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6、カウントダウン


 持久走大会から数日後。俺はまた書道部に来ていた。


 書道室は各人の机が一定の距離を空けて置かれていて、皆それぞれ離れたところで作業している。

 今日は書道部員に持久走大会の賞状に名入れをしてもらっているのだ。表彰式は後日、全校集会で行われる予定である。


 俺は委員長が書いているすぐそばでその作業を眺めていた。


「……幸村くん、そんなに見られていると全然集中して書けない」

「この間は俺のこと無視して横断幕書いてたじゃん」


 委員長が作業している低い机に頬杖をついて見つめていたが、注意されて目を逸らした。

 名前が入れられた賞状は、空中に張られている紐に洗濯ばさみで吊らされている。墨が乾くまでだそうだ。


 入賞者は男女合わせて二十名。その中には俺の名もある。

 今日の書道部は委員長ともう一人の女子しか来ていないので、委員長は男子、もう一人の部員は女子の賞状を担当してもらった。


 部屋の隅の少し広めの机では、真柴センセがパソコンを叩いていた。書道部とは関係ない仕事のようで、書類をめくりながら何かを打ち込んでいる。

 手は動いているが、キーボードの打音はほとんど聞こえない。センセは見た目通り、キーボードにも優しいらしい。

 なお余談だが、俺はキーボードのエンターキー壊しちゃうくらいの強打派。



「幸村くん、こっち出来たよ」

「はーい」


 女子入賞者を記載していた部員に呼ばれ、委員長の机を離れる。

 十名分の名入れはさっさと終わってしまったようだ。書道部は委員長以外は経験者がほとんど。

 委員長はきっちり下書きをして注意深く筆でなぞっているが、まだ六名分を書き終えたところである。


 女子部員から名簿を回収して委員長の席に戻ると、彼女は手を止めてほけーっと真柴センセを見つめていた。筆を(すずり)に置き、そのまま手を止めてしまったようだ。

 おいおい。部活中だというのに、うっとり視線だぞ。


 俺は委員長の目の前にずい、とカットインした。

 急に視線を遮られて、彼女は驚いたのかびくりと肩を震わせた。


「委員長、見つめるのもいいけどこっちの作業もやってね」

「えっ」


 小声で指摘すると、見つめていたことに自分で気付いていなかったかのように目を瞬いている。

 仕方ない。ため息をついて体を横にずらし、視界を戻してやった。


「あと五秒だけ見てるの許す、……五、四、三」

「か、書きます、書きます」


 慌てて手元の賞状に視線を戻し、委員長は作業を再開した。

 あと二秒見ていたってよかったのに。でもその慌てっぷりがちょっと可笑しくて笑う。


 指摘したことが恥ずかしかったのか、それからはしばらく集中して書いていた。

 最後、十人目は俺の名前。


「俺のは特に綺麗に書いてね」


 茶化すように言えば、委員長はいたずらっぽく笑って俺に目をやった。


「え、幸村くんのなら適当でいっかって思ったとこなのに」

「ひどくない?」


 適当でいっか、と言ったわりには、結構慎重に下書きしてくれている。俺の名前が書きづらいというのもあるかもしれないが。『幸村紫苑(ゆきむらしおん)』画数も多いし、筆で書くのは大変だろう。


「幸村くんの名前って主人公みたいだよね」

「よく言われる。名前負けしてる?」

「ううん、見た目もそんな感じ」

「それはどうも」


 鉛筆で書かれた線を真っ黒の墨が上書きしていく。俺じゃない他の人が筆で書くその文字はなんだか特別感があって、俺の名前じゃないみたいに見えた。


 委員長はゆっくりと丁寧に書き終えた。

 ふーっと息をつき、筆を置く。

 出来栄えはよかったのか、賞状を手にして「うん」と頷いた。


「幸村紫苑くん」

「え、はい」

「あなたは校内持久走大会で優秀な成績をおさめました。よってここに賞します。はい、どうぞ」


 くるりと賞状の向きを変え、手渡される。


「あ、りがと……ございま」

「あ、干さなきゃ」


 受け取ろうとしたところで賞状は俺の手からするりと抜け、天井の紐にあっさり吊るされた。哀れ。

 でも、今のはなんだかちょっと嬉しかった。一足早い表彰式だ。


 委員長の頭上で、万国旗のように賞状が揺れる。彼女は自分の書いた字を眺めて満足そうだった。


「幸村くん、持久走だるそうとか言っちゃったけど、本当はとても好きだったんだね」

「え、別に好きではない」

「そうなの? 頑張ってたでしょ。ラストスパートで二人抜いてたのすごかったよ」


 驚いて、座ったまま委員長を見上げた。


「見てたんだ?」

「見てたよって言ったじゃん。皆がきゃあきゃあ言ってたし、あのラストの競り合いは注目されてた」

「あ、そうすか」


 真柴センセたち書道部の面々と喋っていて、全然こちらのことなんか見ていないと思っていた。

 だからもやっとしたわけだが、しかしあのラストの全力疾走を見られていたと分かると、それはそれでちょっと恥ずかしいような気にもなる。


「俺は持久走とか嫌だからさっさと終わらせたくて走ったんだけど、でも去年は入賞出来なかったし、今年入賞出来てよかったかも。来年はないし」

「そうだよね! 来年はもう持久走ないんだ。嬉しい~!」

「代わりに受験があるわけですが」

「ソウデスネ……」


 持久走大会と受験、どっちもあまり嬉しくない。いや、受験が最重要イベントであるのは分かるのだけれども。


 委員長は今日はもう部活を終えて帰ると言い、書道道具を片付けた。

 委員長が帰る雰囲気を出したことで、残る女子部員と真柴センセもおしまいにするか、という空気になり、本日の書道部は解散となった。ゆるい部活である。


 俺も賞状を回収に来るのは明日にして、委員長と一緒に帰ることにした。




 先日一緒に帰った道をまた一緒に通る。まだ明るいが今日はコンビニには寄らず、そのまま駅に向かう。


「委員長は大学どこに行くの?」


 話題もないので先ほどの続きの話を振ってみた。

 俺の高校は特別進学校というわけでもないけれど、ほとんどの生徒は大学進学だ。それなりに都会なので通える範囲に大学はたくさんある。

 俺の質問に、委員長はうーん、と首を傾けた。


「まだはっきり決めてないけど、家から通えるところ」


 彼女が挙げた複数の大学名は、確かに通える範囲の場所だ。そしてその中には俺が候補に考えている大学もあった。


「卒業しても家を出ないんだ?」

「まだ妹が小学生だし、一人暮らしするとなるとお金かかるもんね。幸村くんは?」

「この辺便利だからあんまり遠くに行きたくはないけど、でも家は出たい」


 俺の言葉に委員長は薄く笑った。

 それから志望学部を聞いたら、なんと彼女は理系希望だという。


「えっ! 委員長、理系なの!?」

「そのつもりだけど」

「意外……。めっちゃ文系っぽいじゃん……、書道部だし」

「部活は友達に誘われただけなんだってば」


 外見だけで文系、理系と分かるわけではないけれども、委員長の雰囲気は完全に文系っぽい。

 

「じゃあ真柴センセの授業受けるのも今年で最後かもね」

「そうなのだよぉ」


 心底残念そうに肩を落とす。もう俺の前では恋心を隠す気は全くないらしい。

 まあ、話さなくても分かる。

 あれだけ熱烈な視線を向けているのを俺は知っている。いまさら隠されても意味ないし。


 隣を歩く委員長に目をやると、夕陽に当たった頬が橙色に染まっていて綺麗だった。

 頭の中でセンセのことを考えているのだろうか。

 憂いを帯びた顔、甘いため息。


「……委員長に前、なんでセンセのこと好きなのって聞いちゃったけど、今なら分かる気がする」

「ん?」


 こちらを向いた彼女と目が合う。眼鏡越しでも瞳がきらきらしていて、一瞬どきりとした。


 恋をしている女子は綺麗になると聞いたことがあるが、それは本当なのかもしれない。

 そして同時に、俺自身はここまで恋に没頭したことがないかもしれないという疑念が頭の隅にふつりと沸いた。

 一瞬、胸の中にぞわりと黒いもやが滲む。

 自分の中の空虚に触れてしまったような気がして、慌てて顔を戻した。


「……センセって穏やかで優しいじゃん。だからなのかなーって」

「そうだよ。大人で落ち着いていて、包容力があって、一人一人のこと見てくれている。担任じゃないのに、進路相談にも乗ってくれるし。ま、確かに冴えないけどね」

「ごめんって」


 以前揶揄したことを皮肉気に指摘され、肩を竦める。謝る俺に、委員長は詰め寄ってきた。


「幸村くんはセンセのこと好きになっちゃだめだからね」

「なに言ってんの、ならないよ」


 冗談だったらしい。委員長はわざとらしく「よかったー」と笑った。


「でもさ委員長、せっかくだから告白すればいいのに」

「出来ないなあ」


 やっぱり出来ないらしい。

 それは彼女の中の勇気の問題なのか、それとも良識の問題なのかは聞かなかった。



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