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夜の暗闇は心より暗く

僕は人を殺した。

そして、また殺そうと考えている。


高校2年から続く悪夢のような時間が

自分をそうさせた。

身に降りかかった不幸を語って

同情されようというのではない。

そうする事が僕にとっての復讐であり、

人殺しでもあるのだ。


「いってきま〜す‼︎」

白いシャツと黒いスカート、

手には小さな鞄を提げて、

可憐な少女が玄関の扉を開きながらそう言った。

「あんまり遅くなるなよ‼︎」

廊下の向こうから声をかけた。

「わかってますよぉ〜お兄様ぁ〜」

浮かれ切った様子で返事する少女、

自分の妹だからこそ心配になる返答だ。

「茶化すな!」

「はいは〜い、それじゃあいってきま〜す」

特に意に介する感じでもなく、

由紀は家から出て行ってしまった。

その日の夜、昼間とは打って変わって

嵐の様な大雨が降った。

今にして思えばそれは凶兆と言うヤツだった

のかもしれない。


ウゥーーー、ウゥーーー

「………………」

繁華街の路地裏、

帰って来なかった由紀が

その身を横たえ眠っていた。

その目は見開かれ、雨上がりの湿りきった

独特の匂いに混じって酷く下品で鼻を突くような

匂いが一緒に漂っていた。


…ゥーー…、ウ…………

「………………」

意識が遠のく、いや研ぎ澄まされていく

というのが正しいだろうか。

血の気が失せきった蒼白の美貌から目を離せずに

一歩また一歩と足を動かす。

前屈みがちの姿勢はたびたび転倒を誘ったが、

僕の心は彼女の傍らに早く行かねばと

体勢を変えさせる事なく足を進ませた。

転ぶ事なく彼女の元へと辿りつき、

両膝をついて頭から足先までを丁寧に観察した。

首元が赤く腫れ、体から力が抜けきっていた、

素人目に見ても窒息されられたのが明らかだった。

それだけも激情を抑えられそうになかったが、

スカートが捲り上げられ、

下着がずり下げられたまま、

由紀が眠らされていたことに

今までに経験のない怒りと絶望を覚えた。

震える手で無惨に投げ出された足を正し、

下着を元の位置に戻し、

スカートの裾を引き伸ばしてやった。

そして、彼女の両頬にそっと手を添え、

開ききった瞼を優しく親指で触れる。

そのままゆっくりと降ろし、瞳を閉じる。

その眼尻から一筋雫が溢れ、

掌に冷たい感触が伝わった。


ウゥッ‼︎

遠くで聞いていたパトカーのサイレンが

背後で止まると同時に

狭まり続けていた世界がまた勢いよく開けた。

可愛らしさの中に美しさも宿り始めた

由紀の顔がぼやけ始める。

全てを洗う夕立のように涙が溢れて止まらなかった。


それから1週間、僅かな断片を遺して

あらゆる記憶は消え去ってしまった。

その僅かな断片ですら、

携帯電話に残された過去の何気ないやりとりと

あの夜の鼓動に胸を握りつぶされそうになりながら

文字を打ち込み虚空を埋めた

由紀への呼びかけを眺めたことしか覚えていない。


実態ある空虚な時間の中で妹の葬儀が行われた。

普段は自分の起こした会社に篭りっきりの

母もこの日だけは顔を見せにやってきた。

「…………」

「…………」

愛しい妹が納められた棺を前に

母と子、背中合わせに座り沈黙する。

「……仕事…いいの?」

「えっ……えぇ…」

「…ふーん………」

また静寂が訪れる。

プツプツと燻り始めた怒りの炎が

音を立てて燃え始める。


「こんな時には来るんだ…」

「…………」

「授業参観も、体育祭も来なかった癖に‼︎」

「‼︎………」

「なんだよ……葬式だけ来やがって…なんだよ‼︎」

「………」

「何が人の生命を救うための仕事だ‼︎

自分の娘1人救えなかったくせにっ‼︎何が‼︎‼︎」

「しょうがないじゃないっ‼︎‼︎」

涙声になって言葉を繋ぐ。

「……しょうが……ない…じゃない………」

そういう時頭を大きく落として、

年甲斐もなく泣きじゃくり始めた。

母のこんな姿は見たこともなかったし、

見たくもなかった。

そして自分達を放ったらかしにして

仕事に逃げていた彼女と

あの時守る事が出来なかった自分への

憎悪がないまぜになって、

この世で誰よりも母の事が嫌いになった。

妹を殺した見知らぬ誰かよりも遥かに…


悲しい怒りを抱えながらほんの少しだけ

誇らしくもある心を抱えながら、

参列者を眺めていると

よく見慣れた顔をがいるのを見つけた。

結城幸治郎、僕の親友だった。


普段はコウと呼んでいる彼と出会ったのは

高校の入学式だった。

初めて見た時は父親が社長をしているという

事もあってか、母親共々気品を漂わせていた。

だが、同じクラスになってみると

自分の出自を鼻にかけない爽やかさと人の良さ

を持った好青年だとわかった。

そんな彼に惹かれ、僕の方から友達になりたくて

話しかけた。

それから彼とは兄弟のような間柄となった。


「………」

目元を軽く腫らして、

なお涙を頬に伝わせている。

「……ありがとう、来てくれて」

「………ご愁傷様です…」

軽く会釈し香典を渡した後、

足早に会場へと入って行った。


白と黒に佇む色とりどりの菊の色彩の中心に

由紀の遺影があった。

天使のような笑みが優しく投げかけられ、

下界に残された我々に憐れみを向けるようだった。

涙に曇り沈みきった空気の中、

お経がただ淡々と読み上げられる。

唯一の慰めは彼女との別れを惜しむ人が

数えきれないほど来てくれている事実だけであった。


葬儀を終え、母以外と幸治郎以外の人達は

皆、日常へと戻って行った。

残された者達は失ったモノの大きさを

何度も何度も実感させられながら

家路を辿る事でやっとだった。

ずっと言葉を失ったまま、

肌焼き骨焦がすような日照りの中、

3人はお互いを支えるように歩くことしか

出来なかった。


それから日々は憎悪と後悔に満ちた日々が

母と子の有り様を大きく歪めていった。

残られた息子に寄り添おうとしても

「仕事は行かないのか?」、

「なんでここにいるの?」

という言葉が返ってくるだけで、

そこには微塵の慈悲もなかった。


今思えば酷な話だが、

この時の僕は葬儀の前に感じた憎悪に加えて、

祖父母を振り切って父と結ばれておきながら、

自分のしたい事のために父をアッサリと切り捨て

我が子にすら愛情を注いでこなかった、

母の身勝手な過去の行いに対する

激しい怒りを感じていた。

だからこそ辛辣な態度を母親に取り続けることで、

少しでもそれらを発散していた。

元から親子として仲睦まじく暮らせなかったのに

その2人っきりになった途端仲良く暮らせるわけが

ないのだ。


そんな関係を続けていると母は

より一層仕事に逃げるようになった。

僕も夏休みが終わって学校へ通う事で、

現実と向き合わずに済むようになった。

あの日が来るまで……


枯葉舞う11月のある日、

そういえばあの時と後で言うのは簡単だが、

往々して人は気づくのが遅れるものだ。


その日の夕暮れ、首に縄を掛けて

リビングの天井からぶら下がっている

母を見つけた。


鮮やかな橙色が窓から差し込み、

漆黒の影を刻まれたリビングで

しばらく佇むことしか出来なかった。

しかし、その胸に哀しみはなく、

遂に死んでしまったかという何処か静かな気持ちと

僕が殺したのだろうかという

膨らみ続ける罪悪感が渦巻いていた。


それは紛れもなく自殺だった、

だが、間違いなく彼女を遠ざけた

自分自身が殺したことも

また事実だった。

僕は憎むべき人殺しになったのだ。


そして、運のない事に

妹を殺した犯人の逮捕を知ったのは

検死を終えた遺体を引き取るために

警察を訪れたその日だった。


犯人の名前は榊野霹靂、年齢は21歳。

容疑を認めている事が

僕に残された救いだった。

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