第83話 薬局長と石動くん【1】
「はあ…」
佐江木薬局長が、また溜息を吐いた。今日はこれで22回目だ。
お盆休みの前から元気が無いように見えたが、勤務が再開されてからは一段と覇気が無いように思える。
申し遅れました。僕の名前は石動。
今年26歳の独身。去年から、この〈ヴェール・ファーマシー〉で薬剤師として勤務しています。
今日は、そんな僕のことをお話させて頂きます。
※※※
1年半前、薬剤師の国家試験に合格して、大学も無事に卒業した僕はこの会社に入りました。
大学の仲間は附属の大学病院へ行くか、大手の薬局チェーンへ入社しました。製薬メーカーの研究部門へ入職したヤツも居ました。
そんな中で僕がこの会社を選んだのは『地元を離れたくないから』でした。全国規模の大手では、いつ転勤で地元を離れることになるか分からないので。
僕が入社したこの〈ヴェール・ファーマシー〉も一応チェーン店ではありますが、まだまだ発展途上の企業。異動や転勤はあっても隣県内に収まります。
でも小さな会社だけに、入社式やオリエンテーションはあって無いようなもの。2日程度の簡単な研修を終えると、すぐに店舗へ配属となりました。
僕はてっきり店舗へ配属になってから、しばらくは先輩に付いて勉強するものだと思っていたのですが、それは甘い考えでした。
配属された店舗は、途轍もなく過酷な環境だったのです。
店は古く敷地面積も狭いという悪条件。にもかかわらず来局患者数は多くて、僕は軽いパニックに陥りました。
というのも門前の病院は小さな医療ビルで、医療機関が4つもテナントに入っていたからです。
【内科】【整形外科】【心療内科】【小児科】【腎臓内科】と、在庫する薬の種類も半端ではありませんでした。
学生の頃にやっていたバイトや実習とは比べ物にならないほど忙しくて3日目には『無理だ』と諦めかけました。
おまけに店舗が狭いせいで人を多く雇えないから、一人当たりの仕事量がドンと多かったのです。
それが原因で、教える時間も作れない。
それが原因で、ミスや勘違いが生じる。
それが原因で、怒鳴られて、恐怖心と不安感を植え付けられる。
それが原因で、また間違いが増えて叱責を喰らう。
それが原因で、新人が直ぐに辞めてしまう。
その繰り返しだ。
そう、先輩薬剤師から聞かされました。
なぜそのような環境になるのか聞き返せば、管理薬剤師をしている年配の女性薬剤師が元凶だとか。
社内でも『新人潰し』として有名な危険人物らしく、気に入らない新人は徹底的にイジメて退職に追いやるとのこと。
事実、去年に入社した新人は3ヶ月で体調を崩し辞めてしまったようです。
僕は不安に駆られました。
すると案の定、僕も毎日のように怒鳴られ罵倒されるようになり、心身共に疲弊していきました。
残念ながら、僕も管理薬剤師の女性に気に入られませんでした。理由は今でもわかりません。
僕が店舗で唯一の男だからか。年齢が若いからか。出身大学が二流だからか。
正直、何度も辞めようと思いました。
だけど『ここで辞めたら友人や家族に合わせる顔が無い』と自分を殺して働き続けました。
でも、2ヵ月後にはそれも限界になりました。
身も心も襤褸雑巾のように汚れ擦り切れて、いつしか僕は「はい」と「すみません」以外の日常会話が出来ないようになりました。
他の先輩薬剤師や事務員さん達は、皆さん見て見ぬフリを決め込んでいました。下手に僕を庇えば、今度は自分達が嫌がらせの対象になるからと。
耐えられなくなった僕は、マネージャーに相談しました。
けれどそれも、ナシの礫でした。
管理薬剤師のオバサンは社長と旧い付き合いらしく、マネージャーは”臭い物にはフタ”を決め込んでいたのです。
一縷の望みも希望も消え失せて、針の筵に座らされるような毎日が続きました。
日を追うごとに暴言はエスカレートして、終には他の先輩達も僕を煙たがるようになりました。
このままでは、心を壊される。
そう思った僕は辞表を書いて、お守りみたく常に白衣の内ポケットに入れていました。
「もし今日も罵声を浴びせられたら、この辞表を叩きつけて辞めてやろう」と、何度も心の中で念じていました。
その時でした。
「貴方が今年の入った石動君ね」
僕の目の前に、突然女神が現れました。




