第63話 07月31日【1】
「あちらのお嬢さんが、今日の見合い相手だ」
そう告げる父の手が、レストランの入り口を示す。
皺の目立つ指先に視線を導かれた私は、驚きのあまり声を失った。
なぜなら御相手と思われる女性が…………恐ろしいほど私の好みではなかったから。
過剰なまでに着飾った装飾品と、派手派手しいメイク。にも関わらず身だしなみは粗末で佇まいも粗野。
夢も希望も信じる心さえも失くしたような双眸が、手元のスマートフォンにだけ向けられている。
おまけに心なしか老けて見える。本当に28歳なのか? 私の眼には40歳前後にしか映らないのだが。
頂いた情報(経歴書)に写真が添付されていなかったことから、相手の容姿には期待などしていなかった。
だがこれは予想外すぎる。彼女からは有名な医学部を卒業した程の聡明さを感じられない。
力無く項垂れ肩落とす私の脳内では、「帰りたい」というワードばかりがリピートされる。
「おい、どこを見ている翔介。お越しになられたぞ、顔を上げろ」
父の言葉にピクリと体が反応を示すも、一向に首が持ち上がらない。まるで鉛のネックレスでも下げているかのよう。
「あの、大丈夫ですか?」
マーブル模様の床ばかり見つめる私の頭上から、若々しい女性の声が聞こえた。
透き通る水のように耳心地良い声音。恐らく見合い相手の女性なのだろうが、あの風体に似合わず随分と流麗だ。
強く息を吸い込み、徐に顔を上げれば――
――すんごい美人が、目の前に居た。
黒真珠のように艶やかなミドルヘア。
透明感あふれる肌。
目鼻立ちは凛として、表情から頭の良さが滲み出ている。
落ち着いた雰囲気も彼女の魅力に一役買っている。
『息を呑む美女』とは、まさに彼女のために存在する言葉だろう。
事実、呼吸を忘れた私は自分の眼を疑い目を擦った。だが幻ではない。彼女は確かに存在している。
ならば先ほどの女性は何者だ?
首を伸ばして入り口を伺えば、派手な装いの女性は尚も能面のような表情でスマートフォンを見つめている。
恐らく、こちらの彼女はあちらの女性の陰に隠れて見えなかったのだろう。
ほっと安堵に息を吐く私の前に、もう一人男性が現れた。優しそうな眼鏡をかけた白髪の男性。
「先輩。御無沙汰しています」
「先輩はやめろ。もうそんな年でもないだろう」
否定しながらも父は嬉しそうに微笑んだ。このオヤジが笑う姿など、息子の私でさえ滅多に見られないぞ。
白髪の男性は父との挨拶を終え、人好きする笑顔を私に向けた。
「はじめまして。君が翔介君だね。お父さんから話は聞いているよ。今日は忙しい中、ありがとう」
「あ、いえ。こちらこそ、ありがとうございます」
「早速だけど紹介させてもらおうかな。娘の光希です」
男性が名前を呼ぶと、隣に立つ女性が半歩前に出た。
「はじめまして。神永光希と申します。本日はお忙しい中、有難うございます。改めまして、どうぞ宜しくお願い致します」
輝くような微笑を湛え、女性は丁寧な挨拶で腰を折った。
容姿をそのまま音に変えたような甘く美しい声が、私の脳を麻痺させる。
「おい、お前も挨拶しないか」
惚ける私は、父に背中を叩かれ「ハッ」と我に返った。
「あ、ど、どうも……はじめまして。えっと、津上翔介です」
「自分の名前を言うだけで、なぜ「えっと」が要るんだ」
「う、うるさいなっ」
父の揚げ足取りに顔を紅潮させながら、私はツッコミ返した。
呆れたように父は溜め息を吐いたが、光希嬢は「くすくす」と笑ってくれた。
少しだけ恥ずかしかったが、なんだかこそばゆくて私も思わず笑みを浮かべた。
そうして挨拶もそこそこに終え、私達はテーブルに着いた。光希嬢は私の前に座る。
ふと目があった瞬間、彼女は柔和な微笑を返してくれた。
こんなにも素敵な女性が私と見合いををしてくれるなど、こうして席に着いた今でも尚信じられない。
「……ん?」
と、その時。私は違和感を覚えた。
まさに完璧と呼ぶに相違ない彼女に、言葉に出来ない『ズレ』のような何かを…。




