種は地に落ち雨が降る
パトロール中に強盗事件に遭遇した後、
しばらくして辞令が出された。
刑事課強行犯対策係
それが新たな配属先だった。
穏当な交番勤務を離れ、警察署において
凶悪事件の解決に全力を尽くせというのが
僕に課された新たな使命だった。
だからこそ、この命令を受けた時は
大きすぎる責任と自分が守り愛してきた町を
離れなければならない事実に落胆してしまった。
そして、何より自分を警察官という職務に導いた
あの忌まわしい記憶が思い出されて
心が大きく揺さぶられるのだった。
何故、あんな事に関わってしまったのか…
警察官になったことがそもそも間違いだったのか?
そう考えることもある程だった。
「ヘェ〜、警察署勤務ってことは刑事さんか!」
嬉しそうな表情を浮かべながら幸治郎が聞いてきた。
未知の世界に目を輝かせながら質問してきたので
こちらもやや口角を上げて答えた。
「…まぁ、そうなるのかな…」
夜の居酒屋の賑やかさに負けないように
幸治郎がやや声を張りながらこう続けた。
「って事はさぁ、張り込みとか
捜査本部に出入りとかしちゃう訳だ!」
酒が入って上機嫌な幸治郎が
ニコニコとそれは嬉しそうに聞いてきた。
「そんな刑事ドラマみたいな派手なもんじゃないよ、
地味も地味、張り込みとかあるだろうけど、
犯人タイホー‼︎とかみたいな仕事じゃないんだって…」
「でも、一応昇進の芽はあるんだろ?
異動ってことはさぁ…」
「そうなんのかなぁ…」
「そうだって、ショウなら
警視総監にだってなれる‼︎間違いない‼︎」
「なぁにを根拠に言ってんだか…」
また口元を綻ばせながら返答したが、
目元に喜びの色がない事が自分でもわかった。
どうもその事は幸治郎にもわかったらしい。
「………もしかして…異動すんのは嫌か?」
「嫌って程でもないけど………まぁ…」
「なんでだよ?…もっと色んな事が出来るんだぞ?」
幸治郎はなんとも不思議そうな調子で
そう尋ねてきた。
勿論悪気なんてものは一切感じなかったし、
感じさせる気も全く無かったのはわかったが、
胸に打ち込まれた杭のような物を
グイッと上に持ち上げられたような心地がした。
「……その…なんて言うかさ……」
聞かれたからには答えなきゃ、
そんな責任感から口を開いたが、
あの光景が思い出されて口がもつれる。
「昔…みたいな事があったら…嫌っていうか……」
吐き出されては止まり、吐き出されては止まり、
といった様子で
心情を吐露すると幸治郎の頬から
次第に赤色が抜けていくのがわかった。
「………あ、あぁ…そっか………
そういう事も…そうだな……」
「ごめん」
「いや、良いんだ…
こっちもちょっとしつこくてごめん…」
2人に共通する辛い過去が思い出されて
やや空気に重みが加わった。
もっとも、由紀の事で一番辛いのは
自分なんだろうが、
その心に寄り添わなければならない幸治郎の方が
苦しさを感じたかもしれない。
「…ところでコウは最近どうよ、
そっちこそ出世まっしぐらって感じじゃねぇの?」
酔いが醒めた様な空気に耐えかねて、
僕の方から幸治郎に尋ねた。
「まぁ、出世はともかく…
仕事で心配な事は無いかなぁ?」
「ほぉぉ、
さっすが僕が見込んだだけの事はあるなぁ…」
「ただ、プライベートの方がなぁ……」
溜め息を漏らしながら呟く様に言うと
天井の方を見上げた。
「?、どしたの?」
「…母さんがワケわかんないところに
金使っててさぁ…」
そう言うと幸治郎は
グラスに残っていた酒を飲み干した。
「……あらぁ……」
「それで両親が離婚すんのよ……
離婚だけならそんなになんだけど、
いい歳こいて男かなんかに
変な金使わなくてもって感じよ…」
「……そりゃあ………辛いなぁ……」
「そう…辛いのよ……」
「…お互い辛いなぁ………」
「そうだなぁ……」
卓を挟んだ僕たちは世の中の不条理を前に
ただただ黙ってうなだれる事しかできなかった。
そして、僕らは静かに酒を酌み交わした後、
店の外へ出た。
「今日はありがとう…」
「おぅ、お互い頑張ろうな!」
「…頑張りすぎて倒れないようにな」
「それもそうだな」
幸治郎が笑いながらそう答えた。
しっかりと握った手を離し、
その手を振って幸治郎と別れた。
煌々と光る照明と
極彩色の看板の中を進んで行く。
自然が作る暗闇を
目に痛い程の人工の光が
こじ開けるような光景に反して
自分の心は日出のように
清々しく晴れていくのを感じた。
与えられた使命には自分にできる事で
誠実に応えるしか無いし、
不幸というものは未来永劫
ただ一個人が独占できるものでは無い
という事を幸治郎が気づかせてくれた。
それに気づけば迷いや悩みというのは霧散し、
寧ろ前向きな気持ちが呼び起こされた。
真地さんのようになるんだ…
そんな思いが膨らんで、
交番勤務最後の日まで
自分の背中を押してくれた。




