第72話 08月07日【2】
「――と、いうわけです」
光希さんのテーブルに同席した私と薬局王は、ことの顛末を大まかに説明した。
「なるほど。つまり貴女は店舗誘致の権利を獲得するために、翔介さんの優しさに取り入って、あまつさえ彼を利用したというわけですね」
「そ、それは…」
「ちょっと待って下さい神永さん!」
身を乗り出した瞬間、ギロリと鋭い光希さんの視線が、私を射抜いて勢いを削いだ。
私は「ふう」と一呼吸だけ間を置いてから、再び光希さん見据える。
「……この薬局王は仕事に対して、本当に実直で真面目な人間だからです。3年間、彼女の隣で仕事をしてきた僕には分かります。
彼女は大きな会社の経営者です。自分のためだけじゃなく、会社や店舗、そこで働く従業員や家族のために自分に出来る事を精一杯やっているだけなんです。だから、そんな風に彼女を悪く言うのは止めてください…」
「翔介…」
気後れしながらも、腹の奥に滾る思いを振り撒けば、空気の抜けた風船のみたく私は縮こまった。
怖かった。
正面から光希さんの言葉を否定して、薬局王の誘致獲得に不利益が生じるのではないかと。
彼女達に嫌悪されるのではないかと。
だがもはや後の祭り。訪れた後悔に苛まれ、流れる汗と血流が加速する。
「本当にお優しいですね、翔介さんは」
しかし私の不安とは裏腹に、光希さんは穏やかに微笑んだ。
「薬局長さん。確かに私は口が過ぎました。申し訳ありません」
言葉通り、光希さんは丁寧に頭を下げた。
「お詫びと言っては何ですが、誘致の件は私からも院長にを推しておきます。話の分かる方なので、きっと薬局長さんの希望に沿う結果になると思います」
「えっ!?」
「良かったな、薬局王!」
「ええ! ありがとうございます神永先生……なにか御礼をさせて頂けないかしら?」
「そうですか。なら御言葉に甘えて、ひとつお願いを聞いて頂けませんか?」
「もちろん! 私に出来ることであれば!」
「では今後、病院や薬局以外で翔介さんとは会わないでください」
私は、耳を疑った。
私だけではない。薬局王もまた信じられないと言った様子で「え?」と声を漏らす。
かと思えば直後、眉尻を吊り上げ顔を赤く染め上げた。
「そ、そんなことを貴女に指図される謂われは無いわ! それとも何!? 二人は恋人同士だとでも言うの!?」
「いえ。まだ交際には至っていません。ですが私はそうなりたいと望んでいます」
今にも食って掛かりそうな薬局王に対し、光希さんは努めて平静に。
「私は翔介さんのことが好きです。もちろん恋愛感情です。先日、私は彼に想いを伝えました。返事はまだ頂いていませんが、私は結婚も視野に入れています」
心根を明瞭に述べる彼女に押し込まれるよう、薬局王は言葉を詰まらせた。
光希さんは、尚も続ける。
「もし薬局長さんが翔介さんに対して特別な感情を抱いておられないのであれば、どうか身を引いてください。
その代わりと言ってはなんですが、誘致の件は私から院長に進言させて頂きます。きっと貴女の御希望に沿う結果になります」
淀みない光希さんの提言に、薬局王は力無く顔を伏せた。
流石にこれ以上、黙って見てはいられない。
私は身を乗り出して立ち上がった、刹那。
「なら私は、門前の権利なんて要らないわ」
薬局王の声が、私を押し留めた。
そこには晴れ晴れと、穏やかな様相の彼女が。
「私は日本一の調剤薬局を目指しています。それに翔介が言ったみたく、従業員やその家族の生活を守る立場にあるわ。だから私は何としても会社の利益を向上させるの。例え卑怯と罵られても、事業のためなら何だってする覚悟よ」
重く圧しかかるようや薬局王の言葉に、私も光希さんも聞き入った。
「だけど、それでも……例え今の立場を失っても、私は翔介と一緒に居たいの。仕事だけの関係だなんて、まっぴらゴメンよ!」
普段の意気高な調子を取り戻したように薬局王は腕組みして「フン」と鼻を鳴らした。
すると今度は光希さんの方が溜息混じりに顔を伏せる。
「……薬局長さん」
「はい」
「試すような真似をして申し訳ありませんでした。お約束通り、ドクターには私の方から誘致の話を通しておきますので」
言い置くように言うと、光希さんは鞄を手に席を立った。
「ちょ、ちょっとお待ちなさい! 私は――」
「安心してください。もう『会うな』なんて言いません。今まで通りの関係を続けて頂いて結構です。そもそも貴女の言う通り、私がお二人の間柄をとやかく言う権限などありませんから」
「え…?」
「ただ一つ言わせて頂くなら――」
そう言うと光希さんはチラと私を一瞥して微笑み、
「――私、負けません」
優雅かつ颯爽と店を後にした。
チリン、チリン、とノスタルジックなベルの音が残滓を響かせて…。




