼はペロッと舌を出した。


「これは全部友人の受け売りなんだけどね」


 でも話を止めることはなかった。

 新は自らに言い聞かせるかのように言葉を継いだ。


「サプライチェーンを抜本的に見直すべきだと思うよ。今まで安全保障というのは軍事的な攻撃に備えることばかりを考えてきたけど、それだけでは十分じゃないということが今回のことでわかったよね。生活必需品の供給が止まったら国民の健康と安全に多大な影響が出るということを多くの人が実感したと思うんだ。だから、今までのような売上と利益という観点だけでなく、安全保障という観点からもサプライチェーンを見直さなければならないんだよ。そのためには国と企業が連携しなければならない。各自バラバラでは抜本的な見直しはできないからね」


 医師というより政治家の顔つきになった新の力説が続いた。


「危機こそチャンスなんだ。抜本的な変革ができるチャンスなんだ。新型コロナに右往左往しないで、アフターコロナを見据えた新たな戦略を立案すべきなんだ。そして世界のどこよりも早く実行すべきなんだ。千載一隅のチャンスを見逃してはいけないんだ!」


 新の顔が紅潮していた。


 それを見て、考子は政治家の妻になったような錯覚に陥った。

 しかし、それも悪くはない、とすぐに思い直した。

 選挙カーで声を枯らして夫の応援をしている姿を思い浮かべると、頬が緩むのを止められなかった。



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