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4、書道部


 俺は、丸めた巨大な紙を抱えて書道部に向かっていた。

 今日は体育委員会の日。そう。俺は帰宅部だが、体育委員なのだ。


 学内にはいくつかの委員会があり、クラスから何人かが選抜されて仕事を行わなければならない。

 暗黙の了解で、部活をやっていないやつが委員会をやれよというような空気になっている。そして俺は帰宅部。美化委員とか風紀委員とか面倒なのはごめんなので、立候補して体育委員になったのだ。


 といったって、やるべきことは大してない。

 体育祭と持久走大会といったイベントの準備くらいのものだ。今は冬の持久走大会が近付いており、俺は委員会に出ていた。


 持久走大会は全員参加。近隣の運動公園のスタジアムをスタートし、公園内の周回コースを男子七キロ、女子五キロ走る。割と大きなイベントだ。

 

 その準備として俺が任されてしまったのが、横断幕である。「第〇〇回 全校持久走大会」と書道部に書いてもらってきてくれと、バカでかい紙を押し付けられてしまった。

 毎年書道部に書いてもらっているという。すでに話も通してあるからと。



 書道部が使っている部室は、書道室。授業でも使ったことのある部屋だ。

 外から一段高くなったその部屋は全面が畳で、上履きを脱いで上がる。部屋の天井付近には紐が巡らされていて、作品が干されているのだ。


 部室の扉をそーっと開いて中を窺うと、男子一名、女子四名が低い机に並んで書道をしていた。その中に委員長。ところどころ墨で汚れたエプロンを着けている。

 顧問である真柴センセは委員長の隣の女子に指導していた。いつも通りのシャツにVネックセーター。委員長は非常に真剣な顔で文字を書いているけど、あれ、楽しいんだろうか。


 指導を終えた真柴センセはそのまま委員長に目を向け、彼女になにか言葉をかけた。

 委員長がぱっと顔を上げて、センセの言葉にうんうんと頷いている。瞳は釘付け。教室での視線と一緒。


 センセは委員長の筆を手に取り、お手本だろうか、別の半紙に書きながら話している。その間も委員長はセンセの顔をチラチラ見ている。

 こらこら、文字を見ろ、文字を。にやけないよう耐えている表情であることが丸わかりだぞ。


 指導を終えたセンセは腰を上げ、次の生徒の元に行った。

 そして今センセが触っていた自分の筆を大事そうに持ち直す委員長。嬉しそうで何より。だがその顔、教室で他の男に向ける顔と違いすぎる。


「おや、なにか?」


 真柴センセに気付かれ、俺は自分の仕事を思い出した。

 扉をがらがらと開けると、部員の目が一斉にこちらに向く。委員長は俺に驚いたように目を丸くした。


「あの、持久走大会の横断幕を書いて欲しいんですけど」

「ああ、聞いてる聞いてる」


 よいしょ、と立ち上がったセンセに手招きされ、上履きを脱いで上がった。持ってきた紙を布の上に広げ、しわを伸ばす。部員たちが集まってきた。


「例年通り?」

「そう聞いてるんすけど、先生が書くんですか?」

「ううん。部員の一人が代表して書くんだ」


 先生が部員を見回し、穏やかな声で「今年は誰が書く?」と言った。部員たちが恥ずかしそうに俯き、センセは可愛いものを見たようにふふふと微笑んだ。


 それを見て、俺はちょっと分かった気がした。委員長がセンセを好きなところ。ひょっとすると、この優しそうで温和な感じがいいのかもしれない。

 一方的に授業を聞いているだけでは分からなかったが、センセは落ち着いた大人だ。当然だけど。

 ひょろひょろしてるわりに包容力ありそうな感じがいいのかも。少なくとも、俺たちクラスの男子とは違う。


 部員の皆が目配せで牽制し合う中、委員長だけが上目でセンセを見つめている。

 その様子に俺はなんかもやっとして、ちょっと意地悪してやろうかなという気になった。


「誰でもいいなら浅利さん書いてよ」

「はっ!?」

「ああ、いいかもね」


 ぎょっとして目を剥いた委員長だが、真柴センセは頷いた。


「浅利さんはまだ行事物を一人で扱ったことないよね? せっかくだしやってみたらどうかな」

「えっ、ちょ……、幸村くん、なんで私……」

「同じクラスだけど委員長の字、見たことないなーと思って」


 他の部員も特に異論ないようで、うんうんと頷いている。

 委員長は非常にうろたえ、あーとかうーとか言っていたが、センセに「練習すれば大丈夫だよ」と言われ、最終的には納得した。


「これ、期限いつまで?」

「本番まででいいんじゃないの? 紙はまだあるし、失敗しても大丈夫だよ」

「ちょっと幸村くん連絡先教えて。新たな紙が欲しくなったら連絡するから」


 どんだけ失敗するつもりなんだよと思いつつも、委員長とメッセージアプリの交換をした。

 ラーメンの写真のアイコンと、俺の設定デフォルトのアイコン。ていうかなんでラーメンなんだよ。


 とりあえず用事を済ませた俺は、よろしくと告げて書道室を出た。



 ♢



 その日の夜、ベッドに寝転がって綾乃さんとメッセージのやり取りをしていると、急に見慣れぬアイコンがポップアップで現れて驚いた。

 ラーメンの写真のアイコン。委員長だ。早速なにごとだと慌ててタップする。


『全然うまく書ける気がしない。なぜ私を指名した』


「んっふふ」


 思わず笑いが漏れる。困りごとかと思いきや、恨みのメッセージであった。

 すぐに返信。


『持久走の横断幕なんて誰も見ないから気楽に書けばいいじゃん』

『そういう問題じゃない』

『委員長的にはセンセに教えてもらう時間が増えてハッピーじゃん?』


 間髪入れず、猫が憤怒しているスタンプが送られてきた。また笑ってしまう。しかしまたすぐにメッセージ。


『でも確かにそれはある。ありがとう。頑張る』


 意外にも、感謝されてしまった。プレッシャーのかかる仕事は嫌だけど、真柴センセと接する時間が増えるのは嬉しいらしい。恋に正直な女の子、大変よろしい。


 俺は頑張れ、とスタンプを送った。



 それから委員長はかなり練習を重ねたようだった。

 始めのうちは小さい半紙で文字を練習していたようだ。委員長からは時折メッセージで進捗(愚痴?)が来た。


 聞けば、委員長は書道を始めたのは高校に入ってかららしい。そもそも彼女は左利きで、右手で書く毛筆は難しいんだそうだ。

 だがなぜ書道部を選んだのかというと、友達に誘われたからという安直な理由。真柴センセを追いかけたためではなかった。


 書道部として学校行事に協力する機会はわりとある。しかし委員長は書道の経験が浅いこともあり、あまり参加してこなかったという。

 入部してもうすぐ二年。愚痴を吐きながらも、メッセージ上では意外と楽しんでいるように見えた。からかった通り、センセとの接点が増えたのかもしれない。



 持久走大会の三日前、委員長からメッセージが届いた。


『明日、本番用の紙に書くけど見に来る? 念のため、予備の紙もあれば欲しい』


 お誘いではなく、おつかいだ。

 次の日、俺は予備の紙を持って、また書道部に行った。


「こんちはー」


 今度は遠慮なく書道室に入ると、物々しい雰囲気に包まれていた。

 緊張した面持ちの委員長。それを見守る部員。少し離れたところから見守る真柴センセ。

 持久走大会の横断幕を作るだけなのに、戦いに出るような空気ではないか。


「委員長、これ予備の紙持ってきた」


 無視。

 委員長は、はっと息を吐くと、膝をついて筆を取った。大変真剣な顔で、慎重に、丁寧に筆に墨をつける。それからゆっくりと長方形の紙に文字を書いていった。


 わずかな時間、皆、静かに見守っていた。俺も。


 委員長が筆を置き、ほーっと肩の力を抜く。部員が寄って行ったので、俺も見に行く。センセも覗き込んで、微笑んだ。


「浅利さん、とてもいいと思うよ」


 委員長は、とても嬉しそうにはにかんだ。その顔を見て俺も頬が緩んだ。


「予備の紙、必要なかったね」

「大きい紙は結構高いんだよ。無駄にしなくてよかった。幸村くん、これどこに保管しておく?」

「書道部に置いておける? 当日取りに来るから」


 書道部員たちが委員長の書いた作品の周りに集まってきて講評を始めた。委員長もまだ興奮した面持ちで意見を交換している。

 俺は声をかけず、部室を出た。



 その日の夜、委員長からメッセージが来た。


『今日はありがとう。横断幕作るくらい大したことじゃないかもしれないけど、私にとってはとてもよい経験でした』


 なんだかほっこりして、しばらくその文章を眺めた。

 教室では不愛想に見えるのに、距離が近付いて思った。

 意外と彼女は表情豊かだ。いや、違うかも。これまで接点がなくて知らなかっただけで、元からそうなのかもしれない。


 怒って、笑って、恥ずかしがって。きちんと礼を言い、悪いと思ったら謝る。なんだか、素直。

 今まで接してきた女の子たちは、ひどく距離感が近いか、反対に、話しかけてももじもじして距離を取られるかのどちらかが多かった。


 委員長のように、異性から()()に接されるのは少し新鮮である。でも全然嫌な気分じゃない。


 俺は少し考えて、一言『お疲れさまー』とだけ返信した。



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