第20話 03月31日【3】
「――そんなことより、何しに来たんだよ」
「あ……そ、そうね!」
私の白衣から手を離した薬局長は「コホン」と一つわざとらしい咳をして、鋭くも真っ直ぐな瞳で私を見据えた。
「ヒルドイド(先発医薬品の商品名)の処方を、後発品に変――」
「無理」
「早いわよ! せめてもう少し思案なさい!」
「後発品のことなら父さんに言ってくれよ」
「無理よそんなの! 院長先生に対して恐れ多い……この間だって「考えておく」って言われただけで、取りつくシマも…」
「父さん、後発品あんま好きじゃないからな」
「だからアナタに頼むしかないのよ!」
唇尖らせ目線伏せる彼女の姿に、私も同情せざるを得なかった。あの頑固な父の首を縦に振らせるのは息子の私でも難しい。
だが父が頑なであるにも理由がある。
「”サエキング”だって知ってるだろ。去年、大手の後発メーカーがあんなことになって、父さんますます後発品のことを良く思わなくなったし、流通だって――」
「ちょ、ちょっと待って」
「なに?」
「なに、じゃないわ! なんなのよ、その『サエキング』って! 私の名前は佐江木よ!?」
先程までの萎れた姿とは裏腹に、薬局長はいつもの居丈高な態度に戻った。
「前に言ってたでしょ。『自分がこの薬局を日本一の調剤薬局チェーンにしてみせる』って。なんか”薬局王”みたいだなー、と思って」
「”薬局王”ってなに!? ……で、でも私の言ったことを、ちゃんと覚えていたのね。その点だけは褒めてあげるわ!」
フフンッ、と鼻を鳴らした薬局王は得意げに腕組みした。
「でも、そのニックネームはお止めなさい」
「じゃあ『キング』で」
「なんでそうなるのよ!」
「あ、ゴメン。ちょっと飲み物買ってくる」
「このタイミングで?!」
まだ3月だというのに日差しが強いせいか、喉が渇いてしまった。おまけに今日は昼食も摂っていなかったからな。
私がすぐ近くの自販機まで行くと、彼女も睨みを利かせながら後ろを付いてきた。
「呼び方云々言うなら薬局王も僕のこと苗字で呼びなよ。呼び捨てじゃなくて」
「院長先生も同じ苗字なのに、紛らわしいじゃない。というかアナタ、早速呼び方変えてきたわね」
私は小銭を投入して、気に入りのアイス珈琲のボタンを押した。
「じゃあ『事務長』とか」
「それも紛らわしいわ。ウチの薬局にも事務長が居るのに。なによアナタ、名前で呼ばれることに抵抗でもあるの?」
「だって、名前の呼び捨てだと夫婦みたいじゃん。それか恋人」
「ふ、夫婦…?!」
薬局長は顔を赤く染め上げた。冗談なのだから、そんなに怒らなくても良いだろう。
「そ、そういうことなら譲歩してあげるわ! そうね………しょ、『翔介さん』と呼んであげなくもないけれど?」
「あ、じゃあ今のままでいいです」
「なんでよ!」
「そもそも片っぽだけ名前呼びなのってのが変だろ」
憤る薬局長を他所に、私は買ったばかりの缶コーヒーで喉を潤した。
「な……ならアナタも私を名前で呼ぶことを許可するわ! これで御相子よね!? 光栄に思いなさい! いずれ日本一の調剤薬局チェーンの社長となる、この私をファーストネームで呼べ――」
「いえ、結構です」
「どうしてよ!?」
「恥ずかしいから」
一瞬、薬局長は呆然となったが、直後にはプルプルと肩を震わせ、
「お馬鹿っ!!」
何故か私を一括すると、薬局長は踵を返して肩で風切り薬局の方へ歩いた。
珈琲を飲み干した私は、再び自販機に小銭を投入しボタンを押した。
「薬局王!」
「……なによ」
薬局長はジト目で振り返った。
その彼女の手元に、今しがた購入したペットボトルを放る。
「こ、これは?」
受け止めた薬局長が、手にしたそれをまじまじと見つめた。
それは青と白のパッケージが鮮やかな、日本一有名な乳酸菌飲料。
「好きだろ、それ」
「お………覚えてたの?」
「とーぜん!」
「でも去年のコトよ? 私がアナタに、言ったの…」
「僕が薬局長の言ったこと、忘れるわけないでしょ」
ニッと笑ってみせれば、薬局長はようやくと怒りを鎮めて穏やかな顔つきに戻った。
良かった、なんとか機嫌を直してくれたようだ。
美味しいからな、カ〇ピスは。
「薬局もコロナとか報酬改定で大変だろうけどさ、お互い頑張ろうな!」
「あ………当たり前よ! こんなことくらいで、この私が挫けるわけじゃない! 必ずアナタに「うん」と言わせてみせるわ!」
カ〇ピスを高々と掲げて宣言すると、薬局長はモデルのように華麗な足取りで自分の薬局へと戻った。