晴天の霹靂は土を肥やして
それから2年ほどが経とうとしていた頃、
僕は紅白の幕が周囲を囲む大講堂にいた。
「卒業生代表!風間翔‼︎」
「はいっ‼︎」
その場で素早く立ち上がり、
壇上の県警本部長や学校長をまっすぐに見つめる。
慎重にそれでいて素早く手足を動かし、
苦楽を共にした仲間達を横切る。
厳格な統制が必要な警察組織の一員に相応しい
キビキビとした動きで階段を登りきり、
学校長の前に立つ。
「敬礼!」
その号令とともに
腰を45度ほど曲げ、礼をする。
「風間翔巡査、
全課程を修了し卒業する事をここに証する。」
目の前に差し出された証書にそっと両手を添える。
これからだ…これから僕は生まれ変わるんだ…
その思いを胸に卒業証書をしっかりと受け取った。
「敬礼‼︎」
卒業直後の交番勤務は
ささやかな安らぎを与えてくれた。
職業柄、様々な悪意と蛮行を
目の当たりにする事もあったが、
自分が人々の平穏を守っているという自覚と
感謝や労いに触れる事ができる
心地の良い日々の忙しさが
悲しみに暮れた過去を塗り潰してくれた。
こんな事を言うのもどうかとは思うが、
日々のパトロールが最大の楽しみとなるほどだった。
自転車を漕ぎ出し、
季節とともに変わりゆく風の流れや
華の色、活き活きとした人々とすれ違うことが
何よりの気分転換になった。
願わくばこんな毎日が続いて欲しい、
そんな思いを抱く事を忘れるほどの
平和が僕に訪れていた。
もっとも、警察官として生きる事を選んだ以上、
それは叶わぬ願いなのだったが…
運命が大きく動く時というのは
安らかな日常の中に突如として訪れるものだ…
その日の午後、僕はいつもの様に自転車を漕いで
パトロールをしていた。
夜の闇が辺りを覆い始めた頃、
ふと、ある一軒家を見つけ、足を止めた。
開け放たれた扉と照明をつけていない2階の部屋から
妙に騒がしい物音が聞こえていた。
考えすぎと言われればそうかもしれない、
だが、自らの職責と直感に加えて
日々のパトロールによって
蓄積されていた記憶が囁いた。
押入り強盗に入られたのではと…
無線で応援を呼んだ後、
玄関へと忍び寄り
中の様子を伺う。
奥のリビングまでまっすぐに廊下が延びており、
そこに男が1人、リビングの方には仲間と思しき
人影が落ち着かなさそうに動いている。
ここで少なくとも強盗犯は3人いる事がわかった。
中に人質がいる事を考えると
一刻も早くこの危険な状況を
打開しなければならないが、
冷静さを欠いては状況を悪化させかねない。
そんな事を考えていると2階から
「おいっ‼︎ちょっとこいっ‼︎」と
焦りと震えの入った声が聞こえた。
それを聞いた廊下の仲間が
「デカイ声出すな!待ってろ」と
声を抑えて、階段を登っていった。
今だ!
そう思うより早いか体を家の中に滑り込ませ、
体勢を低くしたまま廊下の向こうへと進む。
廊下とリビングを隔てる扉の側面の僅かな死角から
部屋の様子を窺うと口と手足を縛られた老夫婦が
寝かされ、その傍らの男は
ナイフのような刃物を構えながら
落ち着き無く周囲を見回している。
不意を突くタイミングを廊下の向こうから
窺っていると
男は窓の外が気になったのか人質から距離を取り、
廊下側に左半身を晒すような格好となった。
ダッ!
床にピッタリとくっつく様な姿勢から
一気に男めがけて飛び出した。
ギョッとした目がこちらに向けられた瞬間、
左手で構えた警棒を振るい刃物を叩き落とした。
鋭い痛みに右手を庇おうとした男の
動きを止めるために下顎の辺りに右の前腕を
勢いよく突っ込んだ。
グッ‼︎
一瞬男が呻いた
ドサッ、ドッダァン‼︎
2人の男が勢いよく床に倒れ込む。
覆い被さる形で倒れたので、
床に手をついて起き上がると
男が気絶していることに気がついた。
意識がないとはいえ、
また包丁を持たれては敵わないので、
部屋の隅の方へ滑らせた。
ド、ドタドタドタドタッ‼︎‼︎
リビングの大きな音を聞きつけた、
2階の2人が降りてくる音が聞こえた。
強盗犯を逃す恐れもあったが、
人質の安全を図るためにも
リビングから出ていくわけにはいかない。
もっとも、こちらに向かってくる事も
考えられるのだが…
犯人を必要以上に興奮させないように、
廊下に通じる扉の横に身を隠す。
大きく響いていた2人の足音が静かになった、
階段を下りきったのだ。
「オイ、どうした?」
声を抑えながら2人の強盗犯が
こちらにやって来る。
もはや迎え撃つしかないと意を決して、
片膝を立てた状態でしゃがみ、
警棒を左手に持ち替えた。
「オイ!……‼︎」
顔と凶器の包丁を廊下から
ヌッと出した瞬間、
警棒で包丁を叩き落とした。
そのまま包丁を持っていた右手を
掴んで押し込め、左手の警棒で
首を抑えにかかった。
そのまま男はなす術なく、
玄関側に顔を向けて
突如現れた警官に羽交い締めにされてしまった。
「警察だ‼︎それを早く置けっ‼︎‼︎」
後ろから付いてきていた男は訳が分からず、
包丁を突き出して、
及び腰のままこちらを見つめていた。
しかし、少し状況がわかると
慌てて玄関の方に駆け出した。
「待て‼︎」
ついそう言ってしまったが、
男はそのまま外へと飛び出した。
扉が閉まりきったのを見守り、
凶器を持った男を取り逃した事を
悔いる気持ちが湧いてくるのを感じた。
歯を噛み締め、口を歪めていると
外から大声が聞こえてきた。
「止まれぇ‼︎」
抵抗したと思われる音が聞こえた後、
やや間を置いて
「確保ぉ‼︎」
と聞こえてきた。
応援が間に合った、
それがわかり自分を含め、
人質が安全になった事に
確信が持て、安堵感が全身に広がった。
玄関の扉が開き、応援の警察官が
家の中に入ってくると
最初は驚いた表情を見せたが
取り押さえているのが
警察官だとわかると
「怪我人はいないか?」
と尋ねた。
「大丈夫です…」
僕は静かに答えた。