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19、好きだから


「俺、好きなんだよね。浅利さんのこと」


 彼女はぽかんとした顔でフリーズした。


 冗談としては受け取らなかったらしい。きっと、俺が真剣なトーンで言ったからだ。

 驚いた丸い瞳と、数秒見つめ合う。

 ――が、俺の方が先に視線を外したことで、浅利さんは目を瞬いた。


「……好きだから……?」

「そう」

「そ、それは……」

「浅利さん、前に怒ったじゃん。俺がセンセのことからかったとき。好きなもの貶されたらいやな気分になるって、あれ、意味がよく分かった」


 思い出したのだろう。彼女は混乱したように揺れる瞳で俺を見つめてくる。

 それから、おずおずと口を開いた。



「……幸村くんは、自分を好きな人を好きだって言ってなかった……?」



 その言葉に、俺はぐさりと刺されたように胸が痛んだ。


 言外にあるのは、『私は幸村くんのこと好きじゃないのに?』という意味だからだ。


 彼女の言う通り、確かに俺は以前言った。「幸村くんは彼女になった子のこと、好きじゃないの?」と問われ、「俺のこと好きって言ってくれる子のこと、好き」と返したことがある。


 当時はそうだった。告白してくれた女の子が頑張ってくれたことに報いたいとか偽善的なことを考え、付き合い、そして長続きせず別れていた。

 でも浅利さんへの気持ちは全然違う。彼女が俺に興味ないことを知っていたけど、一方的な片思いをしていた。


 さらに今の浅利さんの言葉で、彼女が俺を意識していなかった理由が分かった。

 俺が過去に『俺のこと好きって言ってくれる人を好き』って言っていたから、全く恋愛対象にならなかったのだろう。


 浅利さんは俺を好きじゃないから、俺に好かれることはない。俺たちの間に恋愛感情が生まれるという可能性はハナから排除していたということだ。



 途端に虚しくなって、俺は大きく息を吐いて肩を落とした。

 自業自得だ。浅はかだった過去の自分が悪い。


「……そうだよねー」

「幸村くん……」

「俺みたいのが突然おかしなこと言ってごめんね」


 へらりと言って笑えば、浅利さんは困惑したように眉を寄せた。


「今の忘れて。困らせてごめん、部活頑張って」



 返事を聞かず、踵を返した。

 そのまま早足で廊下を進み、一段飛ばしで階段を駆け下りる。


 昇降口から出ようとしたところで、本降りの雨。しかもロッカーに折りたたみ傘を忘れたことに気付いた。だがもうそのまま足を踏み出す。

 校門を出るところで石畳に躓き、その拍子に門扉にしたたかに体を打ち付けた。


「痛ってー……」


 もう散々だ。

 好きな子に振られ、雨に降られ、体をぶつけ。


 好きだなんて言うんじゃなかった。

 きっともう浅利さんと元の関係には戻れない。せっかく仲良くなったのに、俺のさっきの一言で台無しになってしまった。


 同時に、俺が過去に浅利さんに「真柴センセに告白すればいいのに」と安易に言っていたことを思い出し、また自己嫌悪。

 彼女も同じ気持ちだったに違いない。告白することで関係性が変わってしまうことを恐れたのだろう。

 俺は告白しない彼女をじれったく思っていたけど、当人の気持ちに今になって気付いた。


「ああ……もう嫌だ……」


 独りごちて。

 雨の中、とぼとぼと帰った。 



 ♢



 それから浅利さんとは話すことがなくなった。


 今までは席が前後しているので、休み時間に少し会話するくらいのことはあった。授業のことだったりラーメンのことだったり。そんなわずかなやり取りもなくなってしまった。


 朝来て、きごちなく「おはよう」とは言ってくれる。しかしそれ以降、彼女が後ろを振り返ることはない。


 俺は彼女を見つめるだけの日々に戻ってしまった。

 しかも昨年は真柴センセを見つめる顔を見られていたけど、今は揺れないポニーテールを見つめるだけだ。

 そもそも共通の話題はほとんどなかったのだ。

 だから親しくなる前に戻っただけだと思えばいいのだが、親しくなった後の楽しさを知ってしまった後だと寂しくなる。


 やっぱり告白なんてするんじゃなかった。俺を意識してもらいたいとは思っていたけど、こんなことなら仲良かったころの方がましだ。




 鬱々としていた俺は、出来るだけ彼女のことを考えないようにしていた。

 幸いというかなんというか、受験生である。勉強をせねばならぬ。


 家に帰ると勉強をせず、鳴らないスマホをじりじりと見つめるだけの俺は、放課後は図書室で勉強をするようにしていた。

 大抵学校に残って勉強する生徒は自習室という別の部屋を使うことがほとんどだが、そちらはピリピリとした空気感が嫌だ。

 ただ本を読みに来ていたり、暇つぶしにぼんやりしているだけの生徒がごちゃ混ぜになっている図書室の方が、集中できる。



 夕陽の入る時間帯。

 普段使用している個人机が空いておらず、四人掛けの机に一人で座った。

 テスト時期でもないので、個人机で勉強をしているのは三年生だけだ。それから本を読んでいる生徒が書架の端のソファにぽつぽつと座っている。


 エアコンの稼働音、紙をめくる音、誰かが本を戻す物音。それらをBGMに参考書を広げていると、対角線上の席にそっと本が積まれた。

 顔を上げると真柴センセが微笑んでいたので、驚いた。


「ごめん、ここ相席させてもらってもいいかな」

「真柴センセ。どうぞ」


 センセの手元には分厚い本が数冊。それらを一度端の方に寄せ、手提げからノートパソコンを取り出した。


「センセも図書室で仕事することあるんですね」

「ちょっと調べものがあって。ああ、タイピング音うるさい?」


 首を横に振る。センセのタイピング音が静かであることはすでに知っている。

 センセが本を広げて指で文章を追いながらパソコンを打ち始めたので、俺も参考書に戻った。


 それからしばらく、集中して参考書に没頭した。

 センセのタイピング音はほとんど気にならず、でも時折、近くから本のページをめくる音、ノートに書き写す音が耳に入る。

 ただ、それらの空気感は邪魔ではなく、むしろとても穏やかで心地よかった。センセの醸し出す空気なんだろうか。落ち着くのだ。



 気付けば、そのまま軽く一時間以上は経っていた。


 時計を見た俺に気付き、センセも自分の腕時計に目を落とす。ちょうどきりがよかったのかセンセは片付け始めたので、俺も帰ることにした。



 センセも俺も本を一冊ずつ借り、図書室を出て並んで歩き出した。職員室に戻るらしい。


「幸村くん、受験の方は? どうなの」

「ん-、まあ特に今のところ大丈夫そうです」


 センセは先生らしく「困ったことがあったら相談に乗るよ」と言った。

 そういえば浅利さんも進路相談に乗ってもらったと言っていたことがある。理系クラスだから受験対策を相談するには適任ではないかもしれないが、悩み事を相談するには真柴センセはぴったりかもしれない。癒し系。

 ま、浅利さんも好きになっちゃいますよね。俺が視線を向けると、センセはよいしょと荷物を抱え直した。その薬指にはリング。


「そうだ、今さらですけど、センセ結婚おめでとうございます」

「えっ! 知ってたの」

「知ってますよ、指輪。それに俺、前に駅でセンセと奥さん見かけたことあるんで」

「わあ」


 照れた顔はとても童顔に見える。意地悪してやろうと、追撃した。


「いーなー。新婚生活楽しいですか? 毎日帰るの楽しみ?」

「うん、そうだね」

「うわっ、聞くんじゃなかった」


 逆襲されて、げえという顔をしたら、センセはふふふと笑い「気を付けて帰りなさい」と言って職員室に入って行った。

 気を付けて帰りなさいって、俺、女の子じゃないんですけど。


 でもその落ち着きぶりを見たら、「あー、勝てないな」と思った。

 センセはもやしでひょろひょろだけど、大人で、人生経験豊富で、余裕がある。

 穏やかな物腰、俺も好きになっちゃうじゃん。あ、そういえば浅利さんから「先生のこと好きになっちゃだめだよ」と牽制されたんだった。

 そのときのどうでもいいやり取りを思い出して、ため息が出た。


 きっともう、浅利さんとは軽いやりとりをするような関係に戻ることは出来ない。告白したことを若干後悔する気持ちは残るけど、時間は戻らない。


 一方で、初めてちゃんと恋らしい気持ちを知ることが出来たのは良かったのかなと思うようにもなっていた。

 初めてだったからうまくいかなかったけど、もしまた他に好きな子が出来たら、今度はうまく気持ちを伝えられるかもしれない。


 しかしそこまで考えて、「今後そんな相手が現れるだろうか」と自問した。

 きっと現れない。

 そう考えると、ひどく哀しくなった。




 それからしばらくしたある日。


 朝登校してくると、俺の席の前にポニーテールじゃない女子が座っていた。



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