④ 救世主と大剣士
魔力を持って生まれるのは、人間族・魔族・魔物の3種だけだ。
魔族と魔物の差は、他種族と意思疎通がはかれるかどうかで区別されている。エルフ族のように人間の価値観に近く友好的な種族もいれば、ゴブリンのような粗忽で凶暴な種族もいる。人間も大別すれば魔族になるが、15歳まで魔力を制限するという点において他の魔族とは異なることから独立して種別しているそうだ。
人間族だけが魔力を自主的に制限する理由は、人間族の精神成熟速度が遅いとか、他の魔族に比べて個体差が大きすぎるだとか、ほかにも諸説ある。はっきりとわかっているのは、それがエルフ族と交わした不可侵の約束ごとであり、破ればエルフ族率いる魔族に滅ぼされても文句を言えないということだ。
私は、金色に輝く魔力の糸を眺め、それから自分の手に視線を落とした。
何も生み出さない、分厚く節くれだった手。およそ15歳の少女のものとは程遠い。
「ハル、終わったよ」
うずくまった男性から魔糸を引き上げ、ユキがふわりとほほ笑んだ。
ほうっという感嘆のため息が辺りに満ちる。
「救世主さま、ありがとうございました」
一人の老婆がベッドの横に立つユキの足元に跪き、そのローブにそっと口づける。
「いえ、私には癒す力しかありません。彼が命をとどめたのは、大剣士ハルが魔物を討ち果たしたからこそなのです。どうかお礼は大剣士ハルに……」
ユキの言葉にはっとした様子の老婆が、慌ててこちらに向き直り深々と頭を下げる。
感謝の気持ちは伝わるが、魔物の血に濡れた薄汚れた私の服には最後まで触れようとしなかった。
「救世主さま、公会堂で宴の準備をしております。どうか今晩は私の家にお泊まりください」
老婆の後ろにいた男性が一歩進み出る。体格の良い頼もし気なその人は、この村の村長だ。
「まぁ、ご厚意感謝します。でも――」
「我々は先を急ぎますので」
やんわりしたユキを遮るようにきっぱりと断る。村長の顔に落胆の色が浮かんだ。
「しかし、まもなく夜になります。魔物も増えます。どうか」
懇願はあくまでもユキに向って、だ。血濡れの剣士など、いない方がむしろ良いのだろう……と思うのは、さすがに卑屈すぎるだろうか。
「本来であれば、この時刻には港町スーダに着いている予定でした」
困った表情を浮かべたユキを庇うように村長の前に立つ。乾き始めた魔物の血から漂う悪臭に、村長が一瞬顔をしかめた。
「この若者が禁忌を犯して森の結界を越えたために、我々はこうして足止めを食らっているのです。これ以上の停滞は時間の無駄です」
「ではまさか、スーダまで夜通し進まれるつもりですか? 勇者である救世主さまになんて苦行を……」
勇者なのか救世主なのかどっちだよ……というくだらないツッコミは、かろうじて飲み込んだ。
「苦行などではありませんよ」
私の隣に出たユキが、横目で強めの視線を送ってきた。もう喋るなという合図だ。
「私は魔王を探さねばなりません。そのためには、巨大な魔物の出現する地域に一刻も早く移動する必要があります。ここで宴を楽しむ間にもどこかで死の淵に苦しんでいる命があるのですから、大剣士ハルの言う通り明日一番の船に乗らなければならないのです」
「なんてお優しい」
村長が感激したように瞳を潤ませ、そして老婆と同じように跪いた。
「では、私の馬車を――」
「いらない」
ばっさりと跳ね除けた私に向かって、ユキがもう一度非難を滲ませた視線を寄越す。
「馬車に乗れば魔物の襲来に気付きにくいし、動きを制限されて初動が遅れる。何より、あなたの御者まで守るのは億劫だ」
「ハル」
今度こそユキがはっきりと止めた。
「ご厚意にそんな言い方をするものではありません。でも、ハルの言う通り、御者様が危険にさらされるのは心苦しくもあります。せめて日中であればお言葉に甘えるところでしたが、夜の移動に大切な御者様と馬車をお借りすることはできません。どうかお気になさらず」
「あなたのような尊い御方が、スーダまでの道を歩かれるなど……」
「あら」
すがる村長に、ユキはにっこりとほほ笑む。
「私たちが徒歩だなんていつ言いました? スキログリフに乗って移動するから大丈夫ですよ」
その言葉に、村長も、老婆も、ほかに3~4人いた村人も呆気にとられた顔をした。
*
「もー、あいつらほんとマジ迷惑」
悪態をつきながら思い切り笛を吹くと、森の奥からスキログリフが2頭嬉しそうに駆け出してきた。抱き留めて首元に抱き着く。緑の香を思い切り吸い込むと、ようやく気持ちが落ち着いた。
「今どき結界を超えるようなバカがいるとは思わなかったわよねぇ」
にこにこと、悪口には聞こえないような柔らかい調子でユキが優雅に悪態をつく。その胸元に鼻をこすりつけて甘えていたスキログリフが一瞬、身をこわばらせた。ユキから殺気でも出ていたのだろうか。
「わたし、メシアなんかじゃないし」
「瀕死の傷を治したんだから、その点においてはまぁ、救世主じゃない」
「やめてよハル。私が災厄の化身みたいなものなのに。言われるたびに当てこすりなんじゃないかって勘ぐっちゃうのよね」
ぷうっと頬を膨らませ、軽やかに跳んでスキログリフに跨る。この半年で、ユキはだいぶ逞しく頼もしくなった。ただ守られるばかりだった、かつてのユキはもういない。
「それを言うなら、いちいち名前の前に大剣士ってつけるのもやめてよ。鳥肌立ちそう」
ユキに文句を言いながら、顔の位置にある鞍に手をかける。乗り心地の悪かった牛革の鞍も、だいぶ身体に馴染んできた。今では10時間乗りっぱなしでもお尻が痛くなることはない。
「だって助かったのはハルのおかげなのに、全然お礼を言おうともしないんだもの」
「それはともかく、大剣士っていちいちつける必要ないでしょ?」
「ハルを敬えー!!!っていうわたしの念が込められてるんだから、いいじゃない」
二人同時にスキログリフの腹を蹴る。いちいち声をかけなくても呼吸が合うのは、双子ならではなのだろうか。
森には結界があり、人と魔物の境界線を明確にしている。通常の魔物が結界を破って人里を襲うことは滅多にないが、人が食料を探して結界を超え被害にあうことは珍しくない。
とはいえ現在、結界を超える者はほとんどいない。魔王の勢力が強まり、強大な魔物や魔族に出会いやすいと周知されているからだ。もちろん、勇者誕生と魔王誕生が同義だということは伏せられている。
そんな中であの若者は、森の奥深くにいた。どうやら野草を採るうちに結界を越えてしまったらしい。明確な柵があるわけではないが、結界を越える時には明らかに体が反応する。魔力の壁にぞわりと肌をなでられるあの感覚に、気づかないわけがない。
私たちが偶然あの場を通らなければ、野蛮な猿型の魔物に食い荒らされていただろう。その点ではあの若者は運がいいが、食いちぎられた右腕は完全に失った。木を切ることもできないで、これからどう生きていくつもりなのか。老婆がさめざめと泣いていたのは、孫のケガへの悲嘆だけでなく、稼ぎ手を失った己の人生への絶望もあったように思う。若者の両親はいったいどこへ行ったのだろう。
「クオン」
黙り込んだ私に、スキログリフが小さく啼いた。ボーっとするな、ということだ。
「ごめんごめん。魔物が現れたらすぐに退けるからね」
スキログリフは魔物の一種である飛ばない魔鳥だ。身を守るために火を噴くこともあるが、基本的にはどんな時も長い脚で走って逃げる。戦闘力はほぼないが、その足の速さはピカイチだ。一般的には人に懐かない魔物であるが、他の魔物に襲われているところを偶然助けたことで懐かれてしまった。シキ国にスキログリフを扱う部族が住んでいると聞き、三か月前に鞍を作ってもらったところだ。その時に乗り方や飼育について詳しく教わった。
いまでは高速移動のための大切な相棒だ。
「ハル、三時の方向に大きいのがいる」
「了解」
魔力が発現しなかった私には、魔物を察知する能力がほとんどない。夜の移動には、ユキの探知能力が不可欠だ。
しばらく走るうちに、私にも分かるほどはっきりと気配が近づいてきた。スキログリフが身体をこわばらせる。きっとこの子は、ユキよりも早くこの気配に気づき啼いて知らせたに違いない。
「行くよ」
その言葉を合図に、ユキの魔法が周囲を照らす。木々に覆われたこの森で、ここまで地面が照らされることは初めてだろう。木の下に太陽が降臨したかのような、それでいてちっとも眩しくない、優しい金色の光がすべての輪郭を明確にする。いくつかの虫が驚いたように飛び立った。
しかし、突然照らされた魔物は逃げない。むしろ、見つけやすくなった獲物に向って近づくスピードを上げた。