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7、恋心


 綾乃さんと付き合うようになってしばらく経った。


 普段はバイトでシフトが一緒になったり、休日は出かけたり綾乃さんのおうちにお邪魔したり。

 順調にお付き合いを続けている。


 綾乃さんはとてもお喋りが好きな人で、大抵は彼女が喋っているのをのんびりと俺は聞いている。バイト先での共通の話題や、綾乃さんの大学生活の話。


 彼女の通う大学は俺が志望校として考えているところではないけれども、大学生活の話を聞くのはとてもためになる。

 大学生、羨ましい。自由で、楽しそうで。

 綾乃さんの話には「レポートが大変」とか「一限早すぎる」とか愚痴も多いけど、でもそれも含めて羨ましい。




 その日、俺は綾乃さんとデートしていた。


 ゾンビが大量に出てきて人を食い荒らす系のパニック映画を観た俺たちは、映画館を出てぶらぶらしていた。


 この街はターミナル駅で、近隣地域の中では一番大きい駅だ。ショッピングやレストラン、オフィスの入る複合施設が駅前にあり、その周辺も飲食店が多く店を連ねている。


 俺たちがバイトしているバーガーショップもあり、店には入口から人があふれるほど行列が出来ていた。


「ここの店舗、繁盛してるね。うちとは大違い」

「ほんとだ。でも多分うちが暇すぎるんすよ」

「そうかも。居心地いいから潰れないといいなあ」


 どこかに入って昼食をと思ったが、正直なところ俺はパニック映画の影響で食欲がなかった。

 非常に情けないことだが、グロ映像は苦手だ。

 今日の映画は綾乃さんのリクエストだったけど、正直に「ちょっと無理です」と言えばよかった。


 俺がパニック映画で受けたダメージに気付いているのかいないのか、綾乃さんは「起きたの遅いから食欲ない」と言ってくれて、二人でコーヒーショップに入ることにした。

 綾乃さんがエッグノッグラテ、俺がチャイティー。


「紫苑くん、もしかしてコーヒー飲めない?」

「んー……、飲めません」

「可愛いね。映画も、苦手なもの付き合ってもらっちゃってごめんね」

「……すいません」


 やっぱりばれていた。

 格好悪くて項垂れると、くすくす笑った綾乃さんが頭をなでなでしてくれた。


「紫苑くんはさ、結構落ち着いて大人っぽく見えるけど、反対にすごく可愛らしいところがあるよね」

「それ、褒めてます?」


 じとりと目を向けると、また笑われる。


「いいなあ、若くて。私も高校生に戻りたい」

「俺は早く大学生になりたいっすけどねえ」

「高校生の方が絶対楽しいと思うよ。この間だってね──」


 綾乃さんの愚痴が始まったので、うんうんと頷きながら外に目を向けた。

 窓ガラスに自分たちの姿が写る。

 綾乃さんの綺麗に巻かれた茶色い髪。つやつや。対する俺の頭は少し色が落ちてパサパサ。


 伸びてきたから切らないとなあと思いながらチャイティーをすすると、窓の向こうに見覚えのある姿を見つけた。


 少し猫背でひょろりとした体、温和な笑顔。

 コートを着ているから分からないけど、いつもならあの下はVネックセーターだ。


「モブ柴」

「え?」


 人混みに紛れそうなセンセを腰を浮かせて目で追う。

 俺は唸った。真柴センセの隣には、彼と同年代くらいの大人の女性。

 あの温和な目は隣の女性を見つめ、手を繋いでいる。


 二人はそのまま雑踏に紛れていった。


「……マジかあ」

「どうしたの?」


 ため息をついて口元を押さえると、綾乃さんが心配そうに覗き込んできた。


「いや、知り合い見かけたんで。すみません」

「私の話、全然聞いてなかったでしょ」

「や、聞いてましたよ。ごめんなさい」


 謝りながらも、頭の隅では先ほど見た光景が蘇る。

 間違いなく、真柴センセが女の人とデートしていた。しかもかなり親密な様子。

 勝手に独身だと思っていたけど、実は既婚者だったのだろうか。


 考えていたが、自分に向けられた視線に気付いて、ぱっと顔を上げた。綾乃さんが口を尖らせてこちらを見ている。


「ご、ごめんなさい。ちょっと考え事してて……」

「いいよ、もう。あーあ、当分会えないのになあ」

「えっ、なにかあるんですか?」

「試験始まるし、終わったらサークルでスキー旅行に行くの。だからしばらく会えないよ」

「へえ……、映画見るサークルでしたっけ」


 綾乃さんが頷く。

 結構インドアっぽい映画研究会がスキー旅行に行くなんて、なんか少し意外だ。


「スキーいいですね。サークルって大人数なんですか?」

「そうでもないけど……、7割男子、3割女子って感じ」

「へー、楽しんできてくださいね」


 そう言うと、綾乃さんは曖昧に頷いた。不満げな顔。楽しみじゃないのだろうか。

 俺は首を捻って、チャイティーの残りを飲み干した。




 解散して、家に帰ってから俺はぼんやりしていた。

 真柴センセと彼女(仮)を見かけてしまったことについて、なぜだか落ち込んでしまった。


 ──委員長に告げるべきだろうか。


 彼女はセンセと進展を望んでいたわけではないけれども、センセに彼女(仮)がいることを知ったら傷付くだろう。

 しかし、早いとこ不毛な恋に区切りをつけてやるために、今見たことを伝えてやった方がよいのだろうか。分からない。


 好きな相手に好きな人がいることを知ったら、彼女はどう思うのだろう。悲しくて泣くだろうか。

 楽しそうにセンセについて話してくれたけど、きっともうそれを聞くこともなくなるだろう。


 そう考えると、なんだか自分のことのように胸が締め付けられる。

 彼女の恋心を知っているのは俺だけだ。

 委員長の失恋に、ひどく同情してしまっている自分がいた。



 ♢



 結局、休日に真柴センセとその彼女(仮)を見かけたことは、委員長には言わなかった。


 持久走大会の表彰状書き以来、接点はなかったし、メッセージのやりとりもしてない。

 彼女の恋に先がないのを知ってはいるが、それを告げるのは余計なお世話だろうと結論付けた。



 しかし、意外と早くに彼女の恋には終焉が訪れた。


 いつも通り、授業にやってきた真柴センセ。

 その左手の薬指には指輪が嵌まっていたのだ。


 俺はすぐに気付いた。

 今まではなかったはずだ。今日初めて、指輪を着けてきた。ということは先日の女性は結婚相手だったということだ。


 委員長を見ると、彼女もすぐ気付いたのだろう。

 呆気に取られたような顔。普段から白い顔が、今は青ざめているようにも見える。

 俺はぎゅっと唇を噛んだ。

 想像通り、彼女は傷付いている。その気持ちが分かった。


 しかし、クラスの他の連中は誰も気付いていないようだ。いや、気付いていても言わないだけかもしれない。言っちゃ悪いが、真柴センセは「モブ柴」である。

 授業が終わっても、誰もセンセの指輪を指摘しなかった。



 放課後。

 委員長に声をかけた。


「委員長、今日一緒帰ろ」


 一瞬、教室がざわつく。裕也の「えっ」という声が耳に入った。でも気にしない。


 委員長は少し驚いたような表情で俺を見上げた。

 しかし俺が今日誘った意味を分かったようだ。くしゃりと顔を歪ませる。おいこら、まだ泣くんじゃない。


 心の中で諌めつつ、「お詫びにアイス奢るからさ」と軽い口調ででまかせを言った。

 それで周りの奴らは「幸村が何か粗相をした」と判断したようだ。刺さっていた視線が散る。


 委員長は小さく頷いて、鞄を手に立ち上がった。




 帰り道の途中のコンビニで本当にアイスを買ってやり、店内のイートインスペースに並んで座った。外よりはかなり暖かい。


「はあぁー、部活サボっちゃった」

「あ、今日部活だったんだ?」

「うん、でも出てもまともに出来ないだろうからどうしようかと思ってたの。幸村くんが誘ってくれてよかった」


 俺はソーダアイス、委員長はしゃりしゃり氷のカップアイス。シールをペリペリと剥がし、木のスプーンで突いている。随分と固そうだ。

 俺はアイスを口にして「さすがに寒ぃ」と呟いたが、委員長はしばらく無言で、氷に穴を開けることに没頭していた。


「……委員長はセンセが結婚すること知らなかったんだね」

「知らなかったなぁ。ま、そりゃ別に生徒に言ったりしないよね」

「……」

「先生、素敵だもん。結婚もするよね。おめでたいことだ」


 シャリシャリシャリ。

 委員長が氷を削る音がやけに頭に響く。

 言いながら、彼女の声は震えていた。


「分かってたけど、実際こうなるとなんか衝撃が大きいっていうか、やばいっていうか……」

「うん」

「ショックなのかな……」


 また黙ってしまった。泣いているのかと思ったけど、委員長はぎゅっと眉を寄せ、氷を削る。

 シャリシャリシャリ。

 俺は思い切って問いかけた。


「告白しちゃえば」

「え?」

「気持ちがさ、このまま行き場がなくもやもやしたまま終わるのってなんか嫌じゃん。玉砕だけどさ、告白したらスッキリするんじゃん?」


 ぶっきらぼうな言い方になってしまったけど、俺はやっぱり初めからそう思ってた。告白すべきだと。委員長のあの熱量が霧散するのが気に食わない。

 だが、彼女は首を横に振った。


「しないよ」

「なんで」

「なんでも」


 強がっている。俺にはそう見えた。

 そしてそれが究極に可哀想に思えて、完全な部外者の俺の方が、なんだか切なかった。


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