次の種は蒔かれたか?
「………本題から入りますが…
送っていただいた資料の情報源はどちらで?」
対面する男がカップに口を運んだ後に
発した第一声はこうだった。
「非公開も含めた捜査資料、
関連する人物からの聞き込み、
尾行やなんかの身辺調査からです、
もっとも、“推測”と冒頭に付けてあったものは
状況証拠からの推測ですがね…」
「なるほど……」
対面の男は弱ったなぁといった様子で
眉間に軽く皺を寄せ、頭を掻いた。
「一通り資料を拝見させていただいて、
非常に興味深いと感じておるんですよぉ……
ただ、私どもも事実が不確かなモノを
文章に起こせんのです……
相手も相手ですし……」
それ聞いて翔はニッコリと微笑んだ。
「そう仰ると思いまして、
こちらにお呼びしたんですよ」
「ほぉ……」
対面の男が関心とも呆れとも取れそうな唸りを上げ、
翔はゴソゴソと手提げ鞄の中を漁り、
極めて小さなSDカードを取り出した。
「これは……」
「自供の音声データですよ」
「……」
「“推測”を“事実”に変える最後のピースなんですが…
これでもダメそうですかね?」
「……本物…なんでしょうな?」
「ここで確認していただいて構いません、
あまりおすすめはしませんが…」
「……わかりました、そのまま頂戴します。」
そう言うと男はSDカードを握り込み、
懐へと仕舞い込んだ。
「ところで…報酬の件なんですが…」
「別に良いって言ったじゃないですか」
「いやいや、なんの見返りも無しというのでは…
その…疑っている訳ではないんですが……」
「……“商売”ですもんね…疑うのも無理ないですよ」
「えぇ…」
「………わかりました……
そちらのご都合のよろしい金額で…どうですか?」
「ありがとうございます………
頂いた資料と勇気、決して無駄にはいたしません。」
そういうと男は代金と礼金の代わりに
テーブルの上に一万円札の束を置いて立ち上がり、
店を出ていった。
翔はゆっくりとコーヒーを飲み切り、
札束には手をつけずに会計を済ませた。
翔は涼しい風に吹かれながら、
遠くまで見通せるような
雲1つ無い開き切った青空を仰いだ。
それはまるで自分の心を映すかのようで
実に清々しかった。
鼻から目一杯空気を吸うと
甘さを含んだ青々とした香りのほかに、
心の平穏を誘う炎の芳香が
鼻腔を満たした。
翔が立っていたのは墓地だった。
ここには由紀と母が眠っている。
階段を一歩一歩踏み締めながら上がっていく、
足は軽く重力に押し潰されている事を
忘れるぐらいだった。
見知らぬ人々の墓標を抜けて、
風間の墓の前に立つ。
右手の花束を供えるために
ふと花立に目をやると
鮮やかな色彩の花が
既にお供えされていた。
一体誰がこんな事をしてくれたんだろうか
驚きと少しの喜びを感じていると
背後から声が聞こえてきた。
「翔くん…」
囁くような優しい男声に聞き覚えがあった。
まさか、と思いゆっくりと振り返ると
そこには初老の男性が立っていた。
「……真地さん‼︎」
2人で由紀の墓標に手を合わせ、ゆっくりと歩き出す。
「……お久しぶりです…」
「そうだねぇ…言われてみれば
1年以上会っていなかったねぇ…」
「…………すいませんでした…」
「…うん?」
「……真地さんにはお世話になったのに…その…」
「…いいんだよ、気にしなくても」
「え…」
「知ってるさ、何があってここに来たのかも」
「……すいません…本当に…」
「…気に病むことはないよ、
しっかりと罪を償ったんだから」
翔の受けた罰。
拳銃の不法所持と発砲
それによる傷害に合わせて、
“林”とかいう男に依頼され
自分を襲ってきた2人のチンピラへの
暴行に対する当然の報いだった。
もっとも、その行いを2人の若者に証言させたのは
他ならぬ自分だったのだが、
この事で自分が背負った罪は
全て清算しておきたかった。
静かな霊園を歩いていけば、
遊具のない小さな公園にたどり着く。
2人の男はベンチに腰掛け、
お互いにただ己の目の前をまっすぐに見据えた。
「…お花、ありがとうございます。」
「いやいや、アレでよかったかな?」
「はい、2人も喜んでくれていますよ、きっと」
「それならよかった」
「……真地さん…」
「もう謝らなくてもいいんだよ、
私は迷惑していないし、
全て覚悟の上だ……それに…」
「それに?」
そう言うと真地さんは
翔の顔を見つめ優しく微笑んだ。
「気持ちはよくわかるからね」
「?、それって…」
そう尋ねると
真地さんが顔を元の位置に戻し、
静かに語り始めた。
「…私が警察官になる前、
私のおばあちゃんが詐欺に遭って、
なけなしの貯金を全部騙し取られたんだよ。
私のためにと貯めたお金を
私を騙る奴らに取られて、
涙を流しながら謝っていたよ
ごめんねごめんねって…」
真地さんはどこか遠くを見つめたまま、
一呼吸置いてこう呟いた。
「……その時…こう言ってはいかんのかもしれんが……
詐欺師を殺してやりたいと思ったもんだよ…」
「……真地さんがですか⁈」
「驚いたかね?…でも、本当の事なんだよ……」
「愛する人のためなら誰もが
盲目になってしまうというが…
私も例外じゃ無かった訳だね……」
「…………」
「……これから、何かすべき事があるかい?」
「……いえ」
「…それなら…また一緒に暮らさないかね?」
「……」
「もう退官してしまっていてね……
1人ではどうも家を持て余してしまってね……
どうだろうか?」
「………お気遣い…ありがとうございます…」
そう言った後、翔はゆっくりと立ち上がり
「………でも…それはできません…
……普通の幸せって奴から逃げてきたし、
逃げられてもきましたからね…」
「………そうか…」
本当に残念そうに真地さんはそう言った。
「それでは、またいつか…」
そんな彼を少しは慰めるつもりで
ベンチから離れゆく身を翻し、
満面の笑顔を振り撒きながら
手を右手を上げた。
それに応えて真地さんも
膝上の右手を上げた。
そして、翔は歩き出した。
地獄に通ずる道にしては
やけに明るく開けた空の下を
まっすぐに
ただまっすぐに…
完