愛してくれない婚約者とはおさらばして精霊の森へ向かったら、溺愛してくる精霊王さまが待っていました
夢を詰め込みました。いつも通り頭を空っぽにして読んでね!
私も精霊の森に行ってのんびり暮らしたいです。
「もう疲れたな……」
ぼそりと、そんな言葉を呟いた。
それを聞いたみんなが『じゃあ逃げちゃえば?』と、そんな提案をしてくる。
…………逃げる?
「逃げる、って……」
『そのままの意味だよ。嫌なことはぜーんぶ、やめるの! それで、好きな場所で暮らす!』
『僕達の森においでよ、ヘザー。僕達がずっと守ってあげる』
きらきらと目の前を光の粒子が舞う。
それは周りをみんなが回っているからか、はたまた、私の目が、その言葉に輝いているからか。
「そんなことが……、本当に出来るの?」
話は遠くの時間を遡る。
私、ヘザー・ティアニー伯爵令嬢の婚約者は、それはもう大層な女好きだった。
ご令嬢を見ればすぐ口説きにかかり。学園内でも、選り取りみどりの美女を侍らせている。
私の婚約者は、オズワルド様は、そんな最悪の男だった。
けれど、貴族の結婚は契約と同じ。相手が嫌だからと言って簡単に破棄できるようなものではない。
しかもオズワルド様の方が身分が上なせいで、婚約破棄を申し出ることも叶わない。よって、私はこの女癖の悪い婚約者に対し、ひたすら耐えるしかなかった。
しかし、当のオズワルド様はというと。
「お前は美しい俺には似合わない」
「もっと色気を出せ。俺がそそるように」
「お前の家からの援助がなければ、すぐに婚約破棄を言い渡してやるものを」
なんて、ふざけたことを言う始末。
これでお分かりだろう。私達はお互いを愛してなどいない。ただ彼の家が財政難で、それをうちが助けたから、代わりにうちの息子と娘を結婚させましょうというだけの話だった。
不謹慎な話だけど、そういう裏話があるから、オズワルド様の家は私の家に頭が上がらない筈なのに。
本人はそこの所を全く気にしていないらしい。神経が図太いのか何なのか。いや、多分普通にアホなんだと思う。
私だってオズワルド様と仲良くできるよう、努めてきたのよ?
けど本人にその気が無いんじゃ、いつまで経っても実を結ばない。それどころか、最近はお気に入りの男爵令嬢まで出来ちゃったみたいで。しょっちゅうその女性と愛を語り合っている所を目撃した。本人達に隠す気が全く無いので。
おかげで私は周りから、「婚約者から嫌われている可哀想な令嬢」として、密かに嘲笑われている。
全く。
いくら学園に通っている間は、自由恋愛してもまぁ大目に見る。という空気が暗黙の了解のように流れているとしても。
これは無いんじゃないかしら。
「はぁ……」
自室でため息をついた。
時たま、押し込んでいられない思いを日記帳に書くことがある。それも随分と溜まってしまった。どれだけオズワルド様やこの現状に不満があるのだか。
『ヘザー、どうしたの?』
『ため息ついてる』
すると、周りをひらひらと飛ぶ小さな生き物が現れた。
どうしたどうしたと騒ぐそれらに私は笑みを返して、「何でもないのよ」と言った。
──幼い頃から、精霊の姿が見える私。
この力は希少で、知っているのは私の家族くらいだ。公にはしていない。
公表すれば、精霊の愛し子として神殿に連れて行かれてしまうから。
家族と離れたくない! と泣いた幼い頃の私。
神殿に報告しないのは隠蔽罪になるのではないか……とも考えたけれど、やっぱり神殿に子供を渡して、一生離れ離れになるかならないかの状況には置きたくない家族。
そして私の感情に影響され怒り出す精霊達。
そんな流れがあって、私は今、普通の令嬢として過ごしている。神殿には、精霊が見えることは報告していない。
精霊は魔法を使うのに必要不可欠な存在だ。彼らが居なければ、自然の力を借りることはできないのだから。
でも、普通の人に精霊の姿は見えない。
だから精霊が見え、意思疎通のできる愛し子は、その力を国同士で奪い合われ、激しい戦争に巻き込まれたのだという。こんな話を聞いてしまえば、こんな力があるなんて大っぴらには話せないと思うでしょう?
だから今はこうして、一人きりの時に彼らと話をするだけ。極力、他人にはバレたくない。
そんな私の気持ちを彼らも分かっているらしい。
「私が大好きだから私の望むようにする」と言ってくれた精霊達は、他に人が居る時には滅多に話しかけてこない。ぐるぐる回りながら精霊達だけで話をすることはあったりするけどね。
『ヘザー、大丈夫?』
よく私の周りを飛んでいる精霊の一人、ミクが話しかけてくる。
『やっぱりあのクソ男を石で押し潰して……』
『いやいや、俺の火で炙るのがいいよ』
『それならさー』
「こらこら、物騒な話しないの」
困った顔で精霊達を宥める私。
意外と過激な考え方をする子たちも居るので、落ち着かせるのは大変だ。
「いいのよ、別に。私にオズワルド様を引き留める魅力が無いのが悪いのだし……」
『そんなことない! ヘザーは美人だ!』
『そうだそうだ! あいつがわからず屋なだけさ!』
「……ありがとう。みんな」
優しい言葉に泣きそうになる。
うん、まだ大丈夫。私は頑張れる。
だって皆が居てくれるから。
でも────。
まるで終わりのない迷路にずっと閉じ込められているみたいな感覚がする。いつになったらこの迷路から出られるのか、私には皆目見当がつかない。
机に突っ伏してみる。
瞳を閉じれば、私の心は、人知れず深い奥へと沈んでいくのであった。
*
「あんな奴、借金が無ければ相手にすらしていない。まるで道端に咲いている地味で目立たない野花と一緒さ」
オズワルド様のその声が、私の中にやけに響いた。気がした。
学校にて。
今日も今日とて、彼は私の存在など最初から無いかのように振る舞う。
「オズワルド様、今度のお休みに……」
「用事がある。それより、学校では俺に話しかけるな」
婚約者としての交流を行おうとしても冷たい表情であしらわれるだけ。
そんな彼には重いため息をつくしかない。
しかし、校内の中庭を丁度通っていた時。
オズワルド様が誰かと話をしているのが聞こえた。
クスクスと楽しげに笑うその女性は、……件の男爵令嬢だ。
中々居ないとされている光魔法の使い手らしいと聞いたことがあるが、あまり興味はなかった。
「オズワルド様、それって本当ですかぁ?」
砂糖菓子のように甘ったるい声だ。男性は皆、こんなにも分かりやすいものがお好きなのだろうか。
こういうのが私には備わっていないから、嫌がられるのかな?
ピタリと足を止めた私が二人の会話を聞いているとも知らず。オズワルド様は、普段聞いたこともないくらいに楽しそうな様子で話を続けた。
「ああそうだよ。あいつ……ヘザーとの婚約は、解消する!」
びっくりした。
考えないわけではなかったけれど、まさか、本人の口からハッキリそう言われるだなんて。
「大体、俺はあんな陰気な女は好まないんだ。ジュリアのように可憐で、いつも愛らしい雰囲気を絶やさない女性がいい」
「ふふふっ、それってつまり、あの女を捨てて私を選んでくれるってこと?」
「勿論だとも!」
これって、かなりまずい話を聞いているのではないかしら。
大体、私の家にしている借金は一体どうするつもりなのだろう。婚約という関係を結んでいるからこそ、今も返済を待ってもらっている状態なのに……。
そんな私の疑問に答えるようにオズワルド様は言った。
「かなり美味い話が今我が家には来ているんだ。これが成功すれば、あんな女の家にしている借金など、一瞬でチャラになる!
そしてあれとは婚約を解消し、ジュリア、君に堂々と求婚できるよ!」
「まぁ……!」
感動しているらしいジュリアさんとやらの声が聞こえる。
まるで物語のワンシーンでも見ているかのような気持ちだった。
……この場合、悪役は私ということになるのかしら?
きっとそうよね、だって、二人の愛を今妨げているのは私なんですもの。
ふ、と笑いが出る。
こんなのもう、自分で自分を笑うしかないだろう。
「ああ、可哀想なヘザー様。私に婚約者を奪われてしまうだなんて……」
くすくす。くすくす。
甘ったるくて耳障りな笑い声が、耳に張り付いて止まらない。
オズワルド様も、笑っていた。
その女と一緒になって。
「あんな奴、借金が無ければ相手にすらしていない。まるで道端に咲いている地味で目立たない野花と一緒さ」
その言葉を聞いた瞬間、すとん、と。
私の心の中に、色んなものが落ちてきて。
「…………」
口を引き結ぶ。鼻がツンとして、何かが込み上げてくるのを我慢する。
────こんなことで、泣いてなんかやるものか。
そう思った私は、ゆっくりと、その場を後にした。
*
そして冒頭に戻る。
「なんだかもう、疲れたな……」
疲れた。もう疲れてしまったのだ。
仕方がないのかもしれない。
オズワルド様にとっては、借金を盾に嫌いな私とずっと婚約させられていたようなものだから。本人からしてみれば、人身御供と同じようなものなのかも。
でも、もうそんなことを気にする余裕もないくらい、私の心は疲れ果てていた。
婚約者に少しでも好かれようと頑張らなくてはいけないのも、周りから本当は嘲笑されているのだという事実に耐えうることにも。
全てが、嫌だ。
「もう、どこか遠くへ消えちゃいたい……」
本来なら誰にも聞かれないであろう、一人きりな私の呟き。
だが、ここには精霊達が居る。
『じゃあ、逃げちゃえば?』
一人が言った。
(……逃げる?)
逃げる。
ここから?
『……そうだ、逃げればいい』
『もうここが嫌になったんでしょう? なら、逃げてどこか別の場所に行こう!』
それに周りの皆も賛同して、どんどんと声が大きくなっていく。
疲れ切った私はその大合唱を止めることもせず、ただぼんやりと聞いていた。
逃げる。
どこか、別の場所へ。
(……そんなことが、出来るの?)
「どうやって……」
そうだ。逃げるって言ったって、方法が無ければ叶わない。
私の問いに精霊が答える。
『僕達の森においでよ!』
『たくさんの自然があって、のんびりしてて、美味しい木の実だっていーっぱい生ってる! 精霊の森に来れば、怖いことは何も起こらない!』
「精霊の森……」
静かにその名を呟く。
普段この子達と一緒に居るのだ。聞いたことがないわけではない。
本来、精霊達はこの世全ての自然に備わっているが、その中でも特に彼らが生まれ、還っていく場所とされているもの。
大きな樹木が中心に立つ、人間などが立ち入らない、聖なる森だと。
本当に、そんな場所に私が行くことが出来るのだろうか?
「それ、私が行ってもいいの……?」
『ヘザーなら大歓迎だよ!』
私の不安を掻き消すように笑顔で言う精霊達。
『まだ会ってない精霊達も、まだ生まれて間もない子達も、みーんなヘザーのことは知ってる。君は私達の愛し子だからね』
『みんな君が来るって聞いたら大喜びするはずさ! 絶対!』
「…………」
大喜び、という台詞を聞いて、私の中では嬉しさが沸き上がった。
婚約者にも望まれていない私。周りからは「可哀想な令嬢」だと哀れまれている。
そんな私を、望んでくれる存在が、本当に居るのかな。
……それなら、行ってみたいな。
「行こう、かしら」
『ほんと?!』
『やったー! ヘザーが森に来るよ、みんな!』
『こうしちゃいられない、森のみんなに報告だ! 急げ、急げ!』
一気に大盛り上がりになった彼らを見て、「あはは……」と苦笑する。
でも、嬉しいのは私も一緒だ。……ここから、逃げ出せる。
突然私が消えたら家は混乱するんじゃないかとか、学校での出席は足りなくなってしまうのではないかとか。……この婚約が、一体どうなってしまうのだとか。
考えるべきことはたくさんあるのだろう。
でも、今はどうしても、何も考えたくなかった。
何も考えずに、何も無い場所で、みんなと過ごしたいな……。
*
数日後の深夜。
私は少しの荷物を持って、学園の寮から出ていった。
周りには精霊達がついてくれている。
『やった、やった♪ ヘザーの門出だ♪』
『ヘザーが森にやってくる〜♪』
『バカ男は死ね!』
楽しそうにしている中、一部過激な表現があるのは聞き間違えだろうか。
「それで、精霊の森はここからどうやって行くの? どのくらいで着く?」
私の問いに精霊の一人、アリシアが答える。
『精霊の森と繋がっている木が向こうの森の中にあるのよ〜。だから、その木から精霊の森へとワープするのよ〜』
「ワープ……」
なんだか想像できない光景だ。
どんな感じなんだろう。
指し示された森は少し遠くて、数時間ほど歩かないと辿り着かないとのことだったけど、彼らと歩く旅は楽しかった。
何より開放感が凄まじい。
嫌なことは言われないし、誰かの機嫌も取らなくていい。最高だ!
『ほんとにいいの? このまま歩く形になって。僕達に頼れば、風でぴゅうっと木の所まで飛ばしてあげるのに』
「今日は歩きたい気分なの。みんなとおしゃべりをしながらね」
そう伝えると、喜んだ顔の精霊達が『うん! わかった!』と嬉しそうに答えてくれる。
『くくく、それにしても……。ヘザーがここから居なくなるんだもんね。そうしたら、あいつらはどうなるかなぁ……』
『楽しみだね、楽しみだね』
「え?」
よく聞こえないけど、なんだか不穏な空気を醸し出しているような……。
聞き返した私にミクが『ヘザーは気にすることないよ』と優しく言った。
『そうそう。お前は何も気にせず、俺達の森へ来るといい!』
『今までたくさん頑張ってきたんだもの〜。もう休めって、精霊王様も仰ってるのよ〜』
「……そうかな」
『そう!』
一生懸命私を元気づけようとしてくれていることが分かり、私はふふっと微笑んだ。ちょっと物騒な所はあるけれど、みんなみんな、優しい私の友人達だ。
『ここがその木だよ!』
休み休み歩いて、とうとう見つけた。
なんだかキラキラと光を帯びている気がする。これが、精霊の森への入り口……?
『さぁ行こう、ヘザー! この木に手のひらをかざして!』
「こ……こう? って、きゃぁぁぁあっ?!」
言われた通りに手をかざした途端、すごい勢いで木の中へと吸い込まれていく私。
叫び声を上げながら、「これから私どうなっちゃうのーーっ?!」と、頭の中でそんなことを考えていた。
*
──ぽすっ。
「う、う〜ん……?」
あれ、痛くない。
てっきり地面にぶつかるものだと思っていたけれど、そんな衝撃はやってこなかった。というか、なんだか、温かいような……。
「やぁ、ヘザー」
頭の上から落ち着いた声が聞こえてくる。……男性の、声?
私は瞑っていた目を開いた。
そして、驚愕。
「きゃーーっ?!」
なんと、私は男性の腕の中にすっぽり入っていたからだ!
というかまさか、私はこの人の上に落ちたの?!
「す、すすすみません!! お怪我などは?!」
「あはは、大丈夫だよ〜。ヘザーはかわいいなぁ」
「?!?!」
目が飛び出しそうになった。
かわいい。
この、わたしが。
予想外の言葉に固まっていると、その男性は私をより強くぎゅっと抱きしめてくる。
待って! 私はあの男爵令嬢みたいに男性との接触に慣れてるわけではないのよ!!
「あ、あなたは誰ですか?! それと、は、はな、離し……ッ」
「うーん、そうだね。まあ敢えて名乗るとするなら、アムルディートって名かな」
「あ、アムルディート……?!」
『精霊王さま〜!』
大混乱中の私の耳に、精霊の楽しげな声が聞こえてくる。
ピシリと身体を固まらせた。
ちょっと待って、……今、なんて?
『精霊王さま、ヘザーを連れてきたよ!』
「うん、ありがとう。みんなお疲れ様」
『これから精霊王さまとヘザーはずっと一緒!』
「え? え?? 待って、精霊王?」
精霊王。
精霊達の全てを統べるという、古代から伝わる尊き存在。普通の人間には到底お目にかかれない代物だ。
そんな人が、今私を抱きしめてる……? うん、ちょっと何を言ってるのかよく分からないなー、あはは……。
「そういう名もあるね」
私の疑問に、さらっと言った男性。
あまりにもアッサリし過ぎていて、ついていくのに必死な私が馬鹿みたいだった。
「さ、とりあえず座ろう。ヘザー」
精霊王様……がぽんぽんと椅子を叩いて言ってくれる。
「は、はい……」
なんだかよく分かっていないが。頭がもうキャパシティをオーバーしているような気もするけれど。
とにかく、座って話そうということだろう。
そう思って私は、その椅子に腰掛けようとした──。
「ああ、ちょっと待って。
……はい、これでOK!」
「待ってください何故あなた様のお膝の上に?!」
が、なぜかひょいっと身体を持ち上げられ、気が付いた頃には彼の膝に座っていた。
思わずそう叫んだ私に対し、精霊王様があっけらかんと言う。
「だって、僕はヘザーが好きだから」
……もう、どういう理屈なのか分からないわ。
「よく来てくれたね、ヘザー。ここまで長い旅だっただろう?」
そして何故か私の髪を手で梳きながら話をしてくる精霊王様。なんでそんなことをしているのかはもうツッコまない。後にします。
「え、ま、まぁ……、数時間歩きはしましたが、大分休みながらで行ったので……」
「違うよ。そういうことじゃない」
え? と後ろに座る彼を見る。
彼の表情はとてもやさしげだ。
「君がここに来た理由も、今まで歩んできた人生も。僕は知っているよ。精霊を通じて君を見ていたからね。
……辛かっただろう?」
「あ……」
それを聞いて理解した。
この人は今までの私を知ってるんだ。私が、どんな思いをしてきたのかを。婚約者から、どんな扱いを、受けてきたのかも……。
「今まで一生懸命歩み寄ろうとしたのに、あの男は何もしてくれず、それどころか君を追い詰めるような言葉ばかりをかけた。周りの人間たちも、そんな君を、「可哀想な令嬢」だと哀れみの目で見ていた。
僕はずっと思っていたよ。それならここに来ればいい。僕の傍にいれば、辛いことなんて何も起こらないのに──、って」
「…………」
「……君は何も悪くない。悪いのは、愚かなあいつらだ。
ヘザーはずっと頑張ってきた」
「……精霊王、さま」
「様なんてつけなくていいよ。君にはアムルディートと……そう呼んでほしい」
私の頭を、温かい手が優しく撫ぜる。
その温かさが、今の私にはひどく、響いてしまって。
「今までよく頑張ったね、ヘザー。
もう、ここではそんなことしなくていいんだよ」
「……う、うう、っ……!」
──その瞬間耐えきれず、私は瞳から大粒の涙を流し、わぁわぁと大泣きしてしまっていた。
精霊王様……アムルディートは、そんな私をずっと優しく抱きしめてくれて。
そうだ。私はずっと辛かった。何もかもを放り出したかった。
家族とも中々会えない状態で、周りは敵ばかりのような気持ちで。……精霊達はいつも傍に居てくれたけど、それでもやっぱり、心に蓄積した傷は無くならなかった。
もう頑張らなくてもいいんだよと、誰かに抱きしめてもらいたかったのかもしれない。
散々泣いて、ようやく落ち着きを取り戻した頃。
「……ご、ごめん、なざい。こんなに泣いちゃって……」
すび、と淑女らしくない鼻の啜り方をしてしまう。今だけはどうか許してほしい。
それでもアムルディートは笑顔で私を撫でてくれるだけだった。
「気にしないでいいよ。ここではなーんにも我慢することないんだから」
「……そう、ですか?」
「そう! ここは君のための場所。君が心から安らげるように誂えた所だもの。
だから、君は君の思うがままに過ごしてほしい」
そう言ってもらえるととても有り難いけれど……、いいのかな。
というか、さっきから精霊王様の膝に座りっぱなしだったわ。不敬だとかなんとか言われたら反論できない……。
そんなことをぐるぐると考えていると。
「……本当に、あいつらには反吐が出る」
突然ぎゅうっと背後から抱きしめられたので、私はびっくりしつつそちらを見た。
アムルディートの表情は長い髪に隠れていてよく見えない。
「僕の大事な君を、こんなにも傷つけて……」
「……あの、アムルディート?」
「君が何とかしようと努めていたから僕も今まで手出ししていなかったけれど……、もうダメだね。離してあげられない」
一体何の話をしているのだろう。
頭に疑問符を浮かべていた私に、彼はパッ! と顔を上げて、笑顔を向けてくる。
「さて! 僕はちょっとした話し合いをしなきゃいけないから、ヘザーはこの森の中でも探検してきておくれ」
「え、でも……」
「君はこれからここで暮らすんだから、どんな所か見てみたいだろう?」
「……まぁ」
「疲れたら寝床を用意してあるから、そこで休むといい」
「……わかりました」
まぁ、彼がそうしろと言うのならそうしよう。
ここでやることもあんまり決まってないし。
「うん、いい子だ」
「?!」
すると突然ちゅっと私の額にキスをするアムルディート。
声にならない声を上げて額を押さえれば、彼は楽しそうにあははと笑った。
『ヘザー、こっちこっち!』
『僕らが森を案内するよー! 来て来て!』
「あ、ありがとう……ってちょ、待って待って! 引っ張らないで、今行くから!」
「おーい、あんまりヘザーを連れ回すんじゃないぞ〜。適当な所で休ませなね」
アムルディートの膝から降りた瞬間、たくさんの精霊達が寄って来て私の腕を引っ張っていく。
私はそれに慌ててついていきながらも、これから見られる未知の世界に、密かに胸を躍らせていたのだった。
「……それで。向こうはどうなってる? リュカ」
『続々と仲間達がこの森に集まってきてるぜ。これなら朝にはすっからかんだな』
『当然なの〜。だって、私たちのヘザーをいじめたんだもの!』
「あはは、いい気味だ。
……ああでも、ヘザーの家族の所からはあまり居なくならないようにしておくれ。彼女がきっと気にしてしまうからね」
『了解だぜ!』
『じゃあ、また向こうの様子を見てくるのよ〜。
精霊王さま、ヘザーをよろしくね〜』
そう言って、リュカやアリシアを始めとした数名の精霊達は消えていく。
光の粒子を眺めながら、精霊王──アムルディートはぼそりと呟いた。
「そうさ。あの子の気持ちをずっと蔑ろにしてきたんだもの。
こんなもの──どうなったっていいよね」
口に手を当て、くつくつと笑いを漏らす。ああ、こんな顔はあの子には見せられない。
しかし。これから王国中に蔓延るであろう混乱を考えてしまえば──アムルディートは、その楽しみさに笑みを浮かべずにはいられなかいのであった。
*
──ヘザーが精霊の森に着いた日の、その昼頃のこと。
「何っ?!」
「きゃあああっ?!」
いつも通り中庭で人目を憚らずイチャイチャとしていたオズワルドとジュリアの前に、突然魔獣が現れたのだ。
驚きと恐怖で声を上げる二人。
「どういうことだ!」
学園内には結界が張ってあるはず。それがあれば、魔獣はこの中には入ってこれないはずなのに!
「あ、ああ……」
「ジュリアッ」
「オズワルド様、わた、私、恐ろしいわ……! あんな凶暴な魔獣……!」
いくら光魔法の使い手といえど、ジュリアに実戦経験はまだ無い。恐怖で涙を流すジュリアを見て、オズワルドは「この人を守らなければ」と決意した。
「くらえ!!」
覚悟を決め、オズワルドの属性である火魔法を放つ。
…………放った、はずだった。
「…………あ、あれ……?」
出ない。
いつも使えていた自分の魔法が、何も出てこない!
「なぜ、何故だ?! クソッ、呼び声に応えろ精霊!!」
何度叫んでも魔法は発動されず、オズワルドは地団駄を踏んだ。
(なぜ、魔法が使えないのだ?!)
混乱する頭の中で考えても答えは出ない。
当然だ。
まさか──王国中からほぼ全ての精霊が居なくなっており、皆精霊の森へと帰っているせいで魔法が使えなくなっているのだ、などと、考えもつかなかったのだから。
「……?! あ、あたしの手からも魔法が使えないわ、どういうこと?!」
後ろでへたり込んでいたジュリアが叫ぶ。
それに一瞬気を取られ背後を見た、その瞬間だった。
「うわぁぁぁぁあ!!」
「いやぁぁぁあ!!」
魔獣が、勢い良く二人の元へ襲い掛かってきたのは。
(どうして、こんなことに)
──ぐちゃり。
オズワルドの視界が、真っ赤に染まった。
自分が消えたことにより、今王国中がどんな目に遭っているかなど、森に居るヘザーには当然分からなかった。
だってここは優しい檻の中。外の怖いものを全て遮断する、彼女のために誂えられた森。
そして。
王国の者達が全ての真実を知ることになるのは、もう少し後の話だ。