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偵察魂(3)

 

「昼食はパスタでいい?」


「ウィ、マダム」


 オゾン層の話でちょっと暗くなって会話が途切れたが、考子が話題を変えたので新の表情が明るくなった。

 何故なら考子が作る〈茄子とバジルのトマトソースパスタ〉は新の大好物だからだ。

 だから運ばれてきた瞬間に左手にフォーク、右手にスプーンを持ち、クルクルっとパスタを絡めて、あっという間に平らげてしまった。


「ボーノ」


 さっきはフランス語で今度はイタリア語だったのでなんか変だったが、考子が笑っていることを気にする様子もなく、それどころか、考子がまだ食べている途中なのに自分の皿を下げて、台所でコーヒーマシンにカプセルをセットした。


 そして、考子が食べ終わる頃を見計らったようにエスプレッソを2つ運んできた。


「どうしたの?」


「ん? 別に」


 新はなんでもないというふうに取り繕ったが、実は話の続きを待ち切れなかったのだ。

 考子の妊娠がわかってから、今までになく生命の進化への関心が高まっていた。

 医学の知識や日常の診察とは別次元の興味が湧いてきていたのだ。


 しかし、そんな心の内を気づかれないようにエスプレッソを一口飲んで、「食後の1杯は最高だね」と頬を緩めた。

 それからもう一口飲んで、パスタの具材を話題にした。


「ナスやトマトって、いつ頃から食べられ始めたのかな?」


「さあ、どうかしら?」


 考子は首を傾げて、自分は植物の専門家ではないからそんなことはわからないわ、というような顔をした。


「ま、なんというか、その~、つまり、そうなんだよ」と訳の分からないことを口走ったあと、

「いや~、最初に上陸してきた生物はナスやトマトの先祖かなって」と目配せをした。


 な~んだ、午前中の続きが聞きたかったのね、と感づいた考子だったが、そんな素振りを見せず、新の筋書きに乗ることにした。


「それなら私にもわかるわ。最初に上陸した生物はね、」


 初めて上陸した生物はゼニゴケのような植物だったと考えられています。

 今でも裏庭とか溝とかの湿った所でよく見かけますが、とにかく繁殖力が強くて除草するのが大変なくらいなので、その繁殖力が上陸に繋がったのかもしれません。

 それから、ゼニゴケの次に上陸したのがシダ類でした。

 競争相手がいないこともあってどんどん大きくなって、中には40メートルもの高さになったものまでありました。

 そしてそれが集まって大きな森ができていったのです。


「ゼニゴケか~、想像していたのとは全然違うな」


 新は左手を口に当ててぼんやりと遠くを見るような目になった。

 すると頭の中に太古の地球の姿が浮かび上がってきた。

 シダ類が生い茂るうっそうとした森だった。

 それはどこまでも続いていた。

 それを追っていると、突然地表付近の葉っぱが揺れた。

 しかし、風のせいではなかった。

 何かが揺らしたのだ。

 そこを見つめていると、今度はごそっと動いた。

 植物以外の何かがいるのは確かだった。

 新は考子に視線を戻した。


「植物を追って動物が上陸したのはいつ?」


 その瞳には興味津々という文字が浮かび上がっていた。

 考子はすぐさまそれに答えた。


「動物が上陸したのは3億9千万年前くらいよ。植物が上陸してから6千万年くらい経っていたわ。エラ呼吸から肺呼吸へ進化するのはそんなに簡単じゃなかったのよ」


「そうだよね。生物はずっと海の中で生活していたからその環境に適応していたわけだし、未知の世界へ足を踏み出すのは大変だよね」


「そうなの。肺呼吸ができるようになるには魚類の進化を待たなければならなかったの」


 魚類の中から首のようなくびれを持つものが現れ、そのうち頭部と肩部が分かれたものが出現しました。

 そして、ヒレの中に指のような構造ができた魚類が現れました。

 すると、水の中から顔を出して様子を窺うものが現れ、そうこうするうちにエラではなく肺で呼吸できるものが現れたのです。

 こうして海の生物は少しずつ陸に上がっていきました。

 それが両生類の祖先です。

 その頃にはヒレは足に進化して体を支えることができるようになっていました。

 肺と足を獲得することによって上陸が可能になったのです。


「そうか、俺たちの祖先が両生類だとすると、その祖先が魚類だから、その名残として胎芽の頃にエラがあるのか」


 新はまた遠くをみるような目をした。


「そうね。妊娠のごく初期の段階ではほとんどの生物が一緒の形をしているの。

 逆くの字のような格好で、エラのようなものがあって、尻尾のようなものがあるの。

 だからこの段階ではサカナもカメもニワトリもブタもウサギもヒトもほとんど見分けがつかないわ。

 すべての動物は単細胞の受精卵から発生するから、その初期の形が似るのは当然なんだけど、でも、エラがあって手足がない魚のような形だったものが乳腺や耳介のない爬虫類のようになって、その後、尻尾がない頭でっかちの形になって、徐々に人間の形になっていくのだから、海で生まれた祖先、上陸した祖先を反復しているという考えが主流になっているのは当然よね。

 専門用語では『個体発生は系統発生を短縮してくりかえす』というのよ」


 すると新が〈よくわからないな〉というような顔をしたので、考子は平易な事例を探した。


「わかりやすく言うとね、そうね、カエルを例に取ればいいかも知れないわね。

 カエルって卵からいきなりカエルとして生まれるんじゃなくてオタマジャクシとして生まれるわよね。

 その時、彼らは水中でエラ呼吸をして魚のように過ごすんだけど、1か月後に変態期を迎えて、2か月後には完全にカエルになっているの。

 そしてその時には肺呼吸をして陸上生活をし始めるの。

 普通に考えたら変態なんて面倒くさいことをしないで卵からすぐカエルになったらラクチンなのにって思うかもしれないけど、それができないのよ。

 何故なら、遺伝子の中に系統発生上の制約、つまり両生類の先祖が辿った道筋が組み込まれているからなの。

 それを省略して卵からいきなりカエルにはなれないのよ」


 理解してくれたことを期待して考子は新の顔を覗き込んだが、新は「系統発生上の制約か~」とブツブツ言ったあと、顎と口を突き出し、手を折り曲げ、10本の指を開いて、「ゲコッ」と鳴いた。



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