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9、気付く



 綾乃さんとは別れたが、彼女の態度はバイト先で変わらなかった。

 いつも通りのシフト。挨拶もするし、他愛もない話もする。俺と付き合っていたことなどなかったかのようである。

 これは女性の恋は上書き保存、というやつだろうか。今まで通り、朗らかに笑っているのだ。


 対する俺の方はなぜかもやもやしている。

 今までだって彼女に同じように振られてきたのに、なんで今回だけこんなに湿っぽくなってしまうのか分からない。

 失礼だが、綾乃さんを過去の彼女と比較して特別好きだったかというと、別にそんなわけでもないのだ。



 学校ではなぜか、俺が彼女と別れたことは広まっていた。

 裕也に問われ、話したからかもしれない。

 フリーになった俺の元には何人かの女の子が告白しに来てくれたのだ。


 しかし、俺はどの子も丁重にお断りした。


 誰と付き合ったって結局長続きせず失望されるのだから、誰とも付き合わない方がよいだろう。

 その方が楽だし、面倒ごとを避けるなら初めからそうすべきだったのだ。



 そうして憂鬱な気分が続いていたある日。


 バイトでレジに入っていた俺の前に、委員長がやってきた。

 前回と同様にもう遅い時間。まただっさい格好をしている。大きすぎる真っ黒なダウンにデニム。

 今度は声を聞かずとも、彼女は俺に気付いていた。


「スマイルください」

「お店をお間違えのようですが」


 それでも一応、ギギギと音が鳴りそうな笑顔を向けると、彼女はふふふと笑った。


「ホットティーひとつください。幸村くん、その笑顔じゃあっちの店では働けないね」


 あっちの店とは、駅の反対側にあるスマイルが売りの最大手バーガーチェーン店であるが、俺があっちの店で働くはずないだろう。あっちは忙しすぎる。

 返事の代わりにしかめ面を向けてやったら、委員長は舌を出した。


「委員長は今日も妹のお迎え?」

「ううん、予約した本を買いに来たの」

「こんな夜じゃなくても……」

「帰りに寄るの忘れちゃって。で、我慢できないからちょっと読んで帰ろうと思って」


 もう上がりなのでまた送るというと、委員長は慌てた。しかし「絶対に待ってろ」と強めに言い、店内で待たせておいた。


 上がる時間になってから急いで着替えて店に入ると、委員長は前回と同様カウンター席に座り、ホットティーを飲みながら雑誌を読んでいた。


「なんの本を買ったの?」


 見せてくれたのはこの近隣のタウン誌だった。特集は『絶対食っとけ! 絶品ラーメン店!』。

 これは女子高生が予約してまで読む本なのだろうか。地元のサラリーマン向けではなかろうか……?


「ラーメン好きだね……」

「えっ、ラーメン好きって言ったっけ?」

「アイコンがラーメンじゃんよ」


 そういえばそうだね、と言って彼女はからからと笑った。

 少し前までは暗い顔をしていたのに、いつの間にかずいぶんと明るくなっている。しばらく直接話す機会がなかったが、時間を置いて失恋の傷は癒されたのだろうか。

 委員長の笑顔を見たら、俺の気分もわずかに浮上した。


 帰ろう、と声をかけて二人で店を出た。



 俺は自転車を押し、委員長は徒歩。

 本の入ったビニール袋がカシャカシャと鳴る。

 辺りは人通りも少なく、暗い。送ることにしてよかった。というか、危ないから夜に一人で出かけないで欲しい。そう言うと、「今日は特別だったから、もうしない」と約束した。

 しばらく無言で歩いていると、委員長が俺を見上げてきた。


「そういえば幸村くん、彼女と別れたらしいね」

「よくご存じで。振られたんですよ。委員長と一緒」

「私、振られてないけど!?」


 憤慨して拳を振り上げてきたので、笑って身を引いた。叩かれずに済んだ。


「でも委員長が意外と元気そうでよかった」

「まあ、そうだね。逆に幸村くんは最近元気ないね」

「なんかそうなんだよねー」

「幸村くんも振られると落ち込むものなんだね」

「いや、それよりも前から……、てか、いつからだっけ……」


 綾乃さんに振られる前から、なんかもやもやしていたような気がする。


 そう考えて、気付いた。

 俺の気鬱は、委員長が失恋してからだ。


 真柴センセが結婚したことが分かって、委員長が熱視線を発しなくなってから。

 彼女の失恋にひどく同情すると同時に、辛気臭さが移ってしまっていたのだ。そのことに気付いた。

 そして同時期に綾乃さんに振られ──。


 いかん、思い出したら滅入ってきた。

 委員長が「大丈夫?」と覗き込んでくるので、顔を上げた。

 こっちは感受性が豊かなので君の失恋を可哀想だなと思っていたんだぞ。なのに君は全然元気そうですね。


 女性は切り替えが早いということなんだろうか。

 委員長にとって、センセを好きだったのは過去のことなのだろうか。

 というか、人を好きになるとはどういうことなのだろうか。


 頭の中で禅問答が始まり、俺はうなだれた。


「……なんかさー、いつか好きな人が出来たらいいねとか彼女から言われて……、俺はよく分からなくなってきた」

「彼女さんのこと好きじゃなかったの?」

「俺は好きだと思ってたけど、方向性が違ったみたい」

「バンドの解散コメントみたい」


 茶化された。俺は結構真面目に、自分の中の空虚に見えない焦りを感じているというのに。


 なので、俺は試しに聞いてみることにした。

 人に恋するということについて。


「委員長はさー、人を好きなのってどんな感じだった?」

「え? そうだなあ……」


 彼女の瞳が空を彷徨う。誰のことを想像しているのか、聞かなくても分かった。


「なんか目で追っちゃって、その人のことばかり考えている感じ。それで自分のことも見て欲しいなあと思うっていうか……」

「はあ」


 だが、内容は分からん。

 首を傾げる俺に、彼女は続けた。


「好きな人が嬉しそうだったら自分も嬉しいし、好きな人が落ち込んでたら自分もなんか落ち込んじゃうんだよね。元気になってほしいと思うの」

「へっ?」


 「だから先生が結婚したの、嬉しいよ」という言葉は俺の頭の中をすり抜けた。


 委員長の言ったことを頭の中で反芻する。

 ついさっき、同じことを考えていた。


 すなわち。


 好きな人が落ち込んでたら自分も落ち込む。

 ――失恋でへこむ委員長につられて、鬱々としていた。


 好きな人を目で追ってしまい、その人のことばかり考えてしまう。

 ――センセに視線を向ける委員長を、ずっと見てしまっていた。彼女の恋の行方ばかり考えていた。


 好きな人に自分のことを見て欲しいなと思う。

 ――持久走大会の時、こっちに全然気付かない委員長にイラっとした。柄にもなくムキになって走ってしまった。


 過去の自分の行動を思い出し、途端に心がざわついた。

 可能性に気付いて、自転車を押す手を止める。


「えー……?」

「幸村くん?」


 覗き込んでくる委員長の丸い瞳と目が合って、どきりと心臓が跳ねた。



 ――マジか。




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