茎は伸びて、陽を掴む
その日、母親に友達と遊ぶためと嘘をついて
彼女に会いにいった。
情けのない話だが両親の庇護の下にあっては
こうでもしなければ恋愛を隠し通すことはできない。
「今日も遅くなるの?」
「え、まぁまぁね…」
「そう…帰る時は連絡お願いね」
「うん、いってくる…」
「いってらっしゃい」
ただ、この手を使い過ぎたせいか
負い目のようなものを感じているせいか
母の目には疑いの色が映っていたような気がする。
そこで感じた胸騒ぎは待ち合わせの時間を過ぎて、
別の不安に移り変わり大きくなっていった。
待ち焦がれた彼女が来ない。
10分おきに携帯で連絡を取ったが、
電話にもチャットでも返答がない。
かれこれ1時間程度その場で待ち続けたが、
全く来る気配が無い。
心臓が激しく脈打ち、
頭から血の気が引いてくる。
探さなければ…
頭によぎったその考えが
僕の足を動かし街中を駆け回らせた。
思いつく限りの場所に向かい、
警察へも捜索を願い出て、
携帯での連絡も続けた。
日が沈み、街に明かりが灯り、
日付も変わろうとしていた。
それでも彼女の姿を見る事はなかった。
涙も枯れ果て、関節は軋み、
上体に重力が取り憑くまで
疲れ切った体は仕方なく、
怒りに狂ったであろう母が待つ
我が家に歩を進めていた。
その時感じたのは母親が放つ
怒りやヒステリーに対する恐怖より
彼女に何か不幸が降りかかったのでは
無いかという不安と
彼女の兄である親友から向けられる
容赦ない追及と憎悪、
そして、原因を作り出しておきながら
何も解決できなかった自分へ
激しい怒りが入り混じった
目まぐるしい感情の揺らぎだった。
そんな心を抱えたまま
帰るべき場所に帰ったが、
玄関の取手を掴む手は
金属の重りをつけたように重く、
手をかけるまでに至らない。
いっそこのまま帰らない方が良いだろうか、
彼女を探し続けて世捨て人として
のたれ死んだ方が余程責任感ある行動だと
いえないだろうか、
そんな事を逡巡していると突然ドアが開いた。
思考は即座に打ち切られ、
一瞬逃げ出そうかとも思ったが、
ドアの向こうに現れた瞼を赤く腫らし、
髪が掻き乱され、
心なしか頬がやつれ
今まで自分が見てきた中で老けいった風貌を
晒した母親の姿を見て思い止まった。
おそらく自分と同じ感情の激しい揺らぎを
味わったのであろう、彼女は自分の顔を見るなり
両腕を伸ばして駆け寄ってきた。
そして、力強く愛する我が子を抱き寄せ
唸り声を上げながら、
とめどなく溢れ出す涙で
息子の肩を濡らした。
無事でよかった…、
そんな思いが体を包む腕から
痛いくらいに伝播してくる。
ギリギリと締め付ける感覚は
湿りを感じていても水滴を
吐き出すことのできない雑巾に
成り果てた僕の心を搾り上げた。
息を大きく吸い込んで
ゆっくりと母の背中に手を回すと
ゆっくりと視線をおろした。
ポタリ…ポタリ…
枯れた涙が溢れていく。
心にバックリと開いた切り傷を舐め合う母と子を
静かに朝焼けが包んでいった。
由紀の死を知ったのはそれから2時間ほど後だった。
「………」
「ごめん…」
「………」
「……………もっと…
早く言ってれば……」
「……」
トッ…
酒の注がれたグラスをカウンターに
静かに置いたつもりだったが
液面が激しく動揺し、
大粒の雫が二、三滴
グラスの外へと飛び出した。
決死の覚悟を持って親友の口から打ち明けられた
衝撃の事実に動揺を隠そうと努めたつもりだったが、
自分の心根はそうはいかず、
驚き、筋違いかもしれない怒り、悲しみ
鳥肌が立つような恐怖が
体に力を込めさせる。
「……何故だ…」
幸治郎がこちらに顔を向ける。
「由紀のことで……
言いづらかったんだろうけど…
なんで今更…」
幸治郎は手元のグラスに視線を落とし、
そっと呟いた。
「…自分のためさ……」
「………」
「洗いざらい全部話して…
心のつかえと由紀の事を忘れてしまいたい…
ただそれだけの理由さ…」
「……そうか…」
「人間のクズさ………」
啜り泣き始めた彼の背中に
そっと手を添えた。
仕事帰りの客が入り
店に活気が出始めた頃、
2人の男は店の外を彷徨っていた。
「……ショウ…」
「ん?」
「……なんでもない…」
「……何か言いたかったんじゃないのか?」
「……」
「…教えてくれ」
「……こんな事を頼んで良いか」
「なんだ?」
「………由紀にあった事を…
もうこれ以上調べないでくれ……」
「………」
「勝手な事を言ってるのはわかってる…
そんなの頼めるような立場じゃないことも……」
ふと目を向けると幸治郎が俯いているのが見えた。
「辛いんだ……由紀を…思い出してしまって…」
「………それはできない」
「……」
「覚悟してここいる事も
無理とわかって頼んでいる事もわかっている
だが、止める訳にはいかない…由紀の為にも…
母さんのためにも……」
「…自分のためじゃないのか?」
「……」
「もう良いじゃねぇか‼︎犯人は捕まってるんだろ‼︎」
「アイツは捨て駒だ‼︎」
「!…」
「ヤツを裏で操って自分の手を汚さずに
由紀を殺したクソ野郎がどっかで
のうのうと生きてやがんだ‼︎
俺はどうしてもソイツらを許せない‼︎
できるなら見つけ出して
ぶっ殺してやりてぇぐらいだ‼︎‼︎」
怒りに体を震えさせ頭に血が集まり
熱を帯びているのを感じながら
今まで心に秘めていた思いを全て親友にぶちまけた。
「っ………」
目を血走らせ今まで聞いたことのない
口汚い罵倒を吐き出しながら
にじり寄ってくる親友の姿に
幸治郎は完全に呆気に取られてしまった。
「………すまない」
「……」
「…許してくれ……
もう二度と会えなくていい…
……許してくれ…」
「………」
「じゃあな……」
「……」
極彩色の雑踏を1人歩き出し、
自分の近くにいてくれた親友を
そっと突き放す。
もはや復讐鬼に戻るべき道はなく、
拠るべき場所はどこにもない。
奴らを殺す、ただ殺さず
由紀が感じた以上の恥辱と絶望を感じさせながら
惨たらしく殺してやる、
そんな呪いを身にまとった化け物は
闇へと消えていった。




