◇21
「もしリクさえよければ、研究所のある沼地に越してきても良い。魔物に偏見を持たない職員もたくさんいる。離れたくない場所があるのなら、無理はいわんがな。まぁ、ゆっくり考えたら良い」
優しい笑顔に、リクも少しは緊張がほぐれたようだ。
「あ……ありがとう」
白おじは頷いて、真面目な顔に戻った。
「さて、では仕事に戻ろうかーー」
◇
発端となった場所の話を一通り聞いて、白おじは考えこむ。
「罠のような泉、かーー。もう移動している可能性のほうが高いが、リクの言う場所に見に行くとするか」
「白おじっ」
はしっと、白おじの袖をつかむ。
「さすがに、シーラは来てはダメだぞ」
何か言う前に、釘をさされた。
「でも」
シーラだって、好奇心だけで言っているわけではないのだ、と、唇を引き結ぶ。
(心配なのだもの)
シーラのことなどお見通しなのだろう。
白おじは優しく、シーラの髪を撫でた。
「自分のいまの力を、踏み入れても良い危険を嗅ぎ分けるのも、大事な力だよ」
「わかった」
渋々頷く。
「そうだなぁ。仕事が終わったら報告がてらそちらに寄るから、美味しい夕餉をご馳走してくれるかい? 屋敷の皆にも伝えておいてくれ」
これが白おじの妥協案だと、シーラにだってわかる。
「俺が一緒に行くよ。帰りは転移するから」
と、プラちゃん。
それなら、安心だ。
「ええーー、わかった。気をつけてね」
これ以上は、子供のわがままだ。
ここは素直に、白おじの言うことを聞いておこう。
(こうなったら、疲れも吹っ飛ぶご馳走を用事するんだから!)
それが、いまのシーラに出来ることだ。
……………………
………………
…………
厨房でレシピ集を眺めていると、レフちゃんが隣に座った。
「大丈夫よ。もしも何かあったら、すぐに連絡が入るもの」
「うん。そうだね」
連絡がないのは、順調な証拠だ。きっと。
「よしっ! レフちゃん、私も、がんばってお料理するっ!」
「おっ! よしよし、やろうやろう!」
そう言ってから、レフちゃんは自分の前足をうらめしそうに眺めた。
「といっても、この体の何が不便って、自分じゃお料理できないことよねぇ」
「レフちゃん! 大丈夫、シーラに任せて! 言う通りに動くから!」
足りなければ、補いあえば良いのだ。
パパとママの力みたいに。
そんなことを思っていたら、ママの声が聞こえた。
「たまには私も参加したいわ」
「ママ!」
急いで戻ってきてくれたのだろうか。
シャツにパンツの乗馬スタイルだ。
どんな格好でも、ママがいちばん綺麗だけれど。
私のことを、ぎゅううっと抱きしめてから、ママは私の顔をのぞきこんだ。
「大丈夫だった? シーラ」
「大丈夫! 心配かけてごめんなさい」
優しい笑顔で首をふって、ママはもう一度、抱きしめてくれる。
「レフたちがいれば滅多なことは無いけれど、気をつけてね」
「うんーー」
最後に強く強く抱きしめて、満足したらしい。
シーラの心も、すっかりほんわりあたたかくなった。
ママはすっくと立ち上がって、エプロンを手に取った。
「それで? 何をしたら良い?」
と、レフちゃんに聞く。
「えっとね、まずは山鳥の骨と香味野菜でスープをとってーー」
「わかったわ」
「レフちゃん、あたしはっ?」
「じゃあこっちの粉をこねてもらおうかな? お塩とお水を少しずつ足してねーー」
◇
「あの丘を越えたところだよ」
リクの案内で、白とプラシノは現場におもむいた。
「やはり本体はいないな。気配は、残っているかーー」
「覚えがある、気配か?」
プラシノの問いに、少し苦い顔で白は頷いた。
「……ああ」
白は目を閉じて、何やら呟いた。
そして目を開け、よく通る声で言った。
「キオ。いるか」
「はぁ、ここに」
そう、しまりのない声が返ってくる。
突如として現れたのは、黒髪を三つ編みにした青年だった。
青年は細い目をさらに細めて、薄い唇でにっこりと笑う。
人間のように見えるけれど、人間じゃないと言われたら納得する。
そんな風貌の、とてもうさんくさい青年だった。
だから、リクは、じり、と後退りした。
「ああ、驚かせてすんません。怪しいものではありませんから」
「怪しいよ」
リクの即答に、青年はもっと笑った。
「おたく、素直やなぁ。これでも傷つくんですよ?」
「あっ、ごめんなさい」
「ほんま、素直や」
くつくつと、声をあげて笑う。
「久しぶり、キオ。相変わらずうさんくさいな」
「プラシノさんも、その毒舌、お変わりないようで、何よりです」
(えっ、えぇ〜……)
仲が悪いのか、仲の良いじゃれあいなのか、リクには判断が難しかった。
ドン引きしていると、白がスッと前に出た。
「これ、キオ。そのくらいで。リクや、驚かせて申し訳ない。これは我の助手のひとりだよ。怪しむ気持ちはよくわかるが、そう怖がらないでやっておくれ。ーーキオ、この気配をどう思う」
「白さんに怪しいって言われたら、人間としてやっていけませんってーー。どっかでおうた気配ですねぇ。いや、懐かしい。二度と会わへんと思ってたのになぁ」




