第43話 05月04日【3】
「映画まで時間があるけど、どうしようか」
食事を終え、トレーを戻した後。私は3人に伺いを立てた。
時計の針は二本とも天辺を過ぎて、フードコートには人が増えてきた。
「あっ、わたし、新作映画のDVDを見に行きたいです」
お嬢ちゃんが、イの一番に手を上げた。
「貴女、本当に映画が好きなのね」
薬局王が呆れたような一言を反した。
恐らく悪気は無いのだろうが、お嬢ちゃんは見るからに消沈し、折角上げた手も申し訳なさそうに降ろした。
「すみませんでした……皆さんを付き合わせるのは申し訳ないから、わたし一人で行ってきます……映画が始まる前には、連絡しますからっ」
頭を下げたお嬢ちゃんは、そそくさと踵を返して早足に向かった。
「ちょっ、ちょっとお待ちなさい! こんな人の多い所で迷子にでもなったらどうするの? 誘拐されるかもしれないわよ!」
慌てた薬局王が、すぐさま追いかける。流石に誘拐は無いと思うが、この人混みの中でお嬢ちゃんを1人にさせるのは憚られる。
「わ、私も付いて行ってあげるわよ」
「えっ、本当ですかっ!? ありがとうございますっ!」
お嬢ちゃんは嬉しそうに笑うと、足取り緩めて薬局王と一緒にレコードショップへと向かった。
本当に仲が良いな。《《お嬢》》同士で気が合うのだろうか。
残された私と綾部さんは、黙って二人の背中を見送った。
「綾部さんはどうする?」
「特に用事などありませんが。事務長は如何なされるのですか」
「うーん、またご飯でも食べに行こうかな」
腹をさすって呟くと、綾部さんがジトリと奇異の視線を向けた。
「先程クレープを召し上がっておられたのでは」
「うん。でも朝ごはん食べてこなかったから」
「……そうですか」
もう一度フードコートに戻って、ハンバーガーでも食べようか。久しぶりにドーナツでも良いかな。
「あの、事務長…」
頭の中に食べたいものを巡らせていると、か細い声に思考を止められた。
「なに?」と振り向いてみれば、視線を下げてチラチラと落ち着かず、もどかしそうにする綾部さんの姿が。
「その………私も御一緒させて頂いても宜しいでしょうか?」
「え?」
「じつは、これほど人が多い場所は少々不安で…」
「あー、確かに。連休だから人多いよね。じゃあ一緒に行こう。僕もオッサンが一人でドーナツ食べるトコ見られるのは恥ずかしいし」
ニカッと歯を見せ笑ってみせれば、綾部さんは少しだけ恥ずかしそうに丁寧なお辞儀を返してくれた。
※※※
「今日はありがとうね、綾部さん」
ドーナツ店の小さなテーブルを挟んで向かい合う彼女に、私は唐突と礼を述べた。
「御礼を頂くようなことは、何もしておりませんが」
「薬局王に頼まれて来てくれたんでしょ? ごめんね、迷惑かけて」
「謝らないでください。元より予定などありませんでしたので」
綾部さんは、熱い珈琲に息を吹きかけた。
「遊びに行く約束とか、出掛ける用事とかは?」
「ありません」
言い切ると同時、珈琲を一口啜り静かにカップを置いた。
「事務長も御存じの通り、私は大学を中途退学しています。元より人付き合いは苦手でしたし、友人とも殆ど疎遠になりました。家族と呼べる者もおりませんので、帰省の必要もありません」
いつも通り冷静に語る彼女の姿が、私にはひどく寂しげに見えた。
――彼女の言葉通り、綾部さんは有名大学の薬学部を中退している。
在学中に御両親を事故で亡くされたからだ。
私立の薬学部はバカみたいに学費が高い。そのうえ彼女の通っていた学校は新進気鋭の大学で、アルバイトをする暇もないほど勉強や実習で忙しかったとか。
御家族を亡くされて精神的にも辛かった彼女が、退学という道を選んだのは当然だろう。
それからは御実家も手放して今のマンションに移り、ずっと一人暮らしをしているそうだ。引っ越し時の保証人など、細かいことは分からないけれど――
「休日はいつも独り時間を持て余していまますのね、今日お誘い頂けたのは幸いでした」
まるで他人事のよう。綾部さんはまだ熱い珈琲をチビリと飲んだ。
その姿と言葉が、私は堪らなく嫌だった。
「……綾部さん」
「はい」
「映画まで時間があるし、折角だから色々見て回らない?」
「え…?」
「うん、行こう! すぐ行こう!」
「あ、ちょ、事務長!?」
彼女が飲みかけていた珈琲も奪うように飲み干して、戸惑う綾部さんの手を取り、私たちはドーナツ店を後にした。