◇24
宴のあと、寝静まったように静かな屋敷の廊下を、サラサはひとり歩いていた。
シーラの部屋の前で立ち止まり、控えめにノックする。
「シーラ。起きている?」
「ええ、どうぞ」
許可を得て、ゆっくりと扉を開ける。
シーラは丸テーブルの上に置いた灯りで、本を読んでいた。
本を閉じ、サラサのほうに歩み寄る。
「今日は大変だったわね」
サラサは首を振った。
自分は何もしていない。ーーできなかった。
シーラこそ、疲れているだろうに。人のことにばかり気を使っている。
「疲れているところに、ごめんね」
シーラはにこりと笑って、首を振る。
「いいわ。話しましょ」
シーラに手招きされ、サラサはシーラと一緒に長椅子に腰掛けた。
「あ、今日のご飯も美味しかったよ」
こういう感想は、こまめに伝えた方が良いぞと、プラシノが言っていたのを思い出した。
この館にきてから、初めて食べるものばかりだ。どれも美味しくて、つい食べ過ぎてしまう。
なんだか少し、背も伸びた気がするのだ。この姿は擬態のはずなのだけれど。
「ふふ。サラサもお料理、活躍していたわよ。おつかれさま」
開け放った窓から、ふいに風が吹いた。
卓上の灯りが揺れて、シーラの顔にうつる光と影が、ゆらゆらと姿を変える。
「僕」
サラサはシーラの目を見つめた。
シーラはいつだって、まっすぐ見返してくれる。
「うん」
「強くなりたい」
料理だけじゃなくて、討伐だけじゃなくて、もっともっと役にたてるように。
「奇遇ね、私もよ」
「うん。いまは、ボアとか、そういう仕事からかもしれないけれど」
「積み重ね、ね」
シーラはわかっているわと言わんばかりに、手を出した。
「明日も、よろしく。相棒」
サラサは、出されたその小さな手を握りかえした。
「よろしく」
◇
「ワイバーン?」
サラサが聞き返すと、カーラは困ったように頷いた。
朝の訓練をしようと庭に出たところ、カーラに呼び止められたのだ。
「ええ、草原の方にね、群れが出たみたい。どう、実戦訓練として討伐する? その……サラサがよければ、だけれど」
「? うん、僕はいけるけど……」
サラサに訓練以外の大した予定がない事など、カーラがいちばん知っているはずなのに。
カーラの言葉を選ぶような微妙な態度を、不思議に思う。
ややあって、サラサは急に理解した。
「ああ、僕が竜だからどうこうって話?」
たとえば仲間討ちのような心配をされているのだろうか。
「それなら大丈夫だよ、ワイバーンはどっちかっていうと羽の生えたトカゲだ。会話も成立しないからね」
カーラはほっとした顔で笑った。
ずいぶんと気を使わせてしまったらしい。
「そう、ならお願いするわ。別の仕事が近くであるからついでにって事で、白が同行してくれるわ」
「わかった」
サラサは白の堂々とした佇まいを思い出した。彼がいるなら安心だ。
ふと、疑問が湧いた。
「ねぇ、ワイバーンのお肉も、やっぱり食べるの?」
「そうね、この間のボアと同じように、美味しく食べられるように処理するわ。メニューは違うけれどね」
「そっか。楽しみだな」
「頑張って、いっぱい実戦積んできてね」
「わかりました」
手を振って屋敷の中へ去って行くカーラ。
手を振りかえして、サラサは自分の手足を動かし体の具合を確認する。
この姿にも慣れたけれど、飛ぶ相手と戦うなら、元の姿の方が良いのだろうか。
(あとで白に相談しよう)
まずは腹ごしらえだと、ストレッチもそこそこに、サラサは食堂へと足を向けた。
◇
「おはよう、サラサ!」
食堂に入るなり、小さな友人は満面の笑みで朝の挨拶をくれた。
「おはよう、シーラ」
サラサは右手を腹の前で曲げ、ぺこりと礼をした。
最近覚えた人間式の挨拶だ。
「しっかり食べて、いきましょうね」
「ああ。がんばろう」
シーラは気合い十分というか、いまにも出陣できそうな格好だ。
パンツスタイルに、胸当て。さすがにいまは被ってはいないけれど、頭を守る用途に使うのだろう丸い防具が、傍らに置いてある。
「ワイバーンと戦ったことはある?」
サラサの問いに、シーラは首を傾げて答える。
「1匹? 1羽? どちらかしら。とにかく、単体で、ならね。群れは初めて」
「飛ぶ相手だからね。油断しないようにいこう。魔法を使うなら、陸も空もあまり関係はないかもしれないけれど」
油断は、敵だ。
弱いと思っていた相手に思わぬ一撃をもらうこともある。
サラサは頑丈だから良いけれど、人間は壊れやすい。シーラが人間だということを忘れないようにしないと。
知らぬ間に力がこもっていた肩を、小さな手でぽんぽんと軽く叩かれた。
「プラシノ、さん」
振り返ると、緑頭の精霊がふわふわと浮いていた。
「おっはよーさん。ここにいたか」
あくびまじりに言ってから、あ、と付け足す。
「呼び方。プラシノで良いよ」
「わかった。おはよう、プラシノ」
うん、と頷き、プラシノは薄紫色の飴玉のようなものをふたつ、投げてよこした。
「ほれ、これやるよ。俺の最高傑作。加護の力がこもってるからな。ちびたちはデザートがわりに、これ食べてから行け」
「わかった。ありがとう」
「ねぇプラちゃん、これ美味しい?」
「よ、シーラ。美味いぜ。俺のお墨付きだ。あ、これもらうな」
じゃあ俺は徹夜明けなんで寝るわなと言って、プラシノは出て行った。
オレンジジュースの入ったピッチャーが、プラシノの後を追うようにふわふわと浮かび、扉の向こうに消えていった。




