プロローグ
初めまして
初っ端モブです
・
・
・
「移動は一瞬だよ。初めての奴らにゃ、ちと眩しいかもね」
皺がれた老婆の声が響いたかと思うと、次の瞬間、目の前が真っ白な光で埋め尽くされた。周りの空気が変わったのが途端に変わったのがわかる。
恐る恐る目を開けてみると、そこは薄暗い大きなホールのような場所だった。
足元には大きな魔法陣のようなものが彫られていて、淡く光る細やかな紋様から次第に光が失われていく。
石造の室内の天井は高く吹き抜けになっているが、地下なのか日光がちっとも入ってこない。部屋にある光源は、壁にいくつか取り付けられた細長い蝋燭と、腰が垂直に曲がった老婆の持つランタンのみで、辺りはかなり薄暗い。
「おっこらせっと。……あぁ?お前さん達、いつまでぼさっとしてるんだい」
手をはたき、身につけていた分厚い手袋を外しながら、老婆はぶっきらぼうに言い放った。
「ふんっ、ついたよ。ここがレーインドルダムだ。わかったらさっさと魔法陣から出な」
瞬間、周囲が騒がしくなる。
本当にここがあのレーインドルダムなのか。信じられない。呆気なかったね。
興奮したように口々に呟き出す内容はどれも似通っている。
「静かになさい」
初めて聴く女性の声だった。
しかし周りの子達は会話に夢中でその声がきこえていなかったようで、ざわめきはおさまらない。
『———静かになさい。次はありませんよ』
先程と同じ落ち着いた声だが、今度はその声の大きさが桁違いだった。
ひび割れるほどに大きな音の波が頭を直接揺らした。
「うっ」と思わずうめき声が漏れる。同時に、同じような声があちこちから聞こえてくる。
「顔をあげなさい」
女性の声が、今度は通常のボリュームで響いた。
そこにいたのは、丁寧にまとめ上げられた暗い茶色の髪と、吊り上がった瞳、黒いローブと黒いとんがり帽子が印象的な細身の女性だった。見かけ五十を過ぎたあたりだろうか。なんとも『いかにも』な格好をしている。
「さて。まずは新入生の皆さん、入学おめでとうございます。レーインドルダムへようこそ。これから始まる皆さんの学校生活が良きものとなりますように」
名乗ることもなくとってつけたような口元だけの笑みを一瞬見せ、しかしその割には丁寧に魔女の礼をすると、彼女は子供達の顔をぐるりと見渡した。
そして、人数を確認するようにもう一度見回して言う。
「あら、一人足りないようですが」
女性は片眉をあげて呟きながら、老婆へちらりと視線をやる。老婆は口をへの字に結び、視線を逸らした。
女性が訝しげに眉根を寄せた途端、突然どこからともなく白く光る球体が現れた。
その球体がふわふわと女性の耳元付近を飛び回ると、女性は「……なるほど、例の子ですね」と呟きため息をついた。
「ともかく、状況は把握できました。それでは、このまま講堂へと移動します。講堂での式典の終了後に寮への移動になりますから、しばらくは落ち着けないでしょうがこらえてください。荷物も多くて大変でしょうが、時間がありませんのでゆっくり歩いている暇もありません」
さ、一列に並んで付いてきなさいと言い放つと、女性は子供たちの先頭に立ち、老婆に目礼をして出ていった。
その場には、老婆の深いため息が残された。
「………まったく入学初日から何をしてるんだい、あの馬鹿は」
・
・
・
その少し前。
深い森の中を猛スピードで駆ける少年がいた。
癖のある黒髪のところどころに木葉をのせ、ローブの隙間から露出した痩せぎすな身体の膝や腕には、木々を掻き分け走る中で傷ついたのか、小さな傷が多く見えた。
この大きな大きな森に比べれば、小さな小さな少年だった。
少年の名はネモ。ネモ・カプリクス。歳は12。
今年度のノーインドルダム魔法学園の新入生の一人である。
そして。そんな彼をひたすらがむしゃらに追いかけているのは、手足が身体中に生えた泥の塊のような生き物。
高さ2.5メートルはありそうなその巨体はねっとりとした泥でできており、人間の手足を真似して形成したかのようなものがあちらこちらから生えている。歪な手足は細かったり太かったり大小様々で、指が3本だったり6本だったりもする。
森の草花が、そいつから飛び散った泥のようなものに触れた途端に枯れだすのを見れば、それが人体に良からぬ影響を与えそうなことは、いくら幼い少年であるネモといえども容易に想像ができた。
そんな化け物が自分のあとをとんでもない勢いでついてくるとなれば、ネモとしても全身の力を振り絞り全力でお応えしないわけにはいかないわけで。
そんなわけで、ネモは光がまばらな森の中を猛スピードで駆け抜けているのである。
「………まったくもう、埒があかないなぁ! バーニー!」
ネモが叫ぶと、途端に白く光る球体が現れた。
白い球体は走るネモの耳元でふわふわと飛びながら、そのままくるりと一回転をした。
「それを知りたくて君を呼んだのさ!なんだい?あのこ!なんで僕についてくるのかなぁ!」
白い球体は変わらずネモの耳元でふわふわと飛びながら、二回、三回と連続でまわる。
「えぇ、心当たりがないかって?勿論走りながら考えまくったさ!そりゃもう、今朝布団の中で目を覚ました瞬間から遡ってね。必死に思い返してみたけどやっぱり………でも、別の日になんかやっちゃった可能性は考えてなかったな。昨日…一昨日?どろ、泥、泥……。」
ぶつぶつと呟きながら、ネモは現在必死に酸素が運び込まれている脳みそをフル回転させた。
少し大きめの木を右へ曲がり、スピードを上げる。少しして、後方から大きな音が聞こえた。どうやらあの生き物がド派手にあの木へ衝突したようだ。
「あ」
少しの思考の後、心当たりとやらに思いあたったネモはポツリと言葉をこぼした。
「もしかして、あれかな」
白い球体がくるくると回る。
「いっいや、違うよ!まだわからないよ!もしかしたら僕がどうとか一切関係なくて、ただちょっと今日はあのこの機嫌が悪かっただけなのかもしれないし、お腹が空いてるところに美味しそうな人間がトコトコとやってきたから襲い掛かってる最中なう(ピース)なのかもしれないだろ!まだ責めるには早い!!きっとそうだ、多分!」
くるくると回る。
「うっ…わかったってばぁ……」
こうして話している間にも、幹を駆け上がり木々を飛び移り、小川を飛び越え必死に逃げていたネモは、少し先にひらけた場所があるのを確認すると、何かを閃いたようにニッと笑った。
依然、泥の御仁は後をついてきている。
「ま、そろそろ入学式が始まっちゃうし逃げ続けるわけにもいかないもんね。 よし、バーニー、君は万が一のために先に誰か先生に事情を伝えにいってくれる?ないだろうけど一応ね。うん、お願い。僕は……どうにかしてみるよ。ようやく良さげな場所も見つかったしね」
白い球体がくるりと回転したのちパッと姿を消したのを確認すると、ネモは近くの蒲公英樹の枝を手折り軽く振った。
すると、木の枝の先端からパチパチと音を立てながら光が溢れ出す。いいね、と呟きながらネモが枝に息を吹きかけると、あたりに一気に霧が広がった。
さらにスピードを上げて広場へ出ると、すぐさまネモは自身の姿を霧の中へ紛れさせた。
しばらくして、全てを照らすような眩い光と爆発音のような大きな音が森中に響き渡った。
・・・それは、校舎に届くほど。
老婆のため息がまたもや落とされる。
今日は、晴れのち晴れ。稀に見る快晴。
空には一滴の汚れもないただ一色の鮮やかな青が広がっている。
そんな空に、数えきれないほど沢山の綿毛がまるで雲を描くかのように広がっていく様をこのとき多くの者が目撃していた。
今日は、多くの者にとって祝うべき門出の日。
レーインドルダム魔法学園の入学式が、じきに始まる。
よろしくお願いします