(14)後悔
~紗彩目線~
「…………怖かった」
今までせき止めていた気持ちが、口からポロポロと言葉になって出てくる。
敬語で話そうとは思ったけど、そんな余裕はなかった。
いまだに、あの時の恐怖は鮮明に思い出すことができる。
別に、昔の記憶ってわけじゃないけど。
さっきまでの自分の状況だった。
自分が、どうしてここにいるのかもわからない。
周りには、見たことがないものばかり。
不安で不安で仕方がなかった。
「…………死ぬかと思ったし、知っている食べ物が見つからなくて餓死することも予測できた」
何もわからなかった。
周りにある全てのものが何なのかわからなかった。
不安で押しつぶされそうで、その場でおもいきり大きな声で泣きたかった。
でも、泣くって意外に体力を使う。
だから、もしもの時のために体力を温存しなければいけない。
とにかく、生き残ることだけを必死に考えた。
でも__
「変な化け物が襲ってきた。怖くて動けなくて、もう死ぬかと思った」
あの時は、死ぬことを覚悟した。
死ぬときは走馬灯のように今まで体験したことを見るっというけど、そんなことを見ている余裕なんてなかった。
動かなければ死ぬのに、まるで体が石になったみたいに動けなかった。
あんなこと、二度と経験したくなんてない。
「でもあの人たちに助けてもらって、やっと人に会えたと思った。でも言葉通じなくて」
やっと人に会えて、もしかしたら今の状況がないかわかるかもしれないって思ったのに。
日本語も英語も通じなくて、自分が今までに聞いたことのない言語で話しかけられた。
言葉が通じなくて、でも狼さんと少しでも通じた時は嬉しかった。
こうして、狼さんに連れてこられてジョゼフさんと話すことができて安心できた。
でも安心した後、いっきに疑問がわいてきた。
「なんで、って思った。私は、ただいつも通りに行動していただけなのに」
いつも通り、会社に行くために電車に乗ったはずだった。
いつも通り、疲れから眠っただけだった。
なのに、気づいたら知らない森の中にいた。
スマホや財布が入っていたはずのバックも、手元になかった。
本当に意味が分からなかった。
なんで、私がこんな目に遭わなきゃいけないの?
「会いたくもない人に会わなきゃいけない」
ムカつく会社の上司。
仕事をサボってばかりの無能な同僚。
いつも理不尽なことで怒られる。
押し付けられた仕事をやったのに、なんで押し付けた同僚ではなくて私が怒られなければいけないの?
「過去の自分の行動を後悔したし、やり直したいとも思った」
何度も、思った。
あの頃の自分に戻って、会社に入りなおしたいって。
あんなパワハラやセクハラしかしない仕事もできない無能な上司じゃなくて。
労働基準法を普通に無視しているような会社じゃなくて。
もっと、まともな会社に入りなおしたかった。
もっと、まともで真面目な同僚が欲しかった。
別に性格が合わない人がいるっていうことは知ってる。
学生時代もあったから。
でも、仕事をしないのは性格なんて関係ないはず。
やめたくても、辞表は破られた。
それに、社会人になったばかりでやめるわけにもいかなかった。
新社会人の私でさえこんな状態になるあの会社は、かなりヤバいブラック企業だと思う。
でも、先輩みたいな一部のまともな人がいたから自殺しなくて済んだのかもしれない。
「なのに、気づいたら記憶にはない森の中にいて、言葉も通じなくて…………今まで理不尽なことなんていろいろあったけど、これはあんまりだと思った」
はっきり言って、今回のことは理不尽すぎて冷静さを保った私は偉いと思う。
ポタリ
俯いていてじっと見ていた私の手の甲に水滴が落ちて、私は初めて自分が泣いていることに気が付いた。
鼻水で息をするのが苦しくなる。
心が悲しみと怒り、悔しさでごちゃ混ぜになってとても苦しい。
でも、一番に思うのは__後悔の気持ちだった。
「…………後悔してるんだ」
『後悔?』
私の言葉を聞いて、ジョゼフさんの不思議そうな声音のつぶやきが聞こえてくる。
私が思い出すのは、母さんに苛立ちをぶつけた時に戸惑ったどこか悲しげな母さんの声。
母さんは心配して電話をかけてきてくれたのに、私は自分の苛立ちをぶつけた。
心配してくれることがどれだけ尊いことなのか、あの地獄みたいな会社に入ってから自覚したはずなのに。
「母さんと喧嘩しちゃったんだ。母さんは私のこと心配していたのに、寝不足とか嫌なことが重なってイライラしててうるさいって、怒鳴っちゃった。…………こんなことになるのなら、もっと話しておけばよかった」
『…………誰だって、後悔することはある。それは私だってあるし、他の者たちにもある。それでも、後悔ばかりしていては前に進むことはできない』
ジョセフさんの言葉を聞いて、思わず顔を上げて彼の顔を見る。
ジョゼフさんは、悲しげでどこか悔しげな表情を浮かべていた。
もしかしたら、彼も何かひどく後悔するようなことがあったのかもしれない。
『別に、後悔することが悪いというわけではないよ。後悔したことを、今度はしないように気を付けることができる。後悔することは、自身の学びに成長する。…………君が元の場所に戻れるよう、私たちも尽力する。だから、君もあきらめないでほしい』
「…………はい」
ジョゼフさんの優しい言葉は、ストンと私の心の中に入った気がする。
諦めないこと。
確かに、諦めなければ元の世界に戻れるかもしれない。
どうしてここに来てしまったのかも、どうして来てしまったのが私だったのかもわからないけど。
もしかしたら、諦めずに情報を集めていけば何かがわかるかもしれない。
ジョゼフさんは私が返事をすると、納得気な表情を浮かべて私の頭を撫でる。
『うん、いい返事だ。君は、少しお休み』
「でも、診察」
『君が寝ていても、魔法で終わらせておくから大丈夫だよ』
ジョセフさんの言葉に慌てると、ジョゼフさんはヨシヨシと優しく私を撫でながらなんでもないように言う。
彼がそう言うと、私の周りが少し暖かくなってくる。
なんというか、暖かい羽毛布団の中にいるような感じだ。
寝不足だった私は、気づけば眠りに落ちていた。




