21、視線の先、カウントダウン
それからも、彼女は毎日素敵な髪型で登校してきた。
俺は毎日それを後ろの席からぼんやりと愛でる。
用事があれば会話するが、雑談はなし。ラーメンのアイコンも俺のスマホに表示されない。
関係性は変わらない。
果歩の言っていたことを真に受けなくてよかった。
やっぱり浅利さんは受験を控えての気晴らしか、あるいは俺ではない他に好きなやつが出来て、おしゃれを楽しむようになったのだろうと俺は結論付けた。
まもなく夏休み。
今日の彼女はここ最近では珍しいポニーテールだが、結び目には白のシュシュ。
授業中、目の前の後頭部を眺めながら、彼女の夏休みを想像した。
浅利さんは真面目だから勉強がメインだろうけど、多少は遊びにも行くだろう。制服姿でもおしゃれを楽しんでいるんだから、きっと私服だって可愛いに違いない。
俺と遊びに行ったときは謎のライオンシャツだったけど、果歩プロデュースならまともな服を選ぶはずだ。
勉強して、部活して、ラーメン王国行って、祭りに行って、花火して――。
おしゃれした浅利さんとデートできる男いいなー、浴衣いいなー、と架空の彼氏に激しく嫉妬しながらシュシュのふわふわを眺めていたら、チャイムが鳴って本日最後の授業が終わった。
先生が出て行って急に周りが騒がしくなり、皆、帰る準備を始めた。浅利さんも荷物を鞄に詰めている。
俺もいつも通り図書室に行こうかと荷物を片付けていたら、裕也からへらりと話しかけられた。
「紫苑、夏休みフットサルしよーぜ」
「フットサル?」
浅利さんの夏休みの予定を勝手に想像していたけれど、自分の夏休みの予定は大してなかった。
受験生で遠出もしないし、部活もないし、バイトに少し出るくらいであとは勉強。遊びの予定はなにもない。
そういえばここ最近は体を動かせていない。たまにはフットサルいいなと思ったけど、真夏にあのビルの屋上はちょっと、どうだろう。
「暑くね……?」
「実は屋内フットサル場を見つけた。申し込めば試合も出来るらしい」
「へー、屋内」
屋内なら、久々の運動でへろへろになっても暑さでダウンすることはなさそうだ。
「どうよ。俺の彼女も友達連れて応援しに来てくれるって」
「お前、彼女にいいとこ見せたいだけじゃん」
「当たり前じゃん」
裕也は得意げに胸を張った。こいつの行動の動機はほとんどが彼女に由来しているのだ。なんだかあまりにも大っぴらに幸せそうなので、毒づく気もなくなる。
「あと彼女の友達で紫苑に興味ある子がいるらしくて、その子も見に来たいって。勉強の息抜きにちょっとやろうぜ」
「あー、うん、そうだな」
後輩女子はともかくとして、受験勉強の息抜きにフットサルやるのいいなと思って返事したら、裕也は日時を連絡すると言って帰って行った。
まあ勉強ばかりじゃ体もなまる。せっかく高校最後の夏休みなのだ。遊べるときに遊んでおかないと。
俺も鞄を肩にかけ、教室を出たところで。
「幸村くん」
久しぶりにかけられた声に、どきりとして足を止めた。しかしずいぶんと硬い声。
振り返れば、怒ったような顔をした浅利さんが仁王立ちしていた。
えっ、怖い怖い。俺、なにかしたっけ? 久しぶりに話しかけられた嬉しさよりも、恐怖の方が勝り、若干身構える。
「な、なんでしょう……」
「ちょっと言いたいことがあるんだけど」
「はい……」
「来て」
俺を追い越して、浅利さんはずんずんと廊下を進んだ。慌ててその背を追う。
前にもこんなことあった。真柴センセの件で互いに謝った時だ。
あの時と同じ、廊下の隅に来たところで彼女はくるりと振り向いた。ポニーテールが勢いよく舞う。
「…………」
「…………浅利さん?」
向き合った形になったものの、浅利さんは逡巡するように俯き、なかなか発言しない。
マジでどうしたと思って顔を覗き込むと、ようやく小さく呟いた。
「……付き合うの?」
「え?」
「後輩の子と……」
「え? なんの話?」
再度問い返すと、彼女は顔を上げて、こちらを睨みつけてきた。
「さっき、聞こえちゃったの。後輩の女の子から興味を持たれてるって。その子と付き合うの?」
ようやく、裕也との会話を指していることに気が付いた。
え、俺のこと気にしてくれてる? ちょっと嬉しくなったものの、平静を装って首を横に振った。
「付き合わないよ。ていうか会ったこともないし」
「その子から好きって言われたら?」
「えー……?」
会ったこともない子との仮の話を出されて、俺はよく分からず首を捻った。浅利さんは眉を寄せたまま。
ひょっとして、俺は叱られるのだろうか。相変わらず女の子と偽善的な付き合いをしていると思われていて、それを咎められる?
そう考えたら、浮付いた気持ちが一気に沈んだ。
そもそも、なぜ浅利さんに怒られなければならないんだ。俺のことなど全然興味ないくせに。
「……なんにしても、浅利さんには関係なくない?」
「ある」
「ないよね」
小さく一つため息をついて浅利さんを見ると、彼女は意を決したように見つめ返してきた。
それがあまりにも真剣な眼差しだったので、俺は一瞬息が止まった。
「待っててほしいの」
「え?」
「幸村くんが好きって言ってくれて考えたの。私も幸村くんのこと好き」
その言葉に、固まった。
「幸村くんの言葉を疑うようなこと言って本当にごめんなさい。あの時は驚いて、よくないことを言ったって反省してる」
俺が告白した時のことだろう。
『幸村くんは自分を好きな人を好きって言ってなかった?』という、動揺の言葉。
「正直、今まで意識してなかったの。でもあれから幸村くんのこと急にどきどきするようになっちゃって」
「…………」
「ただ、少し前まで先生の話してたし、急に好きだって気付いたと言っても信じてもらえないだろうし、虫が良いって思われるんじゃないかと思って……」
唖然としたままの俺をよそに、彼女は続けた。
きらきらの瞳と上気した頬から、彼女がどきどきしていることが伝わる。
でも俺の方が、きっともっとどきどきしている。
「ていうか私、そもそも幸村くんの過去の彼女と比べて全然違うっていうか、だめなんじゃないかと思って、それで」
「それで髪型変えたりしてたの?」
途中で言葉をかぶせるように言えば、浅利さんは小さく頷いた。
やばい。めちゃくちゃ胸が熱くなって、俺はシャツの真ん中を掴んだ。鼓動を打つ心臓が口から出そう。
俺がぽろりと告白した瞬間は唖然としていた浅利さんだけど、俺の言葉を真正面から受け止めてくれていた。そして、考えてくれた。
センセにも気持ちを伝えなかった彼女が、俺には勇気を出してくれている。それがとてつもなく嬉しい。心が熱くなって動けない。
「幸村くんとおしゃべりするのすごく楽しくて、でも気まずくなっちゃって悲しくて……、こんなこと言うのおかしいって分かってるんだけど、でも考えて欲しいっていうか、待ってて欲しいっていうか」
「やだ」
「え?」
「待たない」
困惑したような、少しがっかりしたような目を向けられる。
そういう意味じゃない。俺はシャツを握っていた手を伸ばし、彼女の頭の真っ白のシュシュにそっと触れた。
「今までの浅利さんもすごい可愛いし、今の浅利さんもめちゃくちゃ可愛いし、好き。だから待たない」
そのまま手を滑らせて髪に触れたかったけど、やめた。
少しかがんでうつむき気味の顔を覗き込むと、彼女は上目で見つめ返してきた。
「彼女になってくれる?」
「いいの……?」
「もちろん。むしろ俺でもいい? こんなんだけど」
いつか苦言を呈されたピアスを指で示せば、彼女はくすりと笑って頷いた。
♢
晴れて恋人同士になったものの、俺と浅利さんの関係性はあまり変わらなかった。
受験生なのだ。大っぴらに遊びに行けないし、メッセージのやり取りばかりしているわけにもいかない。
放課後、教室や図書室で一緒に勉強したり、駅まで一緒に帰ったり、夜寝る前少しだけメッセージを交わす程度だ。
それでも、ただ見ていただけの頃よりずっといい。
新しい関係性にぎこちない雰囲気になることはあるけれども、普通に話が出来るようになったことがとても嬉しい。
しかしながら、浅利さんの視線に晒されるのはまだ慣れない。
彼女が好きなものを凝視し愛でることは知っていたが、それが自分に向けられると非常に落ち付かない気分になる。
視線を向けてくれないかなとずっと思っていたのに、現金なものだと自分でも思う。
「……すげえ見るね」
「あ、ごめん」
放課後。
茜色の陽が入る教室で二人きり。
机をくっつけて向かい合い勉強しているものの、浅利さんの手は時々止まる。全然勉強に集中できていないことが丸わかりだ。
俺は手を動かしながらも、ちらりと視線を向けた。
ポニーテールの髪は夕陽に照らされて淡い色。眼鏡の向こうの真ん丸の瞳は俺のことを見ている。
「あんま見られると緊張するんだけど」
「幸村くんも緊張することあるの? 意外」
「するでしょ、普通に」
「面白いね」
不貞腐れたように言えば、くすくすと笑われた。手を完全に止め、休憩モードになってしまっている。
くそう。こいつは俺が動揺するかどうかなんてお構いなしだ。
俺が告白してからどきどきするようになったとか言っていたくせに、いざ付き合い始めて距離が近くなると、結局俺の方がどきどきさせられている。
なんだか悔しくて、俺も手を止めた。
それからじぃっと見つめ返してやれば、彼女はきょとんと目を丸くした。
――そっちも、動揺すればいいさ。
「鑑賞代として、五秒後にキスを要求する」
「え?」
「五、四、三」
「ま、待っ」
ゼロになるまで待てなかった。
《 おしまい 》




