葉は広がって、天を仰ぐ
薄暗い部屋の中、
男が1人その身を横たえる。
カーテンから漏れるか細い太陽光線が
登りゆく朝日とは相反して徐々に勢いを失う中で
死んだように動かなかった我が身を
ゆっくりと起こし、携帯電話に手を伸ばす。
過去に囚われ、半ば世捨て人となった自分に
連絡を送って来るものはそうそういないというのに
何故携帯を手に取ったのか。
一昨日、あの頃からただ1人親友であり続けた男から
今日会って話がしたいと連絡があったからだ。
そんな予定を失念せぬように生ける屍は
今一度その身を捩って、
携帯の液晶に目を通したのである。
今は遠い学生時代、
学業と家事に追われていた自分にとって
由紀と過ごす時間以外は
幸治郎と映画を見にいく事が
唯一と言っていい程の楽しい時間だった。
待ち合わせ場所は決まって駅の改札口、
老若男女、喜怒哀楽何もかも異なった人々が
行き合う雑踏の中に彼を見つけるのが常だった。
互いに顔を見合わせて、
やや照れ臭そうな笑顔で近づいていく、
それがいつものお決まりだった。
だが、時の流れと身内の死というのは
残酷なもので今日という日はそうならなかった。
改札口の前、人格を持たぬ灰色の波が押し寄せる。
無個性にすら感じられる揺らぎの中に
はっきりと1つ、
他とは違うものが漂っているのを見つけた。
幸治郎だ…
それがわかると右手をゆっくりと頭上に挙げ、
それが気づくのを待った。
一瞬、視線が衝突した後、
相手もこちらに気づいて手を挙げる。
昔のように笑顔を振りまいて幸治郎が近づいてきた。
一見屈託のない笑顔のように見えたが、
自分にはその顔に違和感と拒絶が感じ取られた。
「よぉ…」
「やぁ…」
やはりどこかぎこちない、
学生時代からやや時間が空いたとはいえ、
心に距離を置こうとしているようだった。
「それじゃあ、映画でも見に行こうか…」
「………なぁ」
「?」
「そんな事のために呼んだんじゃないだろ?」
「………」
参ったなぁといった微笑を浮かべながら
幸治郎は頭を掻いた。
その時にほんの少しだけ眉間に
寄せられた皺が不都合な事実を
隠してここにいる事を教えていた。
「顔を見ればわかる、バレバレだ」
ややわざとらしく口角を上げて、
言いづらい事を暴露させる
教師が使うようなセコい真似を
親友に使ってしまった。
とはいえ、やつれてヨレ切り覇気もない、
破滅を預言する魔女ような男から
親しさを向けられても罠としか
思わないだろうが。
「そぉ…だったかぁ……」
「映画も見たいけど…
お腹が空いた」
「…そうだな、最近美味しい店を見つけた、
そこへ行こう」
右手の人差し指で行く先を指し示す。
ヒリついた空気を纏った2人の男が
人波の中へと歩き出していく。
まだ客も少ない居酒屋で
対面した2人の男が
頼りない照明の光に照らされていた。
「………真っ昼間から酒とは…
あんまりよろしくないな…」
「まぁ…休日を過ごす者の特権って奴さ…
それに……」
「それに?」
「……酒の力も借りたくなる…」
「……そうか」
「…まだ………あの事を調べていると聞いてる…」
「………」
「…その事でバレる前に話しておきたい事が………」
「………」
「…………」
「ごめん!場所を変えよう…」
「いや、ここでいい…」
「……わかった」
「……あの日、由紀ちゃんが会いに行ったのは…
友達なんかじゃない、僕なんだ…」
「………」
「知らなかったのも無理ないさ、
僕と…彼女は……恋人同士だったんだ…」
「‼︎………」
その瞬間、あまりの衝撃に目を大きく見開き、
そのまま俯いてしまった。
まさか…という驚きが押し寄せた後、
コウが由紀を…そんなといった
怒りと疑問がさらに大きな衝撃となって
打ち付けられた。
そんな親友の動揺など意に介することもなく
幸治郎はゆっくりと口を開き、
自分と由紀との過去を語り始めた……
高校入学から1か月が経とうとしていた頃、
僕は翔の家に遊びに行った。
住宅地に佇む真新しい一軒家、
石積みの土台に立つ鉄柵で囲まれ、
それを貫く門には風間の表札がかかっている。
親友に導かれ、玄関に向かって歩き出すと
鮮やかな色彩が目に入った。
緑の上に白や黄色や桃色の点描が乗せられていて、
風が吹き抜け、それらを撫でていった。
「これはコウがやってるの?」
「え?」
「あぁ、半分はそうだよ」
「半分?」
「僕は草引きくらい、
花は妹が手入れしてる」
「ふぅ〜ん……」
なるほどといった感じで、
鼻から声を出してすぐ、
翔は玄関の扉を開けた。
「ただいまぁ〜」
「おかえりなさい」
「さぁ、どうぞどうぞ」
「お邪魔します…」
その時、目に映った光景を
今もしっかりと残っている。
手すりに手を添えながら
1人の少女が階段をゆっくり降りてきた
あの光景を。
「あ、初めまして」
彼女は見知らぬ客人である僕に優しく微笑みかけた。
「は…初めまして」
まるで天から降り立った天使のような姿に
やや動揺しながら返事した。
翔との時間を過ごしている時にも
様子を伺うために横を通り過ぎ、
悪戯っぽい表情を浮かべながら
兄にちょっかいをかけてきたりする
彼女の事を目で追ってしまった。
そして、辺りが暗くなり始め
帰宅しよう玄関まで歩き出した頃には
母との別れを思わせるような
愛しくも切ない気持ちが襲ってきていた。
その日から翔の家を訪れる度に
そんな心に悩まされるようになっていった。
それから2か月ほど経ったある日、
転機が訪れた。
その日も定期試験の勉強会にかこつけて、
翔の家に遊びに来ていた。
いつものように勉強半分、遊び半分の
時間を過ごしていると
突然、翔の顔から血の気が引いた。
「ヤバイ‼︎、由紀‼︎由紀‼︎」
「なに⁉︎大きな声出して!」
「しばらく留守番頼む‼︎
そうだ今日までだ、すっかり忘れてたぁ…」
「はぁい、気をつけてねぇ」
「おう!行ってくる‼︎」
何かの手続きを忘れていた翔は
急いで家から飛び出していった。
大変だなぁと思うのも束の間、
甘く張り詰めた感覚が周りを包んだ。
徐々に高鳴る胸の鼓動が
体全体を震わせ始める。
それは部屋へと解き放たれ、
誰かにバレてしまいそうで
落ち着かない。
頬は紅潮し喉が渇く、
それを自覚して鼓動が早くなる。
止まれ、止まってくれ
と心で強く念じていると
「結城…さん」
背後から声をかけられ、
ドキッとする。
「はい⁈」
「……」
「どうしました?」
「…ゆ……結城さんは…」
「結城さんは…私のこと…」
「そっ……その…」
「…す………ですか?」
「…なんて?」
「……っ…」
「私のこと好きですか?」
「………」
「すいません…
変な事聞いてしまってっ…」
ヒシッ……
……………
はち切れてしまいそうな激しい鼓動と
あまりに焦ったい言い方に
我慢しきれなくなり彼女を抱き寄せる。
硬くて柔らかな2人の胸が重なり、
激しい脈動が1つに溶け合う。
「…そうじゃなきゃ……
コレは何なの?」
「………」
少女がゆっくりと顔を上げ、
甘い視線をこちらに送った。
こちらも自分ではしっかりと彼女を見つめたつもりで
ウットリとした視線を絡ませた。
絡み合った視線は互いを強く引きつけ合い、
次第に顔が近づいていく。
5センチほど近づけばもはや視線の引力は必要なく
そっと目を閉じた。
ゆっくりと目を閉じ互いの鼻先が触れ、
その直後唇にもっちりと柔らかい物を感じる。
「………」
「………」
その日から2人の若者は
時には心に愛を燃やし、
時には体に愛を絡ませあい、
原始の心を貪った。
ただ、この事が2人以外に
知り得なかったのは
兄あるいは親友への
引け目のようなものが
戸惑わせたのかもしれない。
そのまま、禁断ならざる禁断の恋は
誰にも告げられることもなく続いていった。
幸せだった、あの日が来るまでは…
 




