枝葉の先は花芽を付ける
感情は人を傀儡に仕立て上げる。
更に始末の悪いことに
死に向かおうとする激情であればあるほど
断ち切り難い糸となり、
四肢をちぎり取ろうとする力を体に伝える。
事実、自分は親友から衝撃的な事実を告げられた後、
その力に引きづられるように
休む間もなく動き続けることしかできなかった。
初めに過去を記した紙片によって形作られた
不安定な山脈を崩し、
拾い上げた断片を片端から
シュレッダーに押し込んだ。
もはや過去に真実は無く、
復讐すべき外道の背中が見えた今、
紙屑以上の価値は無かった。
パンパンに膨らんだ45Lのゴミ袋を
ざっと20近く作り、集積場に放り投げた。
次に真っさらに片付いた借りの住まいを引き払った。
これから仇を討つ者に安住の地は必要なく、
それを遂げればただ制裁あるのみという相応の覚悟と
天より強烈に糸を引いる
神あるいは悪魔の御心に従えば
もはや当然であった。
そして今、復讐の大火を上げるための
火種の準備に差しかかるべく
ネオンサイン輝くあの街に居を移した。
雑魚であれ大物であれ釣り上げるためには
大方餌を用意するのが肝要で
魚も人もそこに大きな違いはない。
加えて狙う獲物の大きさや種類に
合ったものでなければならないが
申し分ないうってつけのネタを握っていたので
何ら問題ではなかった。
ただ、釣り糸を垂れる前から
陸に上がろうと跳び上がる馬鹿な魚が
背後から忍び寄って来ないかという淡い期待も
この忌まわしき街での徘徊を促していた。
そして、運の良いことに素面、酔客、客引き、
行き交う夜道にそれは現れた。
トトッ…トットッ…トトット…トッ…
ぎこちない2人分の足音、尾行に慣れておらず目標を
見逃さないようにするのに必死といった感じで
歩き方から若者である事が察せられた。
期待した通りの事態に遭遇した事で
ほくそ笑む心を抑え、
もしかすると彼らは自分ではない者を
追っているあるいは尾行しているという認識すら
勘違いかもしれんという理性の忠告に基づいて
その場で足を止めてみた。
トトッ…トットッ‼︎
目標が突然足を止めたので、
それに早く気づいた1人が
もう1人を制止したといったところだろうか
完全に足音が止まるまでやや間が空いた。
奴らに悟られないよう右側の看板に目をやり、
再びゆっくりと歩き出した。
…………トッ…トトッ…トッ…
背後の2人が歩調を合わせて歩き出した事で
奴らが自分を尾行していると確信を持った。
緊張を孕んだややぎこちない足取りは
相変わらずでただの尾行ではない事はわかるが、
目的が判然としない。
そうなればやるべき事はただ1つ、
奴らの口から直接聞き出せばいいのだ。
さりげなく元からそうするつもりで合ったかのように
街路の脇、照明の反射もない路地へと入っていった。
路地にに入り込んだ後、足音が2、3秒程度途切れ、
一瞬気付かれただろうかという不安が頭をよぎる。
だが、その心配は無用であった。
トットットットットッ‼︎
迷いの残る早足が自分の跡をつけてくる。
来たか!
そう思った一瞬、
喉の辺りに強烈な圧迫感が襲いかかった。
荒縄でギリギリと首を締め上げられ、
頭が軽く熱を帯びていくのを感じる。
背後から来た者は俺を殺そうと必死らしいが、
こうなる事が予想できた自分には
何ら衝撃的な事ではなかった。
グッ‼︎
体を引き寄せ、
相手の腰の辺りに体を密着させる。
グイッ‼︎
両腕を掴み、歩き続けようとした方向に
強く引っ張ると同時に
腰を上に跳ね上げる。
丁度、背負い投げの要領だ。
思わぬ反撃に驚いたらしい背後の攻撃者は
力が抜けて最も容易く宙を舞った。
ドッダーン‼︎
骨に深く響きそうな鈍い音を立てて、
攻撃者はアスファルトに叩きつけられた。
「…ッ………クゥ……」
受け身がまともに取れなかった
若い男が地面に蹲って痛みを堪えているのが
目に入った。
簡単に立ち上がれないように
倒れた男の頭を足で踏み付ける。
もう1人が背後から襲いかかってくるのでないかと
素早く振り返るが遠くで照明の灯りが見えるだけで
人影は無い。
気のせいだったのか?
…タ…タッタ、タタタタッ‼︎
振り向いた方向と真反対、
猛烈な勢いで迫る者がいる事を感じ取った。
しまった‼︎
素早く向き直ると腰の辺りにナイフを構えた
人影が迫ってきていた。
額に汗を滲ませ、
歯が食いしばられ口が歪んだもう1人の
攻撃者の顔が差し込む照明に
ぼんやりと照らされる。
確実に仕留めるという並々ならない
気概が姿勢を大きく前傾させ、
こちらに突っ込んでくる。
迫力に気圧されそうだが、
不思議と頭は冴え
刃先の動きを冷静に見据える。
腰に据えられていたそれは
腕を伸ばした事で予想よりも早く
近づいてきた。
獣が獲物に食いつこうとするような
勢いで飛びついてきたのは
鋭い刃先を避けるのに好都合だった。
動きを封じていた男の額から外した
右足を軸にしていなすと
攻撃者は勢いそのままに背中を晒した。
そこに容赦無く硬く結んだ
両手を叩き込んだ。
ドッ‼︎…ガッ‼︎
真正面から飛び込んできた
もう1人の男はナイフを握り込んだ右腕を
まっすぐ伸ばしたまま、
蹲っている荒縄を持っていた男の上に
勢いよく倒れ込んだ。
そこからすかさず右手首を
容赦無く踏み潰す。
「ガァァァ‼︎……ッゥゥ…」
あまりの痛みにナイフを離して、
右手を庇った。
「バレバレなんだよ……ガキが!」
そういって2人の胸倉を引っ掴み、
路地の左側に投げ捨てた。
そのままへたり込んだ2人組に視線を合わせるために
しゃがんで「オイッ‼︎テメェら誰の差金だ……オイ‼︎」
と怒鳴りつけた。
だが、こういう仕事をするようなヤツはこの程度で
口を破るものではない。
「……ほぉ、白状する気はねぇってか…」
それは警察での経験からわかっていたことなので、
早速次の手を打つ事にした。
「そんじゃあ……しょうがねぇか…」
そう呟いた後、片方の男だけが
勝手に逃げ出さないように
持っていた荒縄で2人の腕をきつく縛った。
そして、男が落としたナイフを拾い上げ、
片方の男の眼前に刃先を突き立てる。
「今から3つ数える、それが終わるまでに
お前らのどっちかが吐かねぇなら、
どっちかの目ん玉をコイツで…」
2人とも目を見開き、
一筋の汗が額から下顎の辺りまで
スルスルと落ちていったのが見えた。
「その感じならどういう事か…わかるよなぁ……」
ニヤリと笑みを浮かべると
2人の肩を左腕で押さえつけ、
ナイフを持った右腕を振りかぶった。
「じゃ、始めるぞぉ…イーチ」
カウントダウンが始まり、
2人の顔から血の気が引いていく。
「ニィー」
見開かれた目が恐怖に染まり、
もはや真実を語ることすら難しいといった
状態だったが、今の俺にそんな事を気にかける
慈悲など無く、カウントダウンは続く。
「サッ!」
どちらかの眼球に刃先を突き刺そうとした、
そのとき‼︎
「林ですっ‼︎林って奴から頼まれたんです‼︎‼︎」
自分がやられると思ったのだろう、
右側にへたり込んでいた男の方が
たまらず声を上げた。
「ほぉ〜、どこの林だ言ってみろ…」
「お…俺、ヤバいとこから金借りてて
そっ……そこの林って人です…」
「どこで金借りたんだ…そこまで言えよ‼︎」
「武士金融です!……アンタをぶっ殺したら
今までの借金全部帳消しにしてやるって…」
「なるほどなぁ……お前もか?」
「はいぃ‼︎」
「ふぅぅん…」
なるほどなといった声を喉から鳴らして聞かせた。
「ありがとよ…」
そういった直後、押さえつけていた左腕を外し
その場から去ろうと立ち上がったが、
やるべき事を思い出し呆然とする2人に
優しく声をかけた。
「…そぉだ、1つだけ頼みがあるんだわぁ…
聞いてくれるよねぇ?」