◇12
「そういえば、倒したボアはどうするの?」
サラサの問いに、カーラはにこやかに答える。
「解体して、使えそうな肉はレフの店に卸すわよー。素材や残りの肉は、施設に寄付するわ。あ、今日の晩ごはんにも使うけど」
なるほど、抜け目がない。
「どう、サラサ。何か、つかんだ?」
のし。と、頭の上に乗っかってきたのはレフだ。
毛皮のふかふかと、ほんのりあたたかい体温が心地よい。
「魔力の効率的な使い方は、ちょっとだけ、わかってきた。今までは雑な使い方をしていたんだなって、反省しきり」
「わかるわ……!」
「レフ……さんも、そうだったの?」
「うん。ただのレフでいいわ。最小限の魔力に調整するのは、今でも難しいわ。でも数が多かったり、長期戦になると、省エネ戦法は大事なのよね」
そうだそうだと、プラシノも頷いている。
「私だって、昔は苦手だったわよ」
と、いうのはカーラだ。
「私なんて、大規模魔法を使う時は、エリアスに補助してもらっていたよー」
「えっ」
はっはっはと笑うコランだけれど、何だか反応に困るサラサである。
「コランの力は特殊だから……。なんとかひとりで制御できるようになったのは、奇跡に近いわよ」
すかさず、カーラのフォロー。
「でも、その実績を作ってくれたのは本当にありがたかった。近しい力をもつ、シーラにとっての希望にもなるから」
そう言って、愛娘の頭を優しく撫でる。
「シーラも、サラサも、少しずつ上手になるわ。大丈夫。
ーーそれでね、話は変わるのだけれど。最近、なんだか魔物が増えてきてね。本職の狩人だけでは対応しきれないのよ。だから、数の多そうな時や厄介な相手の時は私たちが出張ってるんだけど」
原因は調査中なのよねぇ、と、首を傾げる。高く結った銀色の髪が揺れた。
「実戦訓練の時は、また協力してくれると助かるわ」
「はい!」
「もちろん!」
戦いの興奮さめやらぬ様子のシーラも、鼻息荒く頷いた。
◇
食事の用意が出来たと呼ばれて庭に出ると、そこには異国の祭りのような光景が広がっていた。
「わぁっ!」
人間よりは長く生きているはずのサラサだけれど、これまでに見たことのない飾りや料理が並ぶ。
魔法で浮かべているのだろうか、赤くて丸っこいかたちのランプのような照明道具が、あちこちに浮かぶ。
ずらりと並んだテーブルには、等間隔に置かれた鍋。
中ではいい匂いのするダシに野菜がくつくつと煮えている。
何やら白いかたまりや、灰色の麺のようなものも入っている。
鍋の隣にはおそらく今日倒したボアの肉だろうか、スライスされた赤身肉がお皿に山盛り並べられていた。
「これは、何ていうお料理なの?」
レフに聞く。
「これはねぇ、ぎゅ……じゃなかった、ボア肉を使ったすき焼きよ!」
「スキヤキ」
「そう、すき焼き♡」
シーラの隣に座ると、スキヤキの作法について教えてくれた。
「これはねぇ、山鶏の卵を割って溶いて、そこに具材をからめて食べるの!」
「ふんふん」
ブラウンボアはいつも食べていたけれど、卵のような小さいものは、竜の姿では食べた経験がなかった。
「いただきます」
どきどきしながら言われた通りにして口へ運ぶ。
「!」
甘じょっぱい味付けが卵が絡むことによりまろやかになり、肉の脂が口の中に溶けてゆく。
「美味しい……!」
オサシミも美味しかったけれど、サラサはこっちの方が好きだ。
あの皮がゴワゴワして牙に引っかかるブラウンボアが、こんな美食に化けるなんて。
「すごいね」
「でしょう?」
「うん。最高」
「それほどでも」
「プラシノは味見してただけでしょ」
「ははは! そうか気に入ったか! どんどん作ってやるから食え食え!」
いつのまにか、料理長にまで囲まれてしまった。
「間に合ったー!」
「ロニーおじ!」
シーラが名前を呼んで飛びつく相手。
(髪も目も、カーラさんと同じ色。この人がーー)
ロナルド・スマラグドスーーサラサのやらかした一件の後始末をしてくれた、シーラの伯父。
サラサは駆け寄って一礼をする。
「サラサです。この間はありがとうございました」
「ロナルドだ。大丈夫だよ。万事問題ない。それより、宴は楽しんでいるかな?」
「はい!」
「ロナルドー! 久々じゃん! ほら飲め!」
「プラシノ、空きっ腹にその度数の酒はやばいわよ。まず、すき焼きを食べさせてあげなさい」
あっという間に、人に囲まれるロナルド。
(人気者なんだなぁ)
と、サラサは思う。
自分がこの輪の中にいることが、まだ夢物語のように実感がない。カリ、と噛み締めた唇の痛みで、現実なのか確かめてみる。
賑やかな声は、夜遅くまで続いていた。
◇
スマラグドス公爵家から遠く離れた山の中にある池の中で、黒い光がゆらゆらと揺れた。
真っ暗な水面が、空気の泡で乱される。
コポコポ……コポ……
すぐ近くを通りがかった子ウサギが、ひきつったように痙攣して、息絶えた。
◇
農夫は今日の仕事を終えて、家に戻る支度をしていた。
晴れていればもう少し粘るところだけれど、どんよりと立ちこめた雨雲のせいで、早く夜が訪れそうだった。
最近は野犬の被害も増えている。暗くなってからは出歩かないほうが賢明だ。
雨が降り出す前に、収穫した荷物も運びたい。
「おお、タラさん、いま帰りかい」
土手の上の道を通りがかった同じ村の顔見知りに、声をかける。
背中に行李を背負った彼女は、山に続く道から戻ってきたようだった。
「えェ、山の向こウの娘のところカら……」
「そうかそうか。もう少しで雨が降りそうだ、気をつけてなぁ」
「エェ、アリがトウ……」
礼を言って去っていく背中を見送って、農夫はひとりごちる。
「なんか顔色悪そうだったな。あとで粥でも持っていってやるか」
いっそう暗くなってきた空を見上げて、眉をしかめた。
「しかし、気味の悪い雲だなぁ……。おっと、急がないと、本格的に降りそうだ」
ポタリと、たちこめた雲から滴が落ちた。
地面に広がる黒いしみは、少しずつ広がっていく。