(171)とある男の一生
三章『霧の鬼編』
最終話
~目線無し~
「私は…………何がしたかったのだろうか?」
牢の中でつながれている男は、そうこぼした。
男は、何処にでもいるような男だった。
優しくて、子供が大好きなまじめな男。
近所でも、そう評判の男だった。
当たり前の日常。
優しい職場。
愛しい妻子。
そんな空間に囲まれ、当たり前の幸せを手に入れた男だった。
それが崩れてしまったのは、とある女に一目惚れされた時。
女は、男を運命の存在だと言って求めた。
男は、まじめだった。
大切な妻に不義理なことをしたくない。
大切な息子の目標となれる父でありたい。
まじめで優しい男は、どんな言葉を言われようと頑なに首を振った。
愛する妻子がいる家。
それこそが、男にとっての天国だった。
女は、男を恋焦がれた。
男を運命の存在と、信じて疑わなかった。
周囲からは、純粋で夢見がちな女だと言われていた。
運命の王子様に憧れた。
女の王子様像は、男とそっくりだった。
女は、ある日男と一緒にいる妻子を見つけた。
そして怒り狂った。
男を惑わす魔女とその使い魔だと。
女にとって、妻と幼い子供は男と自分の間にできた障害にしか見えていなかった。
ヒロインは、王子様と結ばれる。
でも、そんな王子様は悪い魔女に惑わされている。
女は思った。
王子様を助けられるのは、自分だけだと。
女は、刺した。
幼い息子を必死で守る妻を。
女は、赤く染まった。
何の罪もない妻子の血で。
女は思った。
これで、王子様は呪縛から解き放たれる。
女は狂喜した。
待っていれば、王子様はアタシの元にやって来る。
待っていてあげる。
私はヒロインでお姫様だもの。
惑わされたから否定されてしまったけど、きっと王子様は自分の行いを悔やんでヒロインを迎えに来てくれる。
そう思っていた。
男は、目の前の惨劇が信じられなかった。
どんなに妻の名を呼んでも、子供の名を呼んでも目を開けなかった。
男は、自問自答した。
男は、女の仕業であることを知った。
でも、男は気付かなかった。
男の視界が真っ黒に染まっていくことを。
道にいる何の罪もない女性たちに、憎たらしい女の影が重なることを。
男は、完全に狂ってしまった。
優しく真面目な男は、その日死んだ。
男のいた場所に立っていたのは、真っ暗な心に支配された血に飢えた殺人鬼だった。
そして、殺人鬼は真っ赤に染まった。
何の罪もない女性たちの血で。
同族を殺さなかったのは、殺人鬼の中に残された小さな理性が違うと訴えただからだろうか?
殺人鬼は、幼い少女と女の息子と出会った。
殺人鬼は、息子の顔を見て再び妻子を奪われた憎しみを思い出した。
殺人鬼は、息子を殺そうとした。
だが、間一髪のところで反撃され虫の息の状態に陥った。
殺人鬼は虫の息になり、少しずつ男の存在が表に出てきた。
完全に男の存在が表に出たのは、牢に繋がれ、白銀の騎士と黒色の騎士と話をしてから。
男は嘆いた。
自分が、憎い女と同類の存在に堕ちてしまったことを。
男は謝罪した。
自分が屠ってしまった女性たちへ。
何の罪もないのに、似ていたというだけで傷つけてしまった実の息子へ。
そして、危険だというのに男を愛してくれた妻子へ。
「…………ああ、願わくば」
悲観に暮れていた男は願った。
男の脳内にいるのは、自身と同じく強い憎しみを抱いている黒白の子供。
異常なほどに、家族を憎む者。
「あの少年が…………私と同じ過ちを犯しませぬように…………」
優しい男に戻った殺人鬼は、涙を流しながら仮面の奥でそう神に祈った。
次回予告:とうとう始まる四章
次々と起こる事件に、紗彩は胃薬を処方してもらおうかと真剣に考え始める




