意地悪な姉の体に転移しましたが、かわいい弟がなついてくれるまで愛を注ぎます
朝、目が覚めると知らない部屋だった。
やたら豪勢な、ヨーロッパ風の広い部屋だ。広すぎるベッドに私は一人で寝ていた。外ではピチュマピチュと聞き慣れない声の小鳥が囀っている。
「こ……これは、夢?」
着ているものも見慣れない、ピンク色のレースの寝間着だった。愛用のクマちゃんのパジャマはどこいった……。
身を起こし、部屋の隅に姿見を見つけた。
歩いて行き、そこに自分の姿を写して、私は思わず声をあげかけた。
「私……、西洋人の貴婦人になってる!」
地味でぺちゃんとしていた顔は彫り深くなり、ちっちゃい樽みたいだった体型はグラマラスな長身に、そしてぺったんこだった胸は膨らみ重たそうに揺れていた。
ドアがノックされ、軽やかな木の音を立てた。
私がビクビクしているとそれは開き、おおきなリスみたいな西洋人のおばさんが入ってきて、私に言った。
「イライザお嬢様、お目覚めだったですか? なかなか食堂に来られないので皆様ご心配なさっておられます」
私はおばさんに飛びつくように近寄り、助けを求めるように聞いた。
「私……っ! 昨日まで三流企業に勤めるOLだったんですけどっ!? ここはどこですか? 私は誰!?」
「あなた様はイライザ・ローガン伯爵家ご令嬢様です」
リスみたいなおばさんは目をパチクリさせながら、教えてくれた。
「どうなさったのですか? おかしな夢でも見られました?」
夢じゃない……。これ、どう見ても夢じゃない。
私……、異世界転移しちゃった!
◆
おずおずと食堂へ行くと、貴族映画に登場するみたいなひとたちが食事を前に私を待っていた。
「ようやく来たか、イライザ」
お父さんとおぼしきひとがそう言った。
「さあ、食事をはじめよう」
みんなテーブルマナーがすごかった。正しくは私がそういうのをよく知らないからすごいと思った。何がすごいのかもよくわからないけど、正直にいうとお箸がほしかった。
「わ……、私、食欲がないので……」
正直いうと料理がものすごく豪華で、とても食べたかったんだけど、気圧されて私がそう言うと、お母さんらしきひとが心配するように私に言った。
「どうしたの? いつもスープもパンもお代わりする貴女が……」
「たまにはそういう時もあるさ」
お父さんがフォローしてくれた。
「その代わり、今日はエドがよく食べるなあ」
そう言って私の対面に座る男の子のほうを見る。
体中に電撃が走ったようだった。
エドと呼ばれたその男の子を見た瞬間、私の内に感動が生まれた。
その男の子はとても気弱そうにうつむき加減で座っていたので、私はすぐには存在に気づかなかった。でも気づいてみると、途端にその存在が輝きだし、私の中に恋にも似た感情を引き起こした。
『な……、なんてかわいいの!』
金色のくしゃくしゃっとした短髪の捲毛、白すぎておもちみたいなほっぺた、潤んだような青い瞳に私は吸いつけられた。
ハムスターみたいにパンを両手で持ってチビチビと食べるその仕草も、たまらん! たまらーん! と私に思わず叫び出させるところだった。
『こんなかわいい生き物がこの世にいたなんて!』
私が感動に打ち震えていると、お父さんが彼に聞いた。
「どうしたんだい、エド? 今日は調子がよさそうだね?」
「お……お父様」
エドが声をだした。世界一かわいいハムスターがだすような声を。
「なんか……今日、ぼく、気分が楽で……。その……なぜでしょう? お姉様が目の前にいるのに……」
そう言ってからエドがハッとしたように自分の口をおさえ、許しを求めるような涙目で私のほうを見た。そして実際に、謝った。
「……ごめんなさい……、お姉様……」
わけがわからなかった。
でも、続けてお父さんが言った言葉に、何かを察することができた。
「イライザ……。どれだけおまえはエドをいじめているのだ。エドは我がローガン家の跡取りだぞ? もしかしてその立場を羨んでのことか?」
いじめているのだ。
私が転移した、この、イライザという娘は。
こんなかわいい弟を? なんで……?
「そうよ。たった二人の姉弟なんだから、仲良くしなさい」
お母さんからも叱られた。
「わかりました」
私の口からスラスラと言葉が生まれた。
「これからは私、エドくんに愛を注いでみせましょう」
そう口にする私を見ながら、エドは不気味すぎるものを見るように、泣き出しそうな顔になっていた。
◆
エドは何歳なのだろうか? 日本人なら10歳ぐらいかなと思うけど、西洋人はそれより大人びて見えるだろうから、もっと幼いかもしれない。
そんな幼い子供だけど、立派な一人部屋を与えられていた。
「エド!」
私はノックをするのも忘れて、エドの部屋に飛び込んだ。
「遊びましょ!」
エドは勉強をしている最中のようだった。ミニピアノみたいな木の机に向かって広げた分厚い書物を読んでいた顔を、ビクッとこっちに向けた。それがやっぱりハムスターかリスか、あるいはアニメに登場するかわいすぎるげっ歯類のキャラみたいで、私はのぼせあがってしまった。
「ねー! 何か面白い遊びを教えてよ! エドくん! エドくん! エドくぅんっ!」
「姉様……。お許しくださいっ」
エドがまた泣きそうな顔になる。
「今回はどんな趣向でぼくを虐げられるのですか」
うっ……と私は、彼に抱きつこうとしていた動きを止めるしかなかった。
私は……イライザは、きっとこんなふうに、いつも彼を愛するふりをして近づいて、ひどいいじめをしていたにちがいない。エドの反応からそう気づいた。
どうしよう。
どうしてあげればいいんだろう。
エドはきっと、私の顔を見ただけで萎縮してしまうんだ。
彼をいじめていた姉の姿で、一体彼に何をしてあげられるんだろう。
カミングアウトしてみようか? 私がじつは本当の姉ではなく、その体の中に2024年の日本という国から転移してきた、ショタも小動物も大好きなただのOLだと?
ううん。きっとエドくんは恐怖する。私のことばを何のいじめの伏線だろうと訝しむばかりで、きっとことばは彼を恐怖させてしまうだけだろう。信じてくれるわけがない。
態度だ。
行動をもって、彼に私の愛を伝えるしかない!
「イライザ様……」
後ろから名前を呼ばれて振り返ると、あのおおきなリスみたいなおばさんが戸口に立っていた。
エドが椅子から飛び降りると駆けていって、おばさんの背中にサッと隠れた。そして、小さな声でいうのが聞こえた。
「リズ……。お姉様が……なんかへんだ」
「旦那様から申しつけられております」
おばさん……リズは、申し訳なさそうな顔をして、私に言った。
「お嬢様がエドガー様に何かしようとしたら止めるように、と」
「そんなにひどかったの、私?」
イライザの悪行を代わって謝るように、私は膝をつき、天井を仰いだ。
「かわいそう……エド」
そんな私を『騙されないぞ』という顔で、エドとリズが揃って見つめていた。
◆
どうしたらいいんだろう。
どうすれば彼に懐いてもらえるんだろう。
両親はエドのことをふつうに愛してるようだ。そりゃそうだ、あんなかわいい子、愛せないわけがない。
イライザはなぜ、エドをいじめてたんだろう……。
もしかして、エドには私の知らない裏の顔があるとか? イライザはそれを知っていて、なんだかわからないけどエドはほんとうは嫌な性格してる子だとかで、それなのに表面がかわいいところを嫌ってたとか?
私には何もわからない。
でも、二人のことをよく知る人はいるはずだ。
そう、あのリスみたいなリズおばさんとか。
私が部屋でぼーっと考え事をしていると、そのリズが紅茶を持って入ってきた。
「お嬢様。そろそろ家庭教師のドライさんが来られる時刻ですよ。ご用意をなさってください」
私は聞いた。
「リズは私たちのお世話係なのよね?」
「何を聞かれるのです?」
リズはまた心配そうな顔をした。
「私たちはご姉弟にお仕えするメイドですよ。お嬢様、ほんとうにどうなさったのです?」
「ねえ、私はどうしてエドをいじめていたんだと思う?」
「それは……お嬢様ご自身が一番よくご存知のことでしょう」
「忘れたの。教えて?」
するとリズは私に紅茶を淹れてくれながら、とても言いにくいように、でも話してくれた。
「エドガー様がかわいすぎるからでしょう? 後から産まれてきておいて、おかわいすぎる上に家の跡継ぎということでご両親の愛情を独り占めされてる──そう思い込んでらっしゃるから、エドガー様を憎むように……。でも、お嬢様、勘違いなさってはいけません。御主人様も、奥様も、ちゃんと貴女様のことを愛していらっしゃいますよ?」
「ありがとう、リズ!」
私は彼女の両手をガッシ!と握り、笑顔でぶんぶん何度も上下に振った。
「ありがとう! 教えてくれて!」
よかった。エドに悪いところなんかなかったんだ。
これで私、全力でエドをかわいがれる!
◆
エドは私と会話をしてくれない。
二人きりになりそうになったら慌てて逃げてしまう。
『今までひどいことをしてごめんね』
『私、心を入れ替えたの』
『これからは優しくするね』
そんなことを言いたかったけど、口にする機会はまったくなかった。また、口にしたとしても、彼が信じてくれるとはとても思えなかった。
そこで私は決めた。
何もしないことをすることを。
エドを自由にしてあげる。何もせず、見たりもせず、ただ彼のすることを邪魔しない。
彼が邸の中庭で剣術の練習をしているところにたまたま通りかかってしまった時は、ただ優しい微笑みを浮かべて、何も声をかけず、彼を見ることもせずに通り過ぎただけだった。
何もしない。
彼のすることに関わらない。
プレゼントとかもしない。
ただ、全身にラヴを漂わせるだけ。
いつか私の体から放出されるラヴにエドが気がついて、それを受け入れてくれるのを待とう。
ゆっくり、ゆっくり、彼にこのラヴをわかってもらえれば、それでいい。
私はトコトン何もしないことをし続けた。
◆
ある夜、私の部屋のドアがノックされた。
どうぞと声をかけるとドアが開き、暗い廊下を背負ってエドのかわいい顔が、隙間から私を覗き込んだ。
「姉様……。お話があるのですが……いいですか?」
私はにっこりと笑い、ベッドの上で彼を歓迎する姿勢をしてみせると、何も言わずに優美に小首を傾げた。
おずおずと部屋に入ってきたエドはドアを閉めると、言いにくそうに、しかしはっきりと聞いてきた。
「最近の姉様はへんです。なぜ、ぼくをいじめなくなったのですか?」
ようやく会話ができる。
私は大喜びで口を開いた。
「ごめんね、エド。今までごめんなさい。あなたにパパとママを独り占めされてるとか思い込んじゃったの。でも、勘違いだったと気づいたわ。あなたはローガン家の跡取り息子だもの、しかもかわいい。愛されて当然だし、私もちゃんと二人から愛されてるってわかったから……。だから、これからはエドのこと、愛したいの。ううん。お姉ちゃん、ほんとうはあなたのこと、ずっと、めっちゃ愛してたのよ」
「ほんとう!?」
エドのかわいい顔が、ぱあっと輝き、今までで見た中でも一番かわいくなった。
その眩しすぎるかわいさに卒倒しそうになりながらも、私はなんとか答えた。
「ほんとうよ。だってあなたは私のたった一人のかわいい弟くんじゃない」
「姉様! ぼくも姉様と仲良くしたかった!」
じーんとなって、声が震えた。
「エド……。嬉しい」
「今夜、ご一緒に寝させてもらってもいいでしょうか?」
「もちろんよ」
私は掛け布団をめくり、彼を招いた。
「カモン」
エドが子犬みたいに飛び込んできて、私の隣にぴったりとくっついて、体をすり寄せてきた。
あぁ……。
かわいい……。
なんてかわいいの。
私は彼の金色の捲毛をくるくると指で撫でながら、聞いた。
「エドは今、何歳なんだっけ?」
「9歳になります、明後日で」
ぉおぅ……。
なんて素敵なタイミング。
明後日には私のラヴがたっくさん詰まったプレゼントを贈ろう。何がいいかな、何がいいかな……。
「お姉様……」
目を閉じて、私の胸に顔を埋めて、夢見るようにエドが言った。
「ぼく……お姉様のこと、大好きだったんです。姉様は美しいし、すごくいい匂いがする。寂しかった。お姉様の胸にずっとこうして顔を埋めたかった」
鼻血が飛び出しそうになるのを必死におさえながら、私はエドの頭をぎゅっと抱きしめた。
もう、現代日本に未練はなかった。
ずっとこうして、かわいい弟を心ゆくまで抱いていたい。
ずっとこの異世界で、イライザ・ローガン伯爵家令嬢として生きていきたいと、心から願っていた。
裏ストーリーはコチラ『東方の異世界の女性の体に転移しましたが、素敵なサムライ様と懇意になれたので幸せに生きていけますhttps://ncode.syosetu.com/n6974iq/』